華やかな職業の代表格、テレビアナウンサー。その狭き門をくぐり抜け、テレビ朝日の〝人気女子アナ〟として活躍した前田有紀さんは10年のキャリアを捨て、単身、花卉(かき)業界に飛び込んだ。英国に留学し、都内の生花店勤務を経て独立。フローリストとしてのセカンドキャリアも10年を数える。〝自分らしく生きる〟に全振りし、切り開いた道には笑顔があふれる。
各界のプロにマイクを向け見つめ直した自分の生き方
憧れの職業の一つであるテレビ局のアナウンサー。その狭き門を、前田有紀さんは大学卒業と同時にくぐった。それも入社6日目にして、お笑い芸人のナインティナインの矢部浩之さんがMCを務めるサッカー情報番組「やべっちFC」の進行アシスタントに大抜てきされるのだ。以来、10年間レギュラーを務め、バラエティーやニュース番組など、人気の〝局アナ〟として活躍する。 「テレビ局に勤務する4歳上の姉から『365日、1日も同じ日がない刺激的な仕事で楽しい』と話を聞いていて、興味を持ったのが始まりです。ほかにも広告代理店や商社を受けるつもりでいたのですが、入社試験が一番早かったテレビ朝日のアナウンス部に採用が決まって。ほかの試験が早かったら? そうですね、違う会社に入っていたかもしれません」
そう言って前田さんは屈託なく笑う。アナウンサーに固執したわけではないというが、入社後の前田さんは昼夜を問わず遮二無二に働いた。子どもの頃から乗馬をしていたほど活発な性格で、高校生になると周囲は大学受験に向けて夏期講習に通う中、単身モンゴルに旅行しては草原を馬に乗って駆け巡った。それも高1から2年連続だ。大学に進むと東南アジアへNGOの調査に行ったり、ラクロス部に入部して東京・多摩川の河川敷で汗まみれになって練習したりと、とにかくアクティブである。 「培った体育会系気質のおかげで、ハードで不規則な生活も乗り切れたのかもしれません。テレビ業界は姉が言っていた通り刺激的で、無我夢中の毎日でした」
だが入社して5年目頃から、自分のやりたいことをいま一度見つめ直す。それはスポーツ選手をはじめ、その道のプロフェッショナルのインタビューを通し、目を輝かせて自分の経験やこれからの目標を語る姿を見聞きする中での自問だった。 「周りの環境にも人にも恵まれて、アナウンサーという職業にもやりがいを感じていました。でも、都会のど真ん中で分刻みに働く中、生活に意識的に花を取り入れるようになると、ゆっくりと成長する植物や、季節が移ろう自然界の在り方に惹(ひ)かれていきました。漠然とですが、自然に関わる仕事がしたいと思うようになっていったのです」
元来、屋内よりも屋外の活動が主だった前田さんは、2013年退職する。スタジオを飛び出し、向かった先は英国。それも古城の広大な庭だった。
アナウンサー時代とは百八十度違う生活にまい進
「コッツウォルズ・グロセスター州の古城の見習いガーデナーの募集記事を見て、これだと思いました。アナウンサーの仕事もちょうど10年を迎えた頃で、周囲からは『もったいない』『フリーアナウンサーという道もある』と言われましたが、姉だけは『たった一度の人生だからやりたいことをやった方がいい』と背中を押してくれました。英国に渡り、フラワースクール、語学スクールを経て、約半年間、見習いガーデナーとして働きました。連日の力仕事で頭はボサボサで服は泥まみれ。アナウンサーとは百八十度違う環境下でしたが、今の自分の方が本質的で、選んだ道は間違っていない。そう確信する楽しさがありました」
帰国後、都内の生花店に勤め、その間に結婚、出産という人生の節目を迎える。選んだのが「休業」ではなく「起業」だ。 「妊娠中は、これまでできていたハードワークができなくて、それでも仕事を手放したくない。でも、思うように体が動かず、お店に迷惑をかけてしまう。そうしたジレンマを抱えて、仕事も子育ても両立できる方法として、起業という道を選びました」
生花店勤務から約3年後に独立し、18年に「スードリー」を設立し、フラワーブランド「gui(グイ)」を立ち上げる。グイとはフランス語でヤドリギを意味し、「花とあなたが出会う場所」をコンセプトに移動販売を中心とした活動を始めた。自然の少ない都会の暮らしにこそ花やグリーンを届けたい、と積極的にPR活動をし、異業種コラボレーション企画も打ち出していく。花や植物全般の商品企画や制作、販売、一般住宅や店舗、イベントなどの内外装飾やコンサルティング業務と、役割をこなす受動的な働き方から、能動的に仕事の幅を広げていった。
フラワーロスを減らし花と人々の笑顔をつなぐ
二児の母となった21年には東京・神宮前に実店舗「NUR(ヌア)」をオープンし、事業を拡大する。 「主人をはじめ周囲の協力があってのことです。起業後に意識したのは、自分だけ、家族だけで抱え込まず『助けてもらうこと』。病児保育などの公共のサポートを活用したり、大口案件は花屋仲間にサポートしてもらったり、クライアントに相談して現場にベビーカーを押して向かったこともありました」
人的サポートに加えて、デジタル化も進め、前田さんはワークライフバランスを整えていった。さらに時間をやりくりし、全国の花生産者にも会いに行った。 「前職のインタビュー経験が役に立ちました。そこで見聞きしたのは気候変動などで、花の生育状況、開花時期などが変わってきた厳しい現状です。お客さまに花を届けるときに、農家さんの思いや花にまつわるエピソードを伝えることも意識するようになりました」 さらに前田さんは、生産された花が消費者の手に渡らず廃棄されるフラワーロスにも目を向ける。 「大掛かりな撮影やイベントで使用した花は、販売できないので関係者にブーケにして渡したり、ドライフラワーにしたりします。大量に残った花は児童養護施設や保育園などに寄付することも。フラワーロスを悲痛に訴えるのではなく、明るい気持ちを大切にしながら伝えるようにしています」
自然に触れる機会の少ない都会の子どもたちを対象にしたワークショップにも注力したいと語る。その一方で22年には新規事業として「好きを仕事に研究会」を立ち上げた。 「ゼミスタイルで、より自分らしく生きるためのサポート活動です。これまでも転職や起業に関する相談を受けることが多々あったので、私の経験を通して、やりたいことがあっても踏み出せないでいる人の力になれることがあればと思って企画しました」
自分の「好き」に正面から向き合い、得られた充足感が活動の原動力と言う前田さん。花のある暮らしの裾野を広げつつ、好きなことを追求する人を増やしていく。多彩な活動の先に見ているものは、喜びに満ちた人々の笑顔だ。
前田 有紀(まえだ・ゆき)
フローリスト
1981年神奈川県生まれ。2003年慶應義塾大学総合政策学部卒業後、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして、スポーツやバラエティー、ニュース番組など多分野で活躍する。13年に退社し、渡英。コッツウォルズ・グロセスター州の古城で見習いガーデナーを務める。都内の生花店に勤務。18年に独立して「スードリー」を設立し、フラワーブランド「gui」を展開。21年に実店舗「NUR」をオープンし、花や植物関連の事業を多角的に展開している。オンラインストアもあり
写真・後藤さくら
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