情報番組のコメンテーターを務めるなどさまざまなメディアで活躍するロバート キャンベルさん。美しい日本語で語るコメント力に定評があるが、本職は日本文学研究者だ。この春、17年勤めた東京大学を去り、国文学研究資料館(以下、国文研)第7代館長に就任した。外国人が同館のトップに抜擢されるのは初のことである。
災害が起こっても古典籍は守られる
「そもそも、国文研についてご存知の方がどれくらいいらっしゃるでしょうか。その歴史と実績の割に、あまり知られていないように思います」
国文研とは、日本の古典文学に関する文献や資料を調査・収集するために昭和47年に創設された機関。世界中に拡散された古典籍(明治ごろ以前の書写あるいは印刷された書物)を徹底的に収集し、データ化して公開している。その数、画像データだけで20万点、研究書10万冊が国文研の閲覧室および地下の保存書庫に収められている。日本の古典について知りたい研究者や留学生らが頼りにする「ラボ」であり、仮に火災や天災があっても、マイクロフィルムの映像や記録は残るというシステムだ。
「半世紀にわたり膨大なデータをアーカイブしてきました。これに似た事業を、中国、フランス、米国などがやっていそうだと思われるかもしれませんが、存在しない。日本独自の宝です」
集められる資料や本には、〝本のカルテ〟である書誌情報が添えられる。
「例えば、ダブリンの図書館が所蔵する本とまったく同じタイトルの本が東京大学にもあるとします。どちらが先に、どういう系列の人が書き写しを行ったのか、書き方や本の形、材料まで書誌データと画像から分かります」
文献資料を単なる情報としてではなく、文化史のマテリアルとして捉え、本そのものの佇まいが語る情報のすべてを記録することが国文研の基幹事業となる。
「紙一枚だとしても、日本人には墨で書かれたものを容易に捨てないメンタリティがあります。そのため中国や朝鮮半島などに比べて、圧倒的な数の書物が残っているのです。その一方で、日本は長い歴史の中で、国内紛争、天災、大都会の多くは空襲を受け、そのたびに歴史的な資源をたくさん失いました。古典籍という文化資源を人類のために保存しなければならないという強い思いがあっての一大事業なのです」
その後の人生を変えた一枚の屏風絵
繊細な日本語と造詣の深さは〝日本人以上〟とも評されるキャンベルさんだが、出身はアメリカ・ニューヨーク市。60年代の荒廃したブロンクス地区で幼少期を過ごし、「治安が悪く、学校に行って無事に帰ってくるだけで大変だった」と当時を振り返る。初めて日本文化に触れたのは、高校1年のとき。ジャパンタウン(日本街)の映画館に出掛けては時代劇や黒澤映画を字幕付きで楽しんだ。昔から建築が好きで、丹下健三、磯崎新にも憧れた。
古典文学に興味を示すようになったのは、昭和51年にカリフォルニア大学バークレー校に入学してから。なんとなく受講したという日本美術の講義で『洛中洛外図屏風』に出合い、なんとなく興味をそそられた。空から俯瞰(ふかん)して見る京都のまち並みと、そこに暮らす人々が生き生きと描かれていた。「日本の絵画のことをもっと知りたい」。教授に教えを請うため相談すると、意外な答えが返ってきた。
「絵画を学ぶ前にまず日本語を身に付けなさい。言語ができるようになると風景が違って見えるはず」。 言われた通り数カ月間猛勉強すると、確かに景色が変わった。都市空間と人の心の関わりに強い関心を持ち、江戸の日本文学に強く惹(ひ)かれるようになった。
大学3年生のとき、1年間、語学留学のため日本に滞在。その後27歳で九州大学の研究生として、再び日本に戻って来た。
「日本に住み始めたころによく先輩方に言われました。『きみはどんなに逆立ちしても外国人だから、日本人と同じように評価されるわけがない。妥協しながら研究するより、アメリカに戻って研究した方が、道は開けるだろう』と。一理あると思ったけれど、私は日本を拠点に活動する道を選びました」
寺社を一軒一軒訪ね、所蔵される歴史的な文学史に触れることは日本にいないとできないことだった。研究に没頭するなか、10年、20年という月日があっという間に過ぎていった。
単に仕事を増やさない 予算も人も連れてくる
日本に来て、今年で31年目になる。実は、国文研で働くのは今回で2度目。東京大学大学院教授になる以前に5年間本館の助教授を務めた実績がある。古巣である国文研を骨の髄まで理解する。そこに外国人の感性が加わるのだから、今後の国文研は興味深い。組織のリーダーとしてどのように手腕を発揮するのだろうか。
「リーダーとは弥次郎兵衛のようです。事業の発展のために新しいことに挑戦しなくてはなりませんし、今ある組織の現状をしっかりと把握して、既存スタッフのモチベーションを1割でもアップしなくてはならない」
単に新しい仕事を持ってくるのではなく、その仕事が実現できるように、競争的資金も確保する、あるいは、人材も運んでくるのがキャンベルさんのやり方。一方的に指示するのではなく、具体的な方法を現場の人間とともに考えたいと意気込む。
「それと、僕は発信という言葉が嫌いです。一方的で、無責任に感じるからです。つまり、国文研が持つ膨大な蓄積データをただ発信するだけではダメで、発信しながら往還させる必要があります。受け手は、アーティストでも漫画家でも映像作家でもいい。あらゆるジャンルの方が、書庫の重い扉を開けて一緒にアイデアを練り新たな作品をつくるということを今後はやっていきたい」
そのためには、古典インタプリタ(古典籍を分かりやすく整理し、橋渡しをする人)の育成が不可欠であると言う。
「例えば小説家は日本語のプロですが、10世紀に書かれ崩し字で伝わるものを読める人は少ないでしょう。研究者は崩し字や漢文を読むことはできますが、それらを第三者が〝使える情報〟に置き換えて橋渡しをすることは苦手です」
古典インタプリタに適任なのは、若きポスドクだそうだ。研究者として古典を解釈することができ、現代語訳もできる。場合によっては他言語化し、海外展開することも可能な人材だ。
「江戸時代の書物の9割は活字化されていません。誰も読んだことのない作品を発掘して、現代の人が共感できるものへと昇華する。自分で企画しデザインした情報を、他者を巻き込んだ形で届けることで、さまざまな分野との協業が生まれます」
キャンベルさんの任期は4年。新たなリーダーとなって、数百年間眠り続ける古典文学を今目覚めさせようとしている。
ロバート キャンベル
日本文学研究者/国文学研究資料館長
アメリカ合衆国ニューヨーク市生まれ。江戸後期から明治前半にかけての漢文学が専門。ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了。昭和60年に九州大学文学部研究生として来日する。その後、同学部専任講師を務め、平成7年から5年間国立・国文学研究資料館助教授、19年に東京大学大学院総合文化研究科教授に就任。テレビでMCやニュース・コメンテーターを務める一方、新聞雑誌連載、書評など、幅広く活躍中
写真・後藤さくら
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