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あの人を訪ねたい 山崎 直子

「宇宙を知れば、地球の尊さが見えてきます。私たちの大切な星を一緒に守っていきましょう」

平成23年8月、“宇宙飛行士”山崎直子さんはJAXAを退職した。現在は二児の母として子育てをしつつ、内閣府宇宙政策委員会委員などを務める。中でも力を入れているのは子どもたちへの宇宙教育だ。「地球を出たことがある人」として、地球に降り立ったときの空気や緑の香りなど、伝えたいメッセージがあるという。

宇宙から眺めた地球に感動

平成22年4月5日6時21分。山崎直子さんらを乗せたスペースシャトル・ディスカバリー号が宇宙へと飛び立った。大気圏を抜けるとき、体重の3倍“3G”の最大圧力が襲いかかる。必死に耐えていると、一挙に無重力状態へ。打ち上げから8分30秒後、上空400㎞に到達した。「Welcome to Space!(ようこそ宇宙へ!)」船長の声がコックピットに響き渡り、船内は歓喜に包まれた。

「シートベルトを外すと体がふわふわ浮き、窓の外にぽっかり浮かぶ地球を見たときに、『ああ、本当に宇宙に来たんだな』と実感が湧きました。無重力そのものは水の浮力などを利用し体験してきたはずでしたが、やはり言いようもない感動がありました」

宇宙滞在期間は、15日間だった。最大のミッションは、国際宇宙ステーションの組み立てだ。長さ17mのロボットアームを駆使して、建設現場で見るクレーン作業のように進めた。並行して科学実験や、地上と交信しながらの教育イベントをこなしていった。

「宇宙船の中は、極限に近い環境です。一つミスをすると命に関わる事故につながりかねません。そのため宇宙飛行士の間で基本を大切にすることを徹底しました。あいさつをしっかりする、気付きがあれば全員で共有する、きちんと整理整頓するなど、極限になればなるほど基本動作が大切でした」 

宇宙でも定期的に運動をするので筋肉はほとんど衰えなかったが、平衡感覚は狂ってしまった。地球に戻り1時間は立つことができず、A4の紙一枚が重力で重たく感じたという。

長い訓練期間を支えた言葉

山崎さんが宇宙に憧れるようになったのは幼少期のころだ。『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』といったアニメが少女の想像力をかき立てた。「大人になったらきっと私も宇宙に行くんだろう」そう信じて疑わなかった。

宇宙飛行士を「職業」として意識するようになったのは、中学校3年生のとき。

「受験勉強をしていたら、テレビでスペースシャトル・チャレンジャー号の事故が報道されたんです。これまでは物語の中で完結していた宇宙の世界が、現実にある。本物の宇宙船を相手に尽力する宇宙飛行士の姿に感銘を受けました」

その後、お茶の水女子大学附属高校に進学し、進路について真剣に考えるようになる。

「女子でも全校生徒の半分は理系を選択します。『海底都市をつくりたい』とか、私も『宇宙都市をつくる』などと、みんな壮大な夢を持っていました。ですから、理系に進み、エンジニアの道を選ぶのは特別なことではありませんでした」

大学では宇宙工学を学び、アメリカ留学、大学院を経て、宇宙開発事業団(現・JAXA)にエンジニアとして就職した。そこで宇宙飛行士候補者の募集を見て、受験を決意。11年2月に試験にパスしたことから、11年間の長い訓練に入る。

ロシア、カナダ、アメリカと場所を変えながら、訓練の日々が続く。その間に、山崎さんは結婚と出産を経験し、母になった。

「訓練自体は楽しかったです。が、宇宙飛行士はいつ宇宙に飛べるのか、一切本人に知らされません。5年先なのか、10年先なのか、何の確約もないまま毎日全力で訓練に臨まなくてはならず、モチベーションの維持が大変でした」

15年に起きた「スペースシャトル・コロンビア号の空中分解事故」も試練の一つとなった。搭乗員全員が犠牲となる甚大な被害を受け、山崎さんが携わるプロジェクトも空中分解状態になってしまう。見通しがつかないことで、家族にもしわ寄せがいく。

「私がロシアで訓練している間、夫は父子家庭の中、サポートしてくれました。逆に母子家庭のときもありました。子どもにも寂しい思いをさせていたので、一日も早く期待に応えたいとあせりました」

そんなとき救いとなったのはNASAやJAXAのフライトサージャン(専門医)だった。「責任感や使命感が強い人ほど、『絶対に成功しなくては』といった“○○しなければいけない症候群”に陥ってしまう。それだと視野が狭くなるので、物事を俯瞰(ふかん)してみなさい。あらゆる選択肢がある中であえて自分が選んでやっていることだと腹をくくれば、『また頑張ろう』といった主体性が生まれるものだ」。そんな言葉の数々が胸にしみた。

そして20年の11月、待ちに待った知らせが届く。送り主はNASAの当時のチーフ。「ナオコを宇宙飛行士にアサインした。頑張ってくれたまえ」という宇宙への“招待状”だった。

「チーフから直接連絡があるときは、何かとんでもないヘマをしでかしたか、とびきりグッドニュースかのどちらかです。後者で本当によかった……!」

いつか再び宇宙へ行きたい

15日間の宇宙飛行は、山崎さんの人生観を変えた。

「地球に戻ってきてふらふらしながら外に降り立ったときに、ふわっと風が吹いて空気と緑の香りがしたんです。ああ、なんてありがたいんだろうと思いました。宇宙にぽっかり浮いている地球の空気の層は外から見れば、驚くほど薄いものです。また、こうしている間も水不足で苦しんでいる方がたくさんいます。地球上の資源をみんなで大切にしていかなければならない」

外から地球を見たことで、いつもの景色が変わって見えるようになった。だからこそ、多くの人に宇宙体験をしてほしいと願ってやまない。

「今、力を入れているのは、子どもたちのための宇宙教育です。さまざまな学校に赴いて宇宙の話をするのは楽しい」

また山崎さんは、「公益財団法人日本宇宙少年団」のアドバイザーを務める。各地域ごとに星の観察をしたり、キャンプをしたり、水ロケットをつくるなどして、宇宙を通じて身の周りの自然や科学に興味を持ってもらうのが狙いだ。

個人としての夢は? と尋ねると、笑顔を見せた。

「長い目で、もう一度宇宙に行きたい。しばらくは子育てに力を注ぎつつ、バランスを見て宇宙の勉強を続けていきます。一人でも多くの人に宇宙に行ってもらいたいと願っています。そのためにも、宇宙旅行を実現させたいですね」

現在、宇宙に5分滞在するのに1千万〜2千万円の費用が掛かるという。しかし、宇宙への関心と需要が高まれば旅行費は一桁は下がってくるはず、と山崎さん。

「『チャレンジングだけど、インポッシブルではない』。これは現役時代に先輩の宇宙飛行士が繰り返し掛けてくれた言葉。夢の実現に向けて、ここからまた一歩一歩です」

山崎 直子(やまざき・なおこ)

宇宙飛行士

昭和45年、千葉県松戸市生まれ。東京大学工学部航空学科卒業、同大学大学院航空宇宙工学専攻修士課程修了。平成11年国際宇宙ステーション(ISS)の宇宙飛行士候補者に選ばれ、13年に認定。22年、スペースシャトル・ディスカバリー号(STS-131/19Aミッション)で宇宙へ。4月5日から15日間宇宙へ飛行した。23年8月JAXA退職。内閣府宇宙政策委員会委員のほか、立命館大学および女子美術大学客員教授を務めるなど活動は多岐にわたる。著書に『何とかなるさ!』(サンマーク出版)、『夢をつなぐ』(角川書店)ほか多数

写真・後藤さくら

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