旅館 若松本店
千葉県成田市
成田山とともに歩んだ歴史
平安時代の天慶3(940)年に開山し、現在でも一年を通して大勢の参拝客が訪れる成田山新勝寺。その門前に若松本店はある。江戸時代後期の明和5(1768)年に、若松屋吉右衛門が創業したとされている。
「昔のものが何も残っていないのです。そのせいで、いつ宿屋を始めたのか、実はまったく分かっていませんでした。創業年も、つい最近、判明したくらいです。そのため、私が何代目なのかは分かりません」と、若松本店の社長である土井一彦さんは笑う。10年ほど前、成田山に残る史料を研究している人に調べてもらったところ、明和5年に吉右衛門が旅籠(はたご)屋を開業していたことが史料に残されていたのだという。
「成田山の参道周辺はお寺所有の土地が多く、そこを借りて商売しているお店が多いのです。しかし、うちはお寺のすぐ前なのに自分の土地。これは私の想像ですが、うちはここでずっと農家をやっていて、成田山がたまたまうちの前に建てられた。そのうちに参拝に来た客に頼まれて泊めるようになり、そのうちに宿屋を本業にしたのではないかと思っているんです」
成田山は1000年を超える歴史を持つ。しかし、最初から今の場所にあったわけではなく、各地を転々としたあと、300年ほど前に今の場所に落ちついたのだという。若松本店の歴史が240有余年であることを考えると、この考えは当たらずとも遠からずといったところではないだろうか。
「私は昭和23年、戦後の生まれ。それ以前のことについては、父や祖父の話、成田山を研究する人の話、歴史の書物などを通じて知っている程度なんです」と土井さんは断りを入れてから、自身がこれまで見聞きしてきた話をした。
「成田山の旅館業のピークは明治前半。その後で成田と東京を結ぶ鉄道が開通すると、宿泊客はぐんと減ってしまったそうです」
その後、昭和に入ると戦争の影響でさらに参拝客は減少。しかし、日本の復興が進むとともにその数も回復していく。「地方から成田山の信者が年数回、団体で参拝に来てくれるようになりました。そのため、旅館は、彼らに泊まってもらうだけで商売になっていたようです」
ツアー客の受け入れに活路
しかし、そうした状況も長くは続かなかった。信者の団体客が徐々に減少。若松屋を含む成田山の旅館業は徐々に追い込まれていく。「そこで私の父は、旅行会社と提携してツアー団体客を受け入れるようにしていきました。これは当時の成田山では画期的なことで、ほかの旅館ではやっていませんでした」
当時は高度成長期。その波に乗って観光旅行が盛んになり、旅行会社が飛躍的に伸びていった時代だ。若松本店にも多くのツアー団体客が訪れた。「この選択のおかげでうちは旅館として生き残ることができたと思っています。成田山で今日、1年365日、旅館として店を開けているのはうちだけ。生き残っている店もレストランなどに業態をシフトさせています」
変わるべきところは変わる
ここ3、4年の一番の変化は、外国人宿泊客の数が大きく伸びていったことだという。特に去年、今年の伸びは著しい。
「今は外国からでもインターネットで予約ができますし、支払いもクレジットカードなので両替の問題もない。上げ膳据え膳で仲居さんにサービスされることが外国人客にとっては新鮮な体験のようで、喜んでいただいています」
とはいえ、外国人客を受け入れるに当たり、特別なことをしたわけではない。フロントに英語の話せるスタッフを置き、英語の説明書を用意しただけだ。「仲居さんは日本語で接客しています。顔を合わせて話せばだいたい通じるもの。言葉の面でトラブルになったことは一度もありません。それに料理も、うちは和食のみですが、みなさん喜んで召しあがっています」
そのため、今後も伝統だけに固執するのではなく、宿泊客のニーズの変化に合わせて若松本店も変わっていかなければならないと感じているという。そうでなければ店の存続が危うくなるからだ。
「旅館の様式が崩れてしまうのは残念です。でも変わらなければ。成田山の門前にあるという一番の財産を生かし、お客さまに気持ち良く過ごしていただくという旅館の原点は守ります。けれども同時に今は、どう変わっていけばよいのか、必要な情報を集めているところです」
お客さまへのもてなしという商売の中核は守りつつ、変化を厭わない老舗旅館。若松本店はこれからも成田山の門前で参拝客をもてなし続けていく。
プロフィール
社名:株式会社若松本店
所在地:千葉県成田市本町355
電話:0476-22-1136
代表者:土井一彦 代表取締役社長
創業:明和5(1768)年
従業員:35人(パート含む)
※月刊石垣2016年1月号に掲載された記事です。
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