国が推進するキャッシュレス決済の中でも利用額を急速に伸ばしている「QRコード決済」。「QRコード」とは、デンソーウェーブの技術者・原昌宏さんが主導したプロジェクトから生まれた国産2次元コードのことだ。原さんが開発を願い出たとき会社が示した条件は、人員は2人、期間は2年、費用は最小限という厳しいものだった。だが原さんは期限内に完成させて国際標準のコードに育て上げた。そんな原さんに、プロジェクトを成功させる秘訣(ひけつ)とリーダーとしての心得を聞いた。
大人になったら父のように特許を取りたい
1980年、法政大学工学部電気工学科を卒業した原さんは日本電装(現デンソー、2001年に分社化によりデンソーウェーブ)に入社した。ものづくりの会社を選んだのは、父親の影響だという。
「技術者だった父の影響で小学生のころはプラモデルや電子工作キットなどを使ったものづくりが好きでした。父はカーボン抵抗の製造方法に係る特許を取っていて、親戚たちが(特許を取るなんて)すごい、すごいと言うのを聞いていたので、自分も取りたいと思うようになりました。そこで、大学では電気工学を学び、就職先にデンソーを選んだのです」
入社してバーコードの読み取り装置やOCR(光学文字認識/文字を読み取りコンピューターが利用できるコードに変換する技術)を開発する部署に配属されると、ハードウェアだけでなく、情報化時代を見越してソフトウェアの知識と経験も蓄積していった。
バーコードは、黒い縦縞(バー)と空白(スペース)で構成されていて、横方向のみでデータを表現することから1次元コードと呼ばれる。このころのデンソーは、工場で生産する自動車部品の管理に独自のバーコードを使っていたが、容量が小さく、増え続ける部品の管理に限界が来ていた。容量を増やすにはバーコードを横方向に広げるしかないが、それでは読み取り機の幅が広くなって使い勝手が悪くなる。幅を広げず数を増やすと、読み取り作業に時間がかかる。この問題を解決するには、「2次元コードを開発するしかない」と原さんは考えていた。
2次元コードは横と縦の両方向でデータを表現する。2次元コードの一つ「QRコード」は、白と黒の正方形(セル)によりデータを表現するマトリックス型と呼ばれるもの。容量が圧倒的に大きく、バーコードと同じ情報量であれば40分の1程度の大きさで済む。
迷ったときは現場やユーザーの声を聞く
92年夏、原さんは上司に「新しい2次元コードをつくりたい」と申し出た。
「最初は人が読める文字や数字をそのまま認識するOCRでやろうと思っていました。ところが現場に聞いてみると、何が書いてあるのかは関係なくて、速く正確にコンピューターに情報が入る方が重要だと言われました。当時の私は、2次元コードを開発できても200桁、300桁という大量のデータが読めなかったらどうしようという怖さを感じていて、人間も読めた方がいいということを逃げ口上にしたのだと思います。でも、現場の声を聞いたことで2次元コードの開発という目標が定まりました」
この体験もあり、原さんは開発途中で迷いが生じると、「使う人」の立場で正解を見つけていった。
後から振り返れば開発はおおむね順調だったが、行き詰まることはもちろんあった。
「そんなときは会社の実験室に座っていてもアイデアが出てこないので、リラックスできる環境に身を置くとか、趣味に没頭するとかして、気分転換を図りました。趣味は囲碁や旅行ですね。旅に出て電車に乗ることが気分転換になりました」
それ以外では食事中でも雑談をしていても、意識下では開発を前に進めるアイデアを考え続けていた。こんなエピソードがある。一番の課題だった高速読み取りを実現する技術に悩んでいたとき、通勤電車の窓から外の景色を眺めていてひらめいた。
「あるビルだけが目に付いたのです。建物自体は規則正しいデザインなのに、屋上だけ特徴的なデザインで目立っていた。そうか、QRコードにも目印を付ければ、高速でコードの判別ができるかもしれない」
原さんは、ひらめきや思いつきの類いもおろそかにしない。出社すると、すぐに実験に取り掛かった。「まずは試してみることが大事」だからだ。「うまくいかなくても試すことで新たな気付きが得られ、アイデアが深まっていきます。また部下に対しては自分が率先して動かないと示しがつかないという思いもありました」
16ページ下部に載っているQRコードを見ていただきたい。三つの大きな「回」字型がまず目に入る。これはQRコードがどの方向に向いていてもスキャナーが素早くコードを見つけて読み取るために設けた「切り出しシンボル」と呼ばれる目印だ。ビルの外観に誘発されたひらめきが形になった―というと簡単に生まれたように聞こえるが、読み取り時に誤認されない「切り出しシンボル」の発見は困難を極めたという。
原さんがリーダーとして心掛けていたことは、「部下たちとビジョンや夢を共有すること」だった。「休憩時間などに、よくQRコードを世界に普及させて世の中を変えていこうという話をしていましたね」。そうやってプロジェクトを目指す方向へ導いていった。
開発に優先順位を付けて進ちょくを管理
94年、念願のQRコードが発表された。プロジェクトは約束の2年の期限を守ることができた。その大きな要因は、「進ちょく状況の確認と、やるべきことに優先順位を付けたことですかね。最初から完璧なものをつくろうとはせず、ユーザーが最も求めていることをまず実現し、その後改良して裾野を広げていくつもりでした」
身内のトヨタグループを別にすると、「最初は文房具メーカーのカタログ、次にコンタクトレンズのパッケージに使われました」。QRコードの小ささが決め手になった。
原さん(デンソーウェーブ)はQRコードに関連した特許を取得したが、JIS/ISO規格に準拠したQRコードであれば誰でも使えるように開放した。
「2次元コードが氾濫するとユーザーが混乱するので、QRコードをいち早く普及させるためにオープンにしました。それにインフラ整備は1社ではできないので、他の企業が参加しやすい環境をつくることも目指しました」
現在、QRコードは誰でも発行できるが故に、今後は「発行元がはっきり分かる仕組みを実現したい。また映像が入れられるようになると世界が変わります。例えばQRコードに自分の治療履歴と心電図、レントゲン画像などを入れることができれば、緊急搬送時や災害などでネットワークがつながらないときの治療に役立ちますよね」。
QRコードの可能性は尽きないが、原さん自身は「いずれ退職したら農業をやってみたい」と話す。「品種改良に興味があります」。やはり根っからの技術屋だった。
原 昌宏(はら・まさひろ)
【QRコード開発者】
株式会社デンソーウェーブ AUTO-ID事業部 技術2部 主席技師。1957年東京生まれ。80年日本電装(現デンソー)入社。84年、コンビニなどで使用されているバーコードハンディスキャナを開発。88年世界初の多段読み取りハンディOCR開発。94年にQRコードを発表。99年JIS規格、2000年ISO規格に認定。01年分社化に伴いデンソーウェーブへ。02年全国発明表彰発明賞、R&D 100 Awards(米国)、04年モバイルプロジェクトアワード最優秀賞、14年欧州発明家賞、日本クリエイション大賞2019大賞など受賞歴多数
写真提供:デンソーウェーブ
QRコードは、3隅の切り出しシンボルにより、縦横の情報をどの向きからでも読み取ることができる
https://www.denso-wave.com/ja/system/qr/fundamental/qrcode/qrc/index.html
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