かま栄
北海道小樽市
昭和30年代まで続いた好景気
明治時代から昭和初期にかけて北海道の海の玄関口として栄え、現在は観光地として人気の高い小樽市。この地で明治38(1905)年、かまぼこの製造・販売の会社として創業したのが「かま栄」だ。その後、店は別の経営者へと引き継がれ、昭和8(1933)年、佐藤仁一さんが経営に参画、社長に就任した。現在社長を務める佐藤公俊さんは、その三代目に当たる。
「祖父は新潟県の出身で、明治45年、船で小樽に渡りました。そして、同じ新潟出身の人が営む呉服店で働いた後、かま栄の経営に関わるようになったようです。当時、小樽にはかまぼこ屋が50軒ほどあり、つくればつくっただけ売れるという好景気でした。そんなことから店を引き継ぐことにしたのだと思います」と佐藤さんは言う。
当時の小樽は北海道経済の中心地として栄え、近くの漁港ではニシン漁も盛んだったことから、現在よりも人口が多かった。そして、当時はまだ鮮魚を保存する技術が発達していなかったため、魚の加工品であるかまぼこがよく食べられていたという。
「かまぼこづくりにはいい水も必要です。小樽はそれに恵まれていて、大きな市場の札幌からも近い。そのため、昭和30年代まではいい時代が続いていたといいます。しかし、40年代以降は200海里問題(各国による排他的経済水域の設定により遠洋漁業が打撃を受けた)により漁獲高が減少。また、食生活の変化で日本人が肉を多く食べるようになってきたことから、全国的にかまぼこの消費量も減っていきました。それからは市全体がずっと厳しい状況になってきました」
運河の整備で観光客が増加
そんな小樽の状況に変化が訪れる。昭和41年、市が制定した都市計画により巻き起こった「運河論争」がきっかけだった。使われなくなった小樽運河を埋め立て、脇の道路を拡張するという計画だったが、小樽の歴史的遺産である運河とその脇の建築物を保存しようという市民運動が起こり、10年以上に及ぶ論争が続いた。結局は運河の幅の半分を埋め立てて道路とし、残った運河は遊歩道の整備などをすることとなり、61年に新たな小樽運河が完成したのだった。
「運河がきれいになって観光客が小樽に数多く来るようになり、それまでは何もなかった運河周辺に観光客向けの店が増えました。うちはその数年前、工場を今の運河近くの場所に移転していて、工場を見学できるようにしていました」
それにより、かま栄のかまぼこは土産物として観光客に買い求められるようになっていったが、購入客のメインは、やはり地元の人たちだと佐藤さんは言う。「普段はお惣菜として買っていただいていますが、お中元やお歳暮などの贈答品、お節料理など、ここぞというときにもうちのかまぼこを使っていただいています。また工場見学は札幌の小学生などにも来ていただいていて、その人たちが大人になったことで、札幌での認知度も上がっていきました」
材料と手づくりにこだわる
かま栄は製品を直営店のみで販売している。以前は小樽、札幌を中心に店舗を増やしていたが、現在はその数を減らし、調整しているところだという。「いい製品をつくるために材料と手づくりにこだわっており、販路を広げても製造が追い付かない。以前、製造量を増やして製品のつくりが雑になってしまい、いつも食べていただいているお客さまからご指摘をいただいたこともありました。そこで、製造の効率化ではなく、おいしいものをつくるための意識改革を、工場内で重ねています」
佐藤さんが社長に就任したのは平成24(2012)年。大学を卒業するとすぐに会社に入り、工場の管理などを任された。
「当時社長だった父は、商工会議所の副会頭や観光協会の会長など多くの公職に就いていたので工場にいることが少なく、代わりに私が工場を見ていました。私が社長に就いたとき、職人の代替わりもあって、若い職人と一緒に昔ながらの良さを生かした新しい製造方法を研究していきました」
かま栄がかまぼこの材料に使っているのは、供給量が安定していて品質も良いアラスカ産のスケソウダラ。その中でもランクが上のものだけ厳選し、じっくり時間を掛けて練り上げていく。
「良い材料を使って手づくりにこだわり、お客さまに満足していただけるおいしさを守っていくことが、うちの伝統といえます。そして、これからはいかに消費者にかまぼこを食べていただく機会を増やしていくか、それが課題です」
現在は10数店となった小樽のかまぼこ店の中でも一番の老舗であるかま栄。これからも地元の人に愛される確かな味を守り続けていく。
プロフィール
社名:株式会社かま栄
所在地:北海道小樽市堺町3-7
電話:0134-25-6181
代表者:佐藤公俊 代表取締役社長
創業:1905(明治38)年
従業員:140名
※月刊石垣2017年9月号に掲載された記事です。
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