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あの人を訪ねたい 夏井いつき

「俳句は筋トレと同じ。続けていれば〝俳筋力〟が付いてうまくなります」

自身の創作活動のみならず、句会の開催や執筆、テレビ・ラジオ出演、講演会などにひっぱりだこの俳人・夏井いつきさん。ややもすると「敷居が高い」「高齢者の高尚な趣味」と思われがちだった俳句の世界を、多くの人たちに楽しく分かりやすく伝える伝道師の役割を担い、精力的に活動を展開している。

大好きな教師の仕事を辞める方便で「俳人になる!」

「凡人の発想ね」「論外です」「17音しかないんだから言葉を無駄遣いしない!」―。TBS系のバラエティー番組「プレバト!!」の「俳句の才能査定ランキング」で、芸能人たちの詠んだ句に容赦ない批評を浴びせながらも、的確な添削で見違えるような句に生まれ変わらせる。そんなスタイルが大いにウケて、同番組の人気を押し上げただけでなく、全国的な俳句ブームをけん引した。その立役者が、俳人・夏井いつきさんだ。

同番組を見て初めて俳句に触れた人も多いと思われるが、夏井さん自身が俳句と出合ったのは、中学校の国語教師になった1980年4月のことだという。

「懇親会の幹事を任されて、座席を決めるのにくじ引きではなく、俳句をくじ代わりに使ったら面白いんじゃないかと思い付いたのがきっかけ。俳句を文学作品だとは捉えていなかったから、敷居とかハードルとか全くなくて。そこから気付いたら結構ハマっていました」

仕事の傍ら趣味で俳句を嗜(たしな)んでいたが、結婚後に家庭の事情で生活が一変し、教師を辞めなければならないことに。しかし、それが俳人への扉を開く契機となる。

「教師の仕事はとても楽しかったので、本当は辞めたくなかった。教師を辞める別の理由、自分を納得させるための方便として、校長先生に『教師を辞めて俳人になる』と宣言してしまったんです。校長先生は『廃人』と思ったそうで、すごく怒られました」

退職後に松山市へ転居し、家事や育児が中心の日々を送る中、市内の公民館で開催されている句会に参加するようになる。ところが、句会に来る人は70~80代がメインで、60代でさえまだ若手。そこに30代で加わった夏井さんはひよっこ扱いされ、「俳句なんて棺桶(おけ)に片足を突っ込んでからやるもんだろう」と、ずいぶんからかわれたという。

それでも夏井さんはコツコツと俳句をつくり、投稿するようになる。「季語の現場人(季語の現場に立って俳句をつくる人)」をモットーとする俳人・黒田杏子(ももこ)さんに師事しながら研さんを積み、94年、俳句界の新人登竜門である「俳壇賞」を受賞。俳人としての階段を上り始めた。

俳句が富士山のように高く美しくあるには種まきが必要

夏井さんの俳句は、季語を入れた五七五の定型を基本としながら、従来の俳句的表現にこだわらない感性を生かした自由な作風だ。

「俳壇賞を受賞した際、審査員の先生から口々に『統一感がない』と言われました。それは裏を返せば、バラエティーに富んでいるということ。私は俳句が好きでたまらないので、ありとあらゆる俳句の良さを享受できる体になりたい。だから統一感がないのは、むしろ褒め言葉と受け止めました」

徐々に同世代の仲間と出会い、97年に俳句集団「いつき組」を結成する。また、全国の学校を回って俳句の授業を行う「句会ライブ」をスタートさせるとともに、全国の高校生がチームに分かれて俳句づくりを競う「俳句甲子園」の立ち上げにも尽力した。俳句づくりに加えて、こうした活動をする裏にあったのは危機感だ。

「俳句の世界に身を置くうち、このままでは俳句をやる人がいなくなり、根腐れしてしまうのではと思い始めました。そもそも、『俳句は棺桶に片足を突っ込んでいる人がやるもの』ってこと自体がおかしくないですか? 子どもから大人まで、幅広い人に俳句の楽しさを伝えたいと思ったんです」

そんな活動を否定的に捉える人も少なからずいたという。俳句が大衆化することで、レベルの低下を危惧したのだ。しかし、その考えには違和感があると言い切る。

「その論法でいくと、少年野球や草野球をする人が増えたら、プロ野球の実力が下がるということになります。それは逆でしょ。裾野が広がれば山は高くなる。俳句が富士山のように高くて美しい山であり続けるためには、裾野に種をまくことが必要です」

自ら「俳句の種まき」と称する活動に、冒頭の「プレバト!!」が果たした役割は大きい。夏井さんは番組内で良い句は良いと褒め、そうでない句には容赦ない批評を浴びせるが、そこには愛がある。それが伝わるから、出演者は「次こそは!」と食らいつき、どんどん上達していく。視聴者にも俳句の魅力や奥深さが伝わって、始める人が急増している。

夏井さんは番組の演出で毒舌キャラを演じているわけではなく、通常の句会もスタンスは同じだと話す。句会では、参加者は名前を伏せて俳句を提出し、互いに気になる句を選び合う。選ばれた句はどこが良くて何がダメなのかを批評され、ヒントをもらえるが、選ばれない句は誰の目にも触れずに終わる。だからこそ、参加者は自分の句を選んでもらおうと日々勉強し、句作に励むのだ。

「俳句は筋トレと同じ。やればやるだけ〝俳筋力〟が付いてうまくなります。才能やセンスはほとんど関係ありません。続けるか続けないか、それだけです」

100年のスパンで考えなければ何も育たない

昨年は、コロナ禍の影響で句会が開催できなかった代わりに、新たな収穫があった。インターネットの利用が一気に広がりを見せたのだ。遠く離れた人とも句会ができ、投句や選句が簡単で、自動的に結果を集計・発表してくれるインターネット句会のシステムもよく利用されるようになった。また、YouTubeなどの利用も増え、同時配信の句会ライブでは、コメントだけでなく、チャットで視聴者同士の交流もできるとあって、新しい俳句の楽しみ方がさまざまに広がってきている。

「インターネットの広がりで、一つ新しい形を手に入れたと感じます。人と関わるのが苦手な人でも気軽に参加できるし、やっているうちにファンが付いたり、ライバルが現れたりして励みになります。これを入り口に俳句に親しむ人がさらに増えてほしい」

俳人を目指して三十余年。ブレずにやってきた「俳句の種まき」は、100年先の俳句の未来を見据えた活動だ。

「初めは、うちの口の悪い組員たちから、『また組長が大風呂敷を広げ始めた』と言われた活動でしたが、今では組員それぞれが、できる形で俳句の種まきに協力してくれています。教育や文化というのは、100年というスパンで考えていかないと何も育たないでしょう。今の私にできることは、日本中の『俳句できません』というたくさんの人に種をまき続けることです」

言葉がないがしろにされていると言われる今日。たった17音で表現する面白さを伝え続ける強い意志が、夏井さんの柔和な笑顔の奥に垣間見えた。

夏井 いつき(なつい・いつき)

俳人

1957年生まれ。愛媛県出身。俳句集団「いつき組」組長。8年間の中学校国語教師生活を経て俳人へ転身。94年俳句界の新人登竜門「俳壇賞」、2000年「第五回中新田俳句大賞」、05年NHK四国ふれあい文化賞、18年放送文化基金賞・個人部門、21年日本放送協会放送文化賞などを受賞。テレビ・ラジオ出演のほか、俳句の授業「句会ライブ」、全国高校俳句選手権「俳句甲子園」の立ち上げにも携わるなど幅広く活動中。『夏井いつきの世界一わかりやすい俳句の授業』(PHP研究所)、『夏井いつきの365日季語手帖』(レゾンクリエイト)など著書多数

写真・後藤さくら

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