師として仰いだ船井総研の創業者、舩井幸雄氏が元気であった頃、「丸井」の青井忠雄会長と私の3人で、年に一度、会食をしていました。お二人より14歳年下の私は出過ぎた会話はせず、もっぱら二人の話に聞き入るばかりでしたが、ある年、私は約束の時間よりだいぶ早く会場に着いてしまい、二人を待っていたところ、その日は青井会長も30分ほど早く到着されて、舩井氏が来るまでの間、江戸っ子同士で蕎麦(そば)談義に花を咲かせました。
蕎麦好きの多くは、それぞれ自分が一番うまいと思う蕎麦屋があるものです。青井会長は、「室町砂場」が一番、「並木藪蕎麦」が二番、そして「吾妻橋やぶそば」の鴨(かも)汁そばが三番、と言い切りました。私の意見は会長の一番と二番が逆でしたが、そのことよりも隠れた名店といわれている吾妻橋を挙げられたことに、大きく相づちを打ちました。