うろ覚えだが、まだ鎖国していたアルバニアの一人の医師。滅多にない出張の機会が与えられ、英国のサッカースタジアムで、自国ではラジオの試合中継でしか知らないイングランドの英雄リネカーを見た。神のごときカリスマ選手を見たこの医師の感動を伝えるドキュメンタリー映像を見たのは30年ぐらい前である。リネカーはJリーグ草創期に、ブラジルのジーコらとともに日本でも活躍した
▼久しぶりにリネカーの名が報じられたのは意外なニュースだった。英国政府の難民政策を批判したとして、先月、英公共放送BBCの人気サッカー番組の司会を降板させられた。だが他の出演者らがリネカーへの連帯を示すとBBCはすぐに降板を 撤回した
▼戦後の日本で放送法ができたのは、報道を国の監視下に置いて戦争に突き進んだ歴史を繰り返さないためである。報道は 国民の知る権利と直結する。権力者がけしからんと感じる報道があっても、たとえば田中角栄首相は記者らに「それが君らの仕事だ」と受け流した
▼民主主義をこの国ではもっぱら多数決の原理と教えるが、その前に、意見の異なる人たちとともに生きてゆくために考案された仕組みであることを忘れてはなるまい。もしも同じ政治信条を持つ人々が「この指とまれ」式に集まり、それぞれ国を創って世界を再編したとしよう。国の中ではみんな居心地が良かろうが、国家間の対立は先鋭化して戦争が頻発するだろう
▼政党をパーティと呼ぶのは、国民のある部分(パート)を代表するという意味である。ある政党が「一番良い結論」は初 めから自分たちの中にあると考えると、その政党は全体を代表したいと思うようになる。民主政治はそれを戒めるためにある。
(コラムニスト・宇津井輝史)
最新号を紙面で読める!