カネ吉山本
滋賀県近江八幡市
川魚料理から牛肉販売に転換
日本三大和牛の一つとされる近江牛の産地である滋賀県の近江八幡市で、カネ吉山本は100年以上にわたり食肉の販売を行っている。明治26(1893)年に初代の山本竹三良が川魚料理店「納屋吉」を譲り受けて「カネ吉」として営業を始め、その3年後の29年冬に初めて牛肉販売を開始したのが始まりである。
「初代はその川魚店の料理人をしていましたが、店主が商売をやめることになり店を受け継ぎました。すると、知り合いから“これからは肉の時代だ”と言われ、京都に修業に出て、牛肉の扱い方や販売方法などを学びました。そして近江八幡に戻ってくると、牛肉の販売を始めたのです。ですので、牛肉の販売を始めた年を創業年にしています」と、四代目で、社長の山本俊恵さんは説明する。当時は冷蔵庫もない時代で肉の保存ができなかったため、販売は冬場だけだった。その後、夏場にも売るようになると、肉は涼しい井戸の中につるして保存した。「しかも、毎日販売していたわけではなく、入荷した肉を販売する際には、店の人が町に出て角々に立って販売する日を口上して回りました」
近江牛には400年以上の歴史があり、江戸時代には牛肉のみそ漬けが養生薬の名目で将軍家に献上されたこともあった。明治に入り、肉食が一般的になってくると、カネ吉山本でも取り扱う牛肉の量が増えていった。「そのうちに卸売りもやるようになり、北海道や東北にも販路を広げて、ドンゴロスと呼ばれる麻袋に肉をくるんで鉄道の貨車に載せて運んでいました」
年末年始は店の前に行列が
昭和初期には東京・神田に卸売りの出張所も開設し、三越本店の地下1階に直販店も開いた。そこで信用と実績を高めていき、ついには宮内省(現・宮内庁)の御用達にまでなった。しかし、戦時中は経済統制により牛肉の県外移出が禁止されたため、県外の店は引き上げざるを得なかった。「店の職人さんは戦争に取られ、経済統制で配給されたものを地元で販売することしかできなくなってしまいました。亡くなった初代の後を継いで二代目となった長男(病死)の妻・わさが、リヤカーを引っ張って配給された牛肉を受け取りに行き、それを販売するような時代でした」
戦後になり、わさの次男である卓次さんが三代目として店を継ぐと、徐々に商売も盛り返し、地元では“お肉といったらカネ吉”といわれるほどになっていった。俊恵さんが卓次さんの妻として嫁いできたのは、それからしばらくしてのことだ。「昭和39(1964)年のことですが、そのころは年末年始ともなると、お正月用のお肉を買いに来るお客さまが店の前に行列をつくるほどでした。店を開けたら夜の9時まで立ちっぱなしで、夜中にお客さまから『まだ肉が届いていない。寝ないで待っているから必ず届けてくれ』という電話がかかってきたりしたほどです」と俊恵さんは笑いながら当時を振り返る。
俊恵さんは店頭での販売や配達もする一方で、新たな商品開発も手掛けるようになった。それまではコロッケ、牛カツ、トンカツの3種類だけだったが、今では30種類以上の商品がある。現在、オリジナルレトルトカレー、ドレッシングはネット注文でも大人気である。
事業承継前に会社をスリム化
昭和54(1979)年には近江八幡駅前に新店舗(現本店)を構え、建物の2・3階では和牛や近江牛の料理を提供するレストランの営業も始めた。「大阪からコックさんを呼び、サービスも本格的なものにしましたが、当初はお客さまはそれほど多くありませんでした。ところが開店から2、3年して、料理長が霜降りの生の牛肉を使った寿司を考案して出したら、東京のテレビ番組で取り上げていただいたんです。それからはレストランにも大勢のお客さまに来ていただけるようになりました」
その後、2000年代初頭に発生したBSEや口蹄疫(こうていえき)問題の際には、大きな打撃を受けた。「それでも京都の料亭などから、カネ吉の肉なら大丈夫だからと買いにみえる方もいらっしゃいました。そういった信用は、自分たちが納得した良い肉だけをお客さまに提供することを徹底してきたことで得られたものだと思っています」と俊恵さんは断言する。
平成26(2014)年、卓次さんが会長になり、俊恵さんが四代目として社長に就任。今は長女に経営をバトンタッチするため、会社のスリム化を進行中だ。「会社というのは膨らませたり縮めたりしながらやっていくものと聞き、今がその時期だと思っています」
代が替わっても、〝おいしさは素材と食べ頃(鮮度)〟との信念は、決して変わることがない。
プロフィール
社名:株式会社カネ吉ヤマモトフーズ(かねきちやまもとふーず)
所在地:滋賀県近江八幡市鷹飼町558
電話:0748-33-3355
HP:https://www.oumigyuu.co.jp/smp/
代表者:山本俊恵 代表取締役社長
創業:明治29(1896)年
従業員:145人(パート含む)
※月刊石垣2019年11月号に掲載された記事です。
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