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あの人を訪ねたい 東儀秀樹

「遠くに目標を掲げるより、目の前に現れる出来事を楽しむ。そうすれば、必ず前に進むことになります。先入観で道筋を決めてしまったり、目的が見えずに止まってしまうくらいなら、とりあえず進んでいけばいい。必ず道はできます」

国の重要無形文化財であり、日本の古典芸能である〝雅楽〟。笙や篳篥といった雅楽器で奏でられる音曲と舞は〝世界最古のオーケストラ〟ともいわれ荘厳な美しさに満ちている。そんな雅楽の魅力を生かしながら、現代楽器とのコラボレートで独特の世界を構築し、幅広いファンを魅了しているのが東儀秀樹さんだ。雅楽師からトップミュージシャンへ――。それを可能にしたのは音楽への非凡な才能と、今を楽しむポジティブな思考だった。

比べてこそ凄さがわかる

雅楽器が持つ神秘的な音の魅力。そこにギター、ピアノ、管楽器にシンセサイザー……さまざまな楽器を組み合わせて奏でられていく音楽は、自由で壮大だ。これまで雅楽は宮中の儀式など、演奏される場所が限られていた。そのため、伝統芸能でありながらも、なかなか広く一般に知られていなかった。東儀さんが生み出した音楽は、雅楽の存在を広く一般に知らしめる、その一翼を担ったといってよいだろう。東儀さんの立ち居振る舞いは、その道の開拓者らしい、爽やかな自信に満ちている。そんな東儀さんが雅楽を始めたのは高校を卒業してからだ。

「母方である東儀家は、1400年ずっと雅楽をやってきた家系。祖父も演奏家でした。しかし世襲制ではない今、両親も私を雅楽師にしようとは思っていなかったし、私もなろうとは思っていませんでした」

商社マンだった父親の海外勤務により、幼少期は海外で過ごす時間が長かった。異国の文化に触れながら、スポーツも芸術も何にでもチャレンジ。特に音楽では非凡な才能を発揮した。「ピアノを習ったことはなかったけれど、小学生のころから一回聞いた音楽は伴奏付きで弾けた」というから驚きである。

ロックやジャズに夢中になり、高校2年生のときには『音楽で生きていこう』と思っていたという。そんなとき、母親に「雅楽に目を向けてみれば」と言われたことがきっかけで、雅楽の道へ進むことになる。

「東儀家の人間じゃなかったら、雅楽なんて『別に』って思ったかもしれないんです。でも、〝血〟がそうさせるのですかね。あとは小さなころに海外生活を経験したことで、自分が日本人であるということをよく意識していました。だから日本人として、自分の母国の文化を背負えるということは、純粋に凄いと思っていました。ただ、19歳でのキャリアスタートは、決して早くない。周囲には『無理だ』とか『苦労するぞ』とも言われたけれど、僕は自分の音楽の感覚を信じていました。むしろ『みてろよ、証明してやる』って思っていました」

そしてこのときも、輝ける才能を存分に発揮した。雅楽の独特な音階、リズムを一度に覚えて先生に驚かれたこともあるという。さらに成長を後押ししたのは、これまでさまざまな分野の音楽に触れ、楽しんできたキャリアだった。

「後々考えると、クラシックもロックもジャズも、映画もミュージカルも、親が歌って聞かせてくれた童謡も全て、お稽古ではなく、楽しんできた。他の雅楽師の中には、小さいころからずっと雅楽だけをみっちりやっている人もいる。でも雅楽の何が凄くて楽しいのかは、比べないと分からない。違いを楽しむからこそ、本質に迫る道を見つけることができるんです」

他の音楽と比べることができるからこそ、誰よりも強い探究心を持って雅楽を学び、楽しんできたという自負がある。また、雅楽器は古典的な曲を演奏するだけではなく、大きな可能性を秘めている。雅楽の稽古を始めてすぐ、東儀さんはそう感じたという。

「この音域だったらビートルズのあのナンバーがカバーできるなとか、この音色ならあの楽器に合うなとか。実際に演奏もしていました。そうやって楽しみながら楽器と対話していたことが、古典的な演奏にも、技術としてプラスに働いたと思っています」

望む未来を明確にイメージする

実際に楽曲を発表したいと思ったのは、雅楽師になって5年ほどたってから。当時、古典雅楽のレクチャーでデモンストレーションをする機会があった。そのオマケとして、多くのお客さんが知っているであろうポピュラーな曲を演奏したところ、お客さんがハッと驚いて興味を示したり、「CDは出ないのか?」と問い合わせてくれたりするようになったのだ。

「ここで僕は『もうすぐ出ます』と平気で嘘をつくんですよ。出る予定もないのに(笑)。でも、自分のCDが出て世の中で話題になっている、そのヴィジョンが僕の中にはあった。凄く楽天的なんでしょうかね、何の努力もしてないんですよ。なんとなく出会う人にデモテープを渡したりするくらいで。それでも『出します』って本気で言っていれば、周りも『この人、本気なんだ』と思い始めるんです」

結果、37歳のときにCDをリリース。それが予想以上の反響を呼んだ。注文が相次ぎ、すぐに次作のリリースも決定した。そして宮内庁を退庁し、現在に至る。

望む未来を、まるで今起こっている出来事であるかのように明確にイメージすることで、それを現実のものとする。これは、新しいことに挑戦するときも一緒だという。

「僕は逆算式チャレンジ法と言っているのですが(笑)。まず、できるかどうかやってみるんです。基礎じゃなくて、自分が楽しみたいと思うところからスタートしてみる。例えば乗馬だったら、乗ったこともないのに『乗れます、走れます』と言っていきなり乗っちゃう。そこで無理だったら一段、まだ無理だったら一段と下げて学べばいいだけなんです。実際にやってみて、失敗したレベルから学んだ方が効率が良かったりするんですよ」

何かを達成するために大切なのは、明確にイメージしておくこと。そして明確なイメージに必要なのは、正確に観察する力なのだという。「もの凄く明確にイメージします。馬に乗っている人の動きを観察して、『あの動きをするために体のどこをどうすればいいのか?』と考える。そして、最終的には『自分はあの人だ』となりきってからやってみると、意外とすんなりとできるものなんです」。

寄り道しても構わない道は一つじゃない

自身の性格を「楽天的」だと分析する東儀さんだが、幼少期からそうだったわけではなく、「負けず嫌いは昔からだけれど、きっかけは特になくて、徐々にですね」という。25歳のとき膝にがんが見つかり、あと1年しか生きられないと言われたときも、30代であわや大けがという交通事故に遭遇したときも、悲観的にはならなかった。

「がんが見つかったときも、自然と『一瞬一瞬を大事にイキイキ生きよう』と思えたし、トラックに追突されたときも、『指が動いて息ができるから演奏はできるな』と思っていた。先を見据えて不安になるよりも、大事なのは、今を楽しむことです」

この思考は、演奏家兼作曲家として、演奏メンバーを率いるときにもプラスに働いている。「大きな舞台になれば、たくさんのスタッフを率いることになります。演奏者だけでなく、大道具さんだったり緞帳を上げるボタンを押す人だったり。みんなそれぞれに役割があるのだから、誇りを持って取り組んでほしい。そのためにも、みんなとの対話を楽しんでいます。みんなでワクワクする。そうすれば、仲間でつくってきた舞台に立っているという意識があるから、安心感があります。その環境は、誰がどういう仕事をしているか知っていないとつくれないものです。それを知るためにはみんなとの対話が必要です」。

ただ舞台成功のために、と意識的にやっているわけではない。今この瞬間、この場を楽しく過ごそう。その姿勢が結果として、素晴らしいチームづくりにつながっている。

平成8年にCDデビューを果たしてから、すでに20作以上のアルバム・シングルを発表。映画やCMの音楽制作、文筆業や俳優業など、その活躍は多岐にわたっている。

「僕は目標とか、定めるものを持っていないのです。今のこの立場も、目標を定めて目指してきたわけじゃない。目の前のことをおもしろがって、それも前からじゃなく横から、斜めから現れるいろんなことを楽しんできたら、ここにたどり着いた。目的がないから、フレキシブルに歩ける。先入観は持たずに、『あの場所に行くにはこの道しかない』じゃない。それぞれ自分らしい道があると思っています。寄り道して間違ってたら、戻ってまた進めばいいんです。時間なんか気にせずに。別に誰も待っていないんだから」

道を間違えたと悩んで歩みを止めるくらいなら、とりあえず進んでみるべきだと、楽しそうに笑う東儀さん。どんな方向であれ、楽しみ進み続けてさえいれば、自ずと道はできていくと信じている。

東儀秀樹(とうぎ・ひでき)

雅楽師、作曲家

1959年東京都生まれ。高校卒業後、宮内庁式部職楽部で雅楽を学ぶ。7年間の修業の後に宮内庁の楽師として10年間活躍。その一方で、雅楽器と現代楽器をコラボレートさせた楽曲を創作して注目を集め始める。平成8年に『東儀秀樹』でCDデビュー。宮内庁を退庁後は、演奏や作曲はもちろん、執筆、俳優など幅広く活躍している。自身2作目となるカヴァー・アルバム『hichiriki romance〜好きにならずにいられない』が好評発売中。著書に『すべてを否定しない生き方』(ロングセラーズ)などがある。

写真・山出高士

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