電気、電子工学分野において世界を舞台に活躍しているのが、千葉商科大学副学長の橋本隆子さんだ。理系や技術系の若手育成に力を入れ、自身のキャリア形成においても女性技術者・研究者のロールモデルとして注目度が高い。とかく女性の比率が低いといわれる分野で、世界が評価する橋本さんの活動に迫った。
プログラミングにハマり IT技術者、研究者の道へ
日本の理系女子学生の割合は、先進国の中でも低い水準にあるといわれて久しい。そうした中で千葉商科大学副学長の橋本隆子さんのキャリアは群を抜いている。
もともと数学が得意だった橋本さんは、お茶の水女子大学理学部に進学。そこで必須科目だったプログラミングに触れたことで、たちまちのめり込んでいった。
「プログラムは組んだ通りに動き、結果が出るのが面白くて、夢中になりました。大学では量子化学の研究を、卒業後はリコーのソフトウェア研究所に入って、マルチメディア技術の研究開発に携わるなど、プログラミングを通してキャリア形成をしてきました」
約24年間、研究者、開発者としてリコーに在籍した橋本さんは、その間に結婚、出産を迎える。だが、当時は今以上に出産、子育てをしながら仕事を続けることが難しい時代。橋本さんも一度は退職を考えた。その時に、待ったをかけたのが大学の大先輩で、すでに日本を代表する女性技術者として活躍していた國井秀子さん(リコー執行役員などを経て、現・東京電力ホールディングス取締役)だ。
「子どもを産んだ後も細々とでいいから仕事は続けなさい。そう言って応援してくださいました。育休後に仕事に復帰しようと決断できたのも、國井さんのおかげです」
仕事と家庭の両立に何度もくじけそうになり、「子どもがかわいそうだ」と言われることも少なからずあったという。それでも研究者であり続けたのは、國井さんや家族、周囲を含めたサポートと、技術開発を通じて課題を解決したときの達成感があればこそだと、しみじみと語る。
そして、海外との共同研究や行政関連のプロジェクトなど、橋本さんのポジションや仕事のスケールが広がる中、痛感したのが日本のIT、ICT分野の遅れだ。女性比率も一向に上がらない。ある日、國井さんから「手伝ってほしい」と一報が入る。それが米国電気電子学会「IEEE」(アイ・トリプル・イー)と関わるきっかけとなった。
女性技術者の支援で国際的な評価を得る
IEEEとは、米国に拠点を置く電気・電子分野における専門家組織で、いわゆるテクノロジー系の学会だ。会員数は世界約160カ国、42万1000人以上(うち日本会員は約1万3000人)と世界最大規模を誇る。このIEEEには女性技術者支援団体「WIE」(Women In Engineering Committee)があり、世界約100カ国、3万6000人以上の女性技術者らで構成している。IEEEジャパンカウンシルWIEの会長に、2008年、國井さんが就任し、橋本さんが國井さんをサポートすべく事務局長として入会することになったのだ。
そして、橋本さんは11~14年にはアジア地区のWIE議長に、12、13年には國井さんが務めたIEEEジャパンカウンシルWIEの会長に抜擢され、さらに15~16年には世界WIE議長に選出と、頭角を現していく。
「このころから話し掛けられる英語も急に難しくなりましたね。カリフォルニア大学ロサンゼルス校のパブリックスピーキング講座を受講しましたが、優秀な人たちに囲まれて自分の存在意義に悩み、何度『be myself』と自分に言い聞かせたか分かりません」
プレッシャーに押しつぶされそうになる中、橋本さんはWIEの革新的な技術による社会貢献活動、女性技術者支援の裾野を広げていくことに存在価値を見いだしていく。そして19年12月に朗報が入った。顕著な学会活動に取り組んだ会員を表彰するIEEEにおける最高位の賞「MGAラリー・K・ウィルソン トランスナショナル アワード」を日本人で初めて受賞。学会の企画や運営、グローバルな体制づくり、講演、女性技術者支援など、橋本さんの熱心な取り組みが高く評価されたのだ。
新しいことに次々挑戦し自分の可能性を引き出す
IEEEだけでも目を見張る活躍だが、IEEEに入会した翌年の09年に橋本さんは、千葉商科大学の教員として教壇に立ち、18年には副学長に就任している。自身の研究から国際活動、さらにデジタル人材の育成にも尽力するが、本業は大学の副学長と明言する橋本さんはこう続けた。
「大学の経営や研究推進、教育の環境整備に努めています。ITに関する基本的な知識やスキルは文系、理系を問わず求められる異分野融合の時代です。本学では、経営や経済の知識を持つ学生らに、ITやデータサイエンスを教えることで、ITに特化した人材とはまた違った魅力あるデジタル人材を育てることができます」
研究における国の補助金は右肩下がり。失敗を恐れて挑戦しない日本の学生と、学ぶことに貪欲な諸外国の学生との温度差を目の当たりにしているからこそ、橋本さんの思いは切実だ。
「インドやマレーシアでは、すでに工学部の女子学生比率が50%を超えています。急速に進化、変化する国々がある中、日本はこの30年間変わっていない印象です。99%が中小企業という日本企業において、ITコンサルができるデジタル人材を育てることは、日本の遅れを取り戻すことにつながります。スピード感、温度感の差をこれ以上広げないためにも人材育成は重要な社会課題で、社会人のリカレント教育も含めてサポートしたい」と橋本さん。課題や日本人の強みが認知されていないからこそ、そこにビジネスチャンスがあり、成長産業になり得ると前向きに捉える。
国内外で精力的に活動を続ける橋本さんは、「大学、学会、研究といろいろやることでストレスが分散される」と笑う。落ち込みやすい性格だが、あえて嫌なことを忘れ、くよくよしない強さを心掛けるように意識しているのだという。
「IEEE WIEの活動を通して、メンタルトレーニングをするなどして感情のコントロールがいかに重要なことかを学びました。日本人、特に若者たちは世界における日本の立ち位置を知って、グローバルな観点とリスクを取ってチャレンジする心を持ってほしいです。経験して得るものは大きい。日本はデジタル化が遅れているからこそビッグチャンスあり。新しいサービス、技術が生まれるのはこれからです」
日本という箱の中にいては、箱の中にいることにすら気付かないと語る橋本さん。箱の中も外も知る橋本さんの言動は、学生たちだけではなく多くの人を鼓舞し、希望を与えている。
橋本 隆子(はしもと・たかこ)
千葉商科大学副学長
1964年生まれ。お茶の水女子大学理学部卒業後、リコーのソフトウェア研究所に勤務。2005年に筑波大学の博士(工学)の学位を取得。09年に千葉商科大学商経学部准教授、15年に教授、18年4月より副学長に就任している。2008年IEEE(米国電気電子学会)の事務局長を務め、19年には日本人初のIEEEの最高位賞「MGA Larry K. Wilson Transnational Award」を受賞。IEEE Japan Council ChairやIEEE Computer Society理事を務め、22年IEEE Asia Pacific(R10)Director 2023-2024選挙で女性2人目、日本人女性で初当選する。21年、JNTOのMICEアンバサダーに任命される。
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