茂原市は、千葉県のほぼ中央、都心から60㎞圏内に位置する商業・工業・農業のバランスの取れたまちです。「もばら」の起源は奈良時代に興福寺に寄進された荘園の「藻原荘」だと言われており、その字が表す通り草木が茂る池や沼のある原野でした。その後鎌倉時代に日蓮宗常樂山妙光寺(現常任山藻原寺)が建立されたことで、門前町として発展しました。また、現在まで続く六斎市が開かれるようになったことから市場街(商業街)としても繁栄してきました。
茂原の近代産業を飛躍的に発展させた原動力は、何といっても天然ガスです。明治時代半ば、農業用水のための井戸から天然ガスを含んだ水が噴き上がったことをきっかけに、明治末期から「利用組合」という組織による天然ガス事業が営まれました。その後、昭和に入ると「大多喜天然瓦斯」が設立され、同社の売上高や事業領域の拡大に伴い工業のまちという顔も持つようになりました。近年は、関東三大七夕祭りの一つである「茂原七夕まつり」が開催されることでも有名です。
私が会長を務める秋葉商店は、創業者秋葉倉吉が1909(明治42)年に創業。以来、当社は115年余りにわたり卸専業という不動の一貫性を保ってきました。一方、市場環境の変化に長くさらされてきました。卸流通は変化適応業と言われますが、「対応」から「適応」への道筋は容易ではありません。当社では、中小企業の高度化事業である「茂原卸商業団地」の設立・加入や地域卸の全国ネットワーク「サプリコ」の創設など、地域対応と広域(全国)対応の両面展開を行ってきました。
現在、国際環境の大きなうねりが始まっています。インバウンド需要、アウトバウンド需要は、いずれも今後当社が対応すべき大きなファクターとなっています。
さて、私個人の趣味の話になりますが、私は船・鉄道・飛行機などを乗り継ぎ、到着したロンドンのフラット(アパート)に住んでいた経験があります。72年のことです。ロンドンのあちこちで飲む8ペンスの紅茶が体に染み込んでいきました。かの地ではまさに紅茶ざんまいの日々を過ごしました。
英国からの帰路、73年には、ついに紅茶の大聖地であるインドのダージリンへ。まさに、ダージリン紅茶をダージリンで味わう至高の時を過ごしました。それから50年余り、紅茶愛の熱量は途切れることなく続く私の大事なパートナーとなっています。