豊かな演技力で古典から狂言、新作歌舞伎までこなし、立役から女方まで務める歌舞伎役者・松本幸四郎さん。映画やテレビドラマなどにも活躍の場を広げている。さらに、コロナ禍で公演中止が相次いだ2020年、史上初のオンライン配信専用「図夢歌舞伎(ずうむかぶき)」を企画・実現するなど、常に新たな挑戦を続けている。
歌舞伎の非現実性が演者として魅力
歌舞伎は国の重要無形文化財であり、09年にはユネスコの無形文化遺産にも登録された日本固有の伝統芸能である。
現在の松本幸四郎さんは6歳で初舞台を踏み、8歳で市川染五郎を襲名。以降は古典から狂言や新作と、役柄も立役(善人男性)や敵役(悪人)、女方(女性)までを幅広く務めてきた。
「生まれたときから身近に歌舞伎があったので、それをするのが当たり前と思って育ちました。高校生の頃に、このままこの道を行くのかなと考えてみたこともありましたが、一方で自分は歌舞伎をやるために生まれてきたという思いもあって、自分に暗示をかけながらやってきた部分もありましたね」
そんな幸四郎さんは歌舞伎の魅力を、非現実的なところだと語る。登場人物しかり、衣裳やかつらしかり、白塗りや隈(くま)取りなど独特の化粧しかり。そうした日常にないものばかりの世界に入り、多様な役に変身できるところに面白さを感じるという。
「歌舞伎の楽屋で何十分もかけて化粧をするうち、徐々に役に入っていきます。そして舞台が終わって化粧を落とすと現実に戻る。『今日は疲れたからこのまま帰ろう』ってわけにはいかないでしょう? ですから化粧をして、またそれを落とす静かな時間が、現実と非現実を切り替えるスイッチのようなものかもしれません」
幸四郎さんは歌舞伎だけでなく、映画やドラマなどにも多数出演しているが、それぞれに対するスタンスは変わらないという。表現方法の違いこそあれ、一つの役を演じる上では全て同じと捉えている。
「大きくても1500席程度の劇場と比べて、テレビドラマなら、はるかに多くの人たちに見てもらえます。だからといって、歌舞伎を知ってほしいからドラマに出演しているのではなく、純粋に役者としてどこまで通用するか挑戦したいという気持ちが強い。その結果、私を知ってもらい、歌舞伎を見に来てくださる方が増えればうれしいです」
伝統の「型」にこだわらず新作の歌舞伎に挑む理由
歌舞伎における古典と新作の違いを大まかにいえば、江戸時代に歌舞伎を専門とする作家が脚本を書いたものが古典、明治以降に学者や文化人などが書いたものが新作である。幸四郎さんはどちらも演じるが、挑戦という意味で力を入れてきたのは新作歌舞伎だ。
「古典には代々受け継がれてきた『型』があり、その通りに演じることが目指すべきゴールといえます。その点、新作には型がないので、目指すべき方向を自分で決めなければなりません。これが正解というものもなく、途中で迷ったり、立ち止まったりして、つくり上げるにも時間がかかります。それでも今まで見たことのないような歌舞伎をやってみたいんです」
実際、幸四郎さんは日ごろから「このテーマを歌舞伎にしたら面白いのでは」という目線でアイデアを蓄積し、実際に形にもしてきた。その好例に、15年のラスベガス公演がある。今や歌舞伎の公演は世界の100を超える都市で開催されているが、新作が披露されることは少ない。そこにエンターテインメントの本場で新作を公演するチャンスが訪れ、幸四郎さんは狂言作品『鯉つかみ』をテーマに、最新テクノロジーと歌舞伎を融合させたスペクタクル・ショーを企画した。
「『鯉(こい)つかみ』は、主人公が本性を現した鯉の精と水中で格闘する場面が大きな見せ場。どう表現しようか考え、アクションの部分を強調することにしました。ベラージオの噴水をウォータースクリーンに見立てて、巨大な鯉のホログラム映像を出現させるなど、歌舞伎を知らない方でも楽しんでもらえることに重点を置きました」
この公演には3日間で延べ10万人を動員し、大きな反響を呼んだ。こうした機会に世界中の人に、歌舞伎をオペラやミュージカルのように一つのジャンルとして認識してもらい、いつしか歌舞伎専用の舞台のある日本に見に来てほしいという。幸四郎さんは自身の役者としての挑戦とともに、歌舞伎を広く発信することにも挑んでいる。
舞台以外でできることを模索オンライン配信に行き着く
18年1月、歌舞伎座にて十代目松本幸四郎を襲名した。家長の名前を受け継ぎ、気持ちを新たに舞台に立っていた矢先、歌舞伎界を襲ったのが新型コロナだ。20年2月を最後に、予定されていた公演が軒並み中止となり、いつ再開されるか分からない状態となった。
「人間、2週間も寝たきりになったら、すぐには歩けないでしょう?歌舞伎役者も同じです。それがすごく怖かったし、場がないと何もできない役者は無力だなと思い知らされました」
舞台以外でできること、多くの人が集まらずに作品をつくる方法は何かと考えた末、行き着いたのが歌舞伎のオンライン配信だ。Web会議システム「Zoom」に着想を得て、実質1カ月ほどで史上初のオンライン専用「図夢歌舞伎『忠臣蔵』」を配信した。幸四郎さんは構成・演出・出演を担当。単なる名作のダイジェスト版ではなく、画面を3分割や4分割して、別の場所で演じている役者が同じ舞台に立っているように見せたり、録画映像を活用して同時に2役を演じ分けたりするなど、前例のない試みに挑戦した。結果、予想を超える人たちが配信を楽しんでくれたことが分かった。オンライン配信による歌舞伎は、今後、生の舞台と両立する形で進化する可能性を秘めている。その立役者である幸四郎さんは、日本クリエイション大賞2020「伝統文化革新賞」を受賞した。
「図夢歌舞伎は、劇場で芝居をすることの意味を改めて見つめ直す機会になりました。たとえコロナが終息しても、以前のようには戻らないでしょう。すでに変わってしまった世の中に合わせて、私たちも変わっていかなくてはいけません。図夢歌舞伎で、また新しい形を手に入れたと感じています」
歌舞伎がこの世に誕生して400年余り。日本固有の、男性のみが演じる伝統芸能として受け継がれてきたが、元は阿国(おくに)という女性が始めた「かぶき踊り」で、時代とともに変化を遂げてきた。先人を敬う精神は絶やさず、変化に対応し、挑戦し続けたいと、幸四郎さんは口元を引き締めた。
松本 幸四郎(まつもと・こうしろう)
【歌舞伎役者・俳優】
1973年東京生まれ。二代目松本白鸚長男。79年3月、歌舞伎座『侠客春雨傘』で三代目松本金太郎を襲名して初舞台を踏む。81年10月、歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵』七段目の大星力弥ほかで七代目市川染五郎を襲名。87年、舞台『ハムレット』で主演を務め、注目を集める。以降、歌舞伎のほかに、映画やドラマなど多岐にわたり活躍中。2018年1月、歌舞伎座高麗屋三代襲名披露公演『壽 初春大歌舞伎』で十代目松本幸四郎を襲名
写真・後藤さくら
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