前評判を上回る盛況ぶりの日本国際博覧会(大阪・関西万博)。この勢いをけん引する一人が、万博デザインシステムのクリエイティブディレクター・アートディレクターを担当した引地耕太さんだ。Forbes JAPAN 「NEXT100」で〝いま注目すべき「世界を救う希望」100人〟にも選出され、万博とともに〝時の人〟として、言動に注目が集まっている。
万博の人気を押し上げる不思議な存在〝こみゃく〟
2025年4月13日、大阪市の夢洲で開幕した大阪・関西万博(以下、万博)。開幕後、万博の好評価、好印象の推進力として、大ブレイクしている「こみゃく」という存在をご存じだろうか。万博の公式マスコットキャラクター・ミャクミャクの子どものような姿かたちから、SNSを中心に自然発生的に「こみゃく」と呼ばれるようになった。だが、正式名は「ID」。ミャクミャクの子どもという設定ではない。
「こみゃく」の生みの親である、クリエイティブディレクターの引地耕太さんも、この大きなうねりを「想定外」と言って笑い、自身が〝こみゃくパパ〟として認知されることを面白がっている。
約155haある広大な万博会場のデザイン・アート・万博会場の会場装飾・サウンドデザインの演出も手掛けた引地さんは、「こみゃく」の人気を受けて、会場内のアート企画を「Co-MYAKU Sign」と名付けた。壁や柱、地面や大屋根リングの上などサイズも形も異なり、画風も多様な「こみゃく」サインが点在している。SNSで話題となり、「こみゃく」を探す「こみゃくハント」も万博の楽しみ方の一つになっている。
万博会場だけではない。ネット上では、一般ユーザーも含めた二次創作の「こみゃく」が連日生み出され、引地さんの大喜利のようなコメントも注目されている。「こみゃく」は、縦横無尽に増殖している。
得意ジャンルがない弱みを「越境」という強みに変換
そもそも、なぜ引地さんが万博のデザインシステムを担当することになったのか。出自はデザイナーだが、特異な経歴を持つ。鹿児島県生まれの引地さんは、熊本の大学で映画や音楽、写真など多種多様な表現活動に熱中した。 「今でこそ、専門分野にとらわれない越境的なクリエイティブ活動の需要はありますが、学生時代は一芸に特化していないことは不利で、負い目にすら感じていました。自分の強みを探す中、19歳の時に全国的に有名なデザインコンペに複数作品を応募したら、いきなりグランプリ(文部科学大臣賞)と3席(上位から3番目)に入選して、デザインをやろうと単純に思ったのです。それで2年生の時に東京造形大学に編入しましたが、結局いろいろなことをやっていました」
大学卒業後、ユニクロの人気を押し上げたことで知られる、クリエイティブデザイナー、タナカノリユキさんの下で働いた。ここでデザイナーの下地を築いた。 「タナカさんは、企画からグラフィック、映像、空間、プロダクト、アートまで、領域横断的に活動されていて、どれもクオリティーが高く、奥行きも広い。今の自分の土台になっています」
渡米してアート活動をしたり、帰国後にスタートアップ企業に入って、クリエイティブとビジネスを掛け合わせた企業ブランディングを手掛けたりもした。 「デザインを納品したら終わりではなく、納品後もお客さまの反応を見て改良、改善してデザインを進化させる。そうした今でいうところのデザイン経営に、興味を持つようになったのが20代後半です。コンサル業務までするようになって、活動領域はさらに広がりました」
そして、16年にクリエイティブカンパニー「1→10(ワントゥーテン)」に入社し、引地さんの才能は開花する。有名グローバルブランドのブランド戦略やイノベーション創出を、数多く手掛けて、社会課題と向き合う視座を高めていった。そして東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の組織委員会に出向し、ブランド開発や広報にも関わる。22年にプロポーザル方式で、万博のデザインシステム「EXPO 2025 Design System」の開発を1→10が受託し、引地さんがその任に就いた。