ストイックに競技に打ち込む姿と哲学的な思想から、「侍ハードラー」「走る哲学者」の異名を取った為末大さん。陸上の400mハードル走者として、世界陸上競技選手権大会では2度メダルを獲得。3大会連続オリンピック出場という輝かしい実績を残した。その後は実業界に転じ、現在は会社経営者として手腕を発揮している。アスリートらしい厳格なイメージのある為末さんだが、笑顔でビジネス論を語る姿は、まるで新しい遊びを見つけた子どものよう。真摯に、それでいて楽しそうにビジネスに取り組んでいる。
最初に壁を破る 一番にこだわる
平成13年に出場した世界陸上選手権大会で、銅メダルを獲得。これはトラック競技全体で日本人初という快挙だった。400mハードル走という種目のみならず、陸上競技全体の新しい扉を開いたといっていい。
そんな為末さんが陸上競技を始めたのは8歳のころだ。自ら「目立ちたがり屋でした」と振り返る為末少年は、持って生まれた才能を一気に開花させ、瞬く間に国内トップのスプリンターとなる。100m走、200m走、400m走。全国中学校選手権大会、ジュニアオリンピック、国民体育大会。さまざまなタイトルを獲得し「自分がヒーローになれる場所を見つけた」と思った。しかし高校に進むと、思うような結果が出なくなる。
「僕は体の成長が早かったんです。中学まではフィジカルで勝っていたけれど、高校に入ると成長が止まってしまいました」
それまで自分よりタイムが遅かった同級生たちが、体の成長とともに記録を伸ばし、自分を追い抜いていく――。このままでは勝ち続けられないかもしれない。自分が選手として生き残るにはどうしたらいいのか? 自分の身体の可能性と気持ちに徹底的に向き合った結果、より世界一を狙いやすいと判断した400mハードルに転向することを決意した。
「自分にとって一番大きかったのは、世の中に自分を認めさせたいという欲求だったんです。そのためには手段は一つではないと気がついた。たとえ陸上競技の花形である100mでも400mハードルでも、目指すものは同じなんだと考えました。僕が初めて世界大会に出たのは18歳のときです。ここで勝てば世界一、その雰囲気に、ものすごくしびれましたね。これにだったら人生懸けてもいいな、そう思えました。世界の舞台でまた走りたい。そう考えたとき、100m走で出場している自分は想像できなかったのです」
その決断は結果として、正しかったといえる。後に、400mハードル走の先駆者として、日本の陸上史に名を刻む存在となったのだから。しかし、それほどまでに一番に貪欲にこだわれたのはなぜだろうか?
「なんでと聞かれてもよく分からないんですけど(笑)。二番じゃダメなんですよね。やっぱり一番がいい。最初に壁を破る人っていうのは重要だし、一番を目指すという生き方が僕の価値観では、当然あるべき姿だった」
世間に認められたい。そして純粋に一番でありたい。その思いが為末さんを突き動かしてきたのだ。
スマートな転身じゃない 失敗も繰り返してきた
平成24年に現役を引退してから、2年が経過した。現在は自身で立ち上げた会社で代表取締役社長を務めながら、4つの会社や団体で役員などの肩書きを持っている。その傍らテレビのコメンテーターもこなし、執筆も精力的に行っている。元アスリートから一転、鮮やかにビジネスマンとして才能を開花させている――ように見えるが、平坦な道のりだったわけではない。
「陸上を辞めて、自分に何ができるのか分からなかった。だから、とにかくいろいろなことにチャレンジしてきたんです」
器用に手広くやっているように見えるが、決して器用なタイプではない。目の前のことを一所懸命に乗り越えていった結果、全てが自然発生的に発展していった。
「だから、見当違いなこともやっていますよ。やりたいと思って立ち上げたビジネスで、あっさり失敗してつぶしたものもある。タレントのようなこともやりたいと思って挑戦したけど、バラエティーが全然ダメで(笑)。自分には向いていないなと思って方向転換したこともたくさんあります。うまくいっているように思われるかもしれませんが、振り返ると、でこぼこ道なんですよね」
いろいろなことに挑戦した結果、最近になってやっと、ビジネスの幅を絞り込むことができるようになってきたという。自分が正確に理解できる範囲で、自分が参加できると判断した事業に関して、出資するなり参画しよう、と思うところに行き着いた。
「僕のスペシャリティーは、アスリートとのつながりがたくさんあることと、二足歩行・走行のデータを比較的たくさん持っていたり、頭に入っていたりすることなのです。それは今の事業に生かされているし、今後も生かしていきたいですね」
アスリートとしての経験が自身の強みになった半面、ビジネスマンとして決してプラスとはいえないこともあった。転身して感じたギャップの一つは、ビジネスは試合と違って一発勝負ではないこと。もう一つは、自己完結できないということだ。
「僕らは世界大会やオリンピックなど、4年に一度の勝負に懸けて、日々練習を積み重ね、大会に出場してきました。しかし、今は毎日勝負があるというか、いつ勝負になるか分からないというか……。ずっと気を張った状態をキープするということに、最初は慣れませんでした。さらに、そもそも僕は一匹狼なんです。18歳のときからコーチをつけずに一人で練習をしていたりと、人と協力して何かを成し遂げるという経験が著しく欠落していました(笑)。社長として部下を持ち、事業を進めるようになってからも、人に細かく指示をしたり進行をチェックしたりする必要があることすら気付いていませんでした。まさか違うコースを走るヤツがいるとは思っていなかったので(笑)。『はい、お願いね』と言ったらゴールで受け取ればよいくらいの気持ちでいたんです」
複数の人と関わり、協力しながらミッションをクリアしていく。人とつながることで生まれる障害に苦労することもあった。ただ、そのおかげで新たな興味も生まれた。
「競技者のときに興味があったのは、自分の心の変化だけでした。でも、今は、集団の中における自分の心の変化だったり、人とつながる中での〝心〟に興味があります」
立ち位置が変わったことで、これまでとは違う新しい興味を見つけ出せる。「世の中には、自分の知らないことがたくさんある。それを追求していくことが幸せ」と語る為末さん。彼にとって日常とは、好奇心をレーダーにした宝探しのようなものなのだろう。
世の中に、そして自分にもインパクトを与えたい
現在、自社の売上の多くは自身の肖像を扱う事業が占めている。ただ、今後はより多くの事業を立ち上げていきたいと話す為末さん。大まかにビジネステーマを挙げるとすれば「スポーツ・心・体」だ。その中の一つとして、為末さんは〝心〟の仕組みについて、東京大学の先端科学研究所で研究している。今後、何らかの形でビジネスに具現化されるはずだ。
「アウトプットはどんな形でもいいんです。ただ、そのアウトプットで、世の中にインパクトを与えたいですね。それと同時に自分にもインパクトを与えたい。だから、好奇心に突き動かされているんです。知らないことを知った瞬間の喜びだったりとか、そういうインパクトを得たいし、それを最大化できる場所をつくっていきたいですね」
現在為末さんが取締役を務めている株式会社Xiborg。ここでは、2020年の東京パラリンピックに向けて、選手の競技用義足の開発を進めている。しかし、最終的な目的は別にある。
「もちろん優れた競技用義足の開発も目標の一つですが、競技の中で高めた技術を日常の生活で使用する製品に生かしたいと考えています。障がい者や高齢者が、自分の意思で自由に動く。その助けになる製品を義足に限らず生み出していきたい。いつかサイボーグの時代がくると思うんですよね」。その笑顔からあふれているのは、この先の可能性に対する〝ワクワク感〟だ。
「もちろん仕事ですから、ビジネスとして成立させていかないといけない。でも、やはり自分が興味のあることを突き詰めていきたいと思うのです。この先、耐えられないことがあるとすれば、自分を突き動かす好奇心を奪われることです。これは何よりも嫌ですね」
絶えず湧き上がる好奇心は、今後もさまざまな形で、ビジネスにつながっていくことだろう。この泉が枯れない限り、為末さんの疾走は続いていく。
為末大(ためすえ・だい)
株式会社侍 代表取締役社長
昭和53年、広島県生まれ。元陸上競技選手。400mハードル日本記録保持者(平成26年11月現在)。平成13年と17年の世界陸上競技選手権大会400mハードル競技で銅メダルを獲得。オリンピックは平成12年のシドニー、16 年のアテネ、20年の北京と3大会に連続出場した。24年に現役を引退。現在は、株式会社侍の代表取締役社長。その他に、一般社団法人アスリートソサイエティ代表理事、株式会社Xiborg取締役の肩書きを持つ。著書に『諦める力』(プレジデント社)、『走る哲学』(扶桑社新書)などがある。
写真・保高 幸子
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