「そういう人いる〜」の〝あるある感〟で、笑いと共感の渦を巻き起こすピン芸人の横澤夏子さん。テレビやラジオに引っ張りだこで、R-1グランプリなどの賞レースでも結果を残してきた。私生活では100回以上の婚活を経て結婚、今や3児の母。地元・新潟県を盛り上げる活動も活発だ。公私共に全力投球の横澤さんの、成功をつかむ行動力に迫った。
一度に大勢の人に知ってもらえる職業が「芸人」
子どもの頃から目立ちたがり屋だったという横澤夏子さん。小中学校では生徒会長を務め、「高校はワンランク下がって副会長です」と残念そうに眉を寄せる。父は中学校教諭、母は上級教育カウンセラーで、両親に褒められたい一心での立候補だったそうだが、人前に立つことは苦でも恥ずかしいことでもなく、楽しかったと振り返る。 「学生時代からNHKの連続テレビ小説が大好きで、中でもヒロインが落語家になる『ちりとてちん』の影響で、芸人になるのもいいな、と思うようになりました。学校の先生になる夢もあったのですが、それを払拭したのが大先輩のお笑いコンビのタカアンドトシさんのライブでした。ステージに立つお二人が楽しそうでしたし、1万人ものお客さんの前に立っている姿が格好良かった。今までは大勢というとクラス全員でしたが、1万人の前にも立てる職業があるのだと気付きました」
そのため、実際に行動にも移した。高校の同級生とコンビを組んで、2008年、M-1甲子園に地元・新潟から予選出場したという。だが、教職者である両親は、芸人になることをすんなり受け入れてくれたのだろうか。 「打ち明けたのは、高校3年生の三者面談の前日です。父は昔、小説家になる夢があったので、夢を追う娘に自分を重ねて見てくれたようで、母も好きな道を進むのが一番と応援してくれました」
ただし条件があった。3年たっても舞台に立てなかったら諦めること。その覚悟で横澤さんは故郷の新潟から上京し、NSC(吉本総合芸能学院)東京校に入学した。
夢や目標をかなえたいならまずは声に出してみる
「NSCで特に力を入れたのはネタ見せの授業で、皆勤賞です」と胸を張る横澤さん。その熱意とセンスが同期に伝わったのだろう、「人生最大のモテ期」と明言するほど、当時はコンビを組もうと同期から声を掛けられたという。だが、「国語の先生のモノマネ」のピンネタが授業の2回目で早くも評価されたこと、一人の方がネタづくりも練習も場所も時間も選ばずできることなどを総合的に判断して、「ピン芸人」の道を選んだ。