「群衆」(crowd)と「資金調達」(funding)を組み合わせた造語の「クラウドファンディング」。資金を集める選択肢の一つとして欧米で広がったサービスを、日本で初めて展開したのがREADYFORだ。2011年3月、米良はるかさんは弱冠23歳で、クラウドファンディングの先駆者として走り始めた。
シリコンバレーの文化に触れて一念発起
新しい試みは、とかく反対されがちだ。米良はるかさんが、日本で初めてクラウドファンディングというサービスをスタートさせたときも例外ではない。「クラウドファンディング? 何それ?」「ネットで資金集め? 怪しい」。そんな懐疑的な意見が数多く飛び交う中、突き進んだ。
「インターネットで契約や決済するeコマース全般に対する風潮としてありましたね。ネット決済のリテラシーが促進されたことで、そうした意見もなくなっていった感じがします」とさらりと語る。
クラウドファンディングは、コロナ禍で一気に知名度を上げた感はあるが、日本では2011年に始まった。口火を切ったのが米良さんだ。きっかけは慶應義塾大学大学院在学中に留学した米国、スタンフォード大学にある。
同大学はシリコンバレーの中心にあることから起業家、それもIT企業の創業者を数多く輩出してきた世界有数の名門校で、その校風に触れたことで、米良さんも自身の歩むべき道を見つけていった。
「私とほとんど年の変わらない女性がすでに事業を立ち上げていて、それをグーグルに売却したなんて話を耳にしたときは驚きました。米国ではすでにクラウドファンディングを活用したお金の流れも生まれていて、日本でも間違いなく起こる流れで、それが実現する社会にしたいとも思いました」と米良さん。この海外経験が、反対意見にもブレない覚悟と信念の核となる。
「もともと留学前からデジタル領域に興味があって、東京大学と産学連携ベンチャーで人物検索エンジンの立ち上げに関わっていました。その検索エンジンを元に、開発したネット上の投げ銭サービスで、パラリンピック日本代表のスキーチームのワックス代120万円の調達に成功しました」
浮き足立った思い付きではなく、自身の経験とグローバルな社会の潮流を分析し、クラウドファンディングは成長するマーケットになり得る。そう確信し、猛勉強してREADYFORを立ち上げた。
共感した人たちの思いをつなぎ、届ける
日本初のクラウドファンディング事業への不安は「全くなかった」と言い切る。シリコンバレーで目の当たりにした、テクノロジーを使って社会にインパクトを与えることに自分自身が挑戦するうれしさの方が勝っていたという。
「まずは『クラウドファンディング』という言葉を知ってもらうことに注力しました」と笑う米良さん。11年3月に前述の東京大学産学官連携ベンチャー内でREADYFORを立ち上げ、3年後の14年7月に独立した。
クラウドファンディングは、融資やローン、助成金や補助金とは異なり、誰でも手軽にサービスを利用でき、返済リスクがない安心感やプロジェクトの拡散性の高さによるPR効果が高いという特徴がある。それをプロジェクトの大小にかかわらず丁寧に伝え、結果を出し続けた。今では月200〜300件が公開され、プロジェクト累計数2万件以上、累計支援金額は200億円(21年4月現在)にも上る。プロジェクトの達成率は業界トップという輝かしい業績だ。
「コロナ禍で1億円規模のプロジェクトが生まれるなど、トップラインが上がりました。その分、社会的な役割や使命感をより強く感じています」と米良さん。
READYFORが支持される理由の一つに、初めてでも利用しやすいサポート体制がある。コストを抑えたシンプルプランもあるが、フルサポートプランなら専属のキュレーターがついてプロジェクトの準備から公開終了までサポートしてくれる。それに加えて、プロジェクトの掲載料はかからず、プロジェクト不成立なら手数料すらかからない。最古参にして業界最安水準をキープしている。自治体や大学、金融機関と連携したプロジェクトが活発なのも特徴的だ。
事業は着実に拡大していく一方で、急激な成長に組織の体制や理念の共有、カルチャーの浸透が追いつかず、米良さんは人知れず苦悩していた時期があった。そして17年、29歳のときに悪性リンパ腫に罹ってしまい、治療に専念することを余儀なくされる。
「ある意味、戦線離脱です。20代は無我夢中で事業を推進することに集中していましたが、30代になる直前で病気になったことは、自分の得意不得意を客観視し、経営者として組織やチーム体制を見直す良い機会になりました」
復帰後、会社のトップという立場と、責任感の強さ故に仕事を抱え込んでしまう傾向を改め、メンバーの個性や強みを生かしてチームで戦う体制へと切り替えていく。
コロナ禍で必要とされるサービスへと進展
そんな中起きたのが、新型コロナウイルス感染症の拡大だった。
「昨年2月からコロナ関連のプロジェクトがいくつも立ち上がりました。大規模イベントの主催者、大学生やJリーグの各クラブチーム、動物園や水族館など多岐にわたります。医療関連では4月3日に立ち上げた『新型コロナウイルス感染症:拡大防止活動基金』(通称、コロナ基金)が、最終的に8億7000万円集まり国内最高額に達しています。コロナ禍で、今までサービスを使う理由、必然性すらなかったところからの相談は増えています」
日本商工会議所と連携して立ち上げた地域飲食店応援プロジェクト「みらい飯」もその一つだ。昨年4月28日に始動し、これまでに61の商工会議所(21年7月現在)が実行者となり、地域飲食店4000店以上が参加している。これもREADYFORが社内に専門窓口を設けたスピード対応や知見、スキルが奏功している。
READYFORは今年3月で10周年を迎えるが、米良さんは歩みを止めない。
「誰もがやりたいことを実現できる世の中をつくる。その思いは変わりません。今年4月に『レディーフォー遺贈サポートサービス』をリリースしました。これは自分の資産を社会に役立てたいと考える人が遺言によって寄付を実施し、また、社会的な活動をしている団体にその寄付をつなぐサービスです。クラウドファンディングは資金調達だけではなく、プロジェクト後のモニタリングでニーズの可視化、事業展開のヒントに活用することもできます。今後も資本主義・既存の金融ではお金が流れない領域で、社会的価値を生み出す取り組みにお金が届くよう、もっと大きなインパクトを与えていきたいと思っています」
米良 はるか(めら・はるか)
READYFOR 代表取締役CEO
1987年生まれ。東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業。2011年に日本初の国内最大のクラウドファンディングサービス「READYFOR」を開始し、14年株式会社化、代表取締役CEO就任。World Economic Forumグローバルシェイパーズ2011に選出された。日本人史上最年少でダボス会議に参加。19年日本ベンチャー大賞で経済産業大臣省(女性起業家賞)を受賞した。首相官邸「人生100年時代構想会議」の議員や内閣官房「歴史的資源を活用した観光まちづくり推進室」専門家を務める
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