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あの人を訪ねたい 後藤佑季

「障害があるからと、諦めたくない。私にもできるって証明したいんです」

パラスポーツの現場に、フレッシュな笑顔が飛び込んできた。「NHKパラリンピック放送リポーター」として奮闘するのは、後藤佑季さん。2年前、大学在学中に障害のある人を対象にした公募で選ばれたシンデレラガールだ。先天性の聴覚障害があり、当事者としての目線も持ちながら東京パラリンピックの魅力を伝えている。大会の目標である「共生社会の実現」を後押ししたいと考えている。リポーターの活動を通して感じている課題と解決へのヒントを、等身大の言葉で語ってくれた。

健聴者に近づきたくて根気よくリハビリに励む

話す声は、高く、澄んでいる。発音に不明瞭なところはほぼなく、一見して、後藤さんが聴覚障害を抱えると気が付く人は少ないだろう。こうしたケースを、後藤さんは「見えない障害」と表現する。

後藤さんが、先天性の感音性難聴と分かったのは、2歳半の時だった。以来、補聴器をつける生活を送ることになったが、小学校に進学すると障害の程度が進行し重度に。9歳で人工内耳の手術を受け、半年間リハビリに励んだ。人工内耳とは、音を電気信号に変えて脳に伝える「電子医療機器」のこと。装着すればたちまち聞こえるようになるわけではなく、根気がいるリハビリを経て、聞こえる音の幅を広げていく。義足などと考え方は同じで、どう使いこなすかは、本人次第なのだ。ただし、人工内耳は機械だ。ひとたび電池が切れると、たちまち後藤さんの周りは「音の無い世界」になる。

そんな後藤さんにとってスポーツは、自己表現の一つだった。運動神経が良く身長にも恵まれ、スポーツで男子を打ち負かすような活発な少女だった。陸上競技に目覚めたのは、足が速かったからだった。小学6年生の50m走の自己ベストは7・0秒。難聴なので、「ヨーイドン!」が聞こえづらく、スタートが遅れることもあった。それでもクラスの誰よりも早くゴールのテープを切った。「私は陸上競技が好きです。努力の成果が記録という数字に表れるから」。走って、また走って、「ここまでできるんだ」という達成感を味わった。

試練が訪れたのは、東京の大学に入学してからだった。痛感したのは「認知」の違い。高校とは違い、いつも同じメンバーではないため一から「見えない障害」について説明して回らなくてはならなかった。勉学が本分の学生にとって、講義が聞きづらいのは死活問題だった。理由は、音の質にある。後藤さんが人工内耳で音を拾いやすいのは肉声だ。しかし、大学の講義はほとんどがマイクで行われるため、授業のたびに教授のもとへ行き、聴覚障害者用の補助マイクで講義してもらう日々……。

ショッキングな出来事は、英語の科目で起こった。試験をシャドーイング(音声を聞いた直後に復唱する)で行うというのだ。健聴者は多少音が重なっても聞き分けることができるが、内耳に障害を持つ後藤さんには難しい。教官に事情を説明し、「別の方法でテストを受けさせてもらえないか」と必死で交渉した。この時、突き返された教官の言葉が、後藤さんの胸をえぐった。「本当にできないの? でも、あなた、私とちゃんと会話できているじゃない」。これが「見えない障害」の大きな壁である。

「私は健聴者に近づきたくて、聴く力と話す力を磨きました。けれど、発声が上達すればするほど、障害が見えなくなるというジレンマが生じたのです」

この体験が、後藤さんを奮起させた。チャンスは、大学3年生の時に訪れる。NHKが初めての試みとして障害のある人に呼び掛けた「リポーター募集」を偶然見つけ、応募を決意する。自ら表舞台に立つことで「見えない障害」を世間に伝えようとしたのだ。見事、リポーターの座を射止めると、授業の合間を縫ってリポーター活動に勤(いそ)しんだ。彼女の上司であるNHKの林敦史さんは言う。「彼女は自分からは言いませんが、大学を首席で卒業しているんです。これには驚かされました。テスト期間中ですら出勤して、リポーターの仕事に打ち込んでくれていましたので」

健常者にも伝わる「共通言語」を模索中

後藤さんは、主にパラ陸上を担当している。中でも感銘を受けたという競技者は、ドイツの義足ジャンパーとして知られるマルクス・レーム選手だ。健常者を抑えて、国内の走り幅跳び王者になったことでも知られる。

「自分の体ではない義足を、体の一部として扱えるようになる過程は、私が人工内耳で経験したことと似ています。この『過程の難しさ』を伝えられるようになりたい」。義足さえ装着すれば、すぐに遠くまでジャンプできるわけではない。義足に思い切り体重をかける覚悟と技術を要し、競技者にとって大変な「恐怖」となる。後藤さんには、その気持ちが理解できる。だから、“自分の言葉”で伝えたいと、より一層の使命を感じるのだ。

「正しく伝えるには、健常者の方にも想像してもらえる『共通言語』で話すことが大切です。例えば、私は渋谷駅の雑踏の中にいると、ただそこにいるだけで疲れるんです。これは、健常者がゲームセンターにいる感覚に似ていると思います」。確かにそう表現すると、聴覚障害者の“体感”を想像できる。

レーム選手は、義肢装具士の資格も取得し、職人としても障害がある人たちを支え、「障害者の方のロールモデルになりたい」と語っている。「私も、彼のように、自分にしかできないことを仕事にしたい」と、後藤さんはインタビュー中も目を輝かせた。

聴覚障害がある人のロールモデルに 

今回のリポーターとしての仕事には契約期間があり、2020年東京パラリンピックを終えた来年の10月以降、後藤さんが何を仕事にしてどう生きるかは自由だ。しかし、叶(かな)えたい夢は一つ。大会の目標でもある「共生社会の実現」だ。

「できないことに目を向けるのではなく、できることをさらに伸ばしていく視点が必要です」。この考え方は、障害者雇用でも生かせそう。耳に障害があるからこそ、視覚から入ってくる情報に対しては敏感になる。例えば、こんなことがあった。「あの選手の髪のアクセントカラーが変わりましたね」と後藤さんは言うが、現場にいた大勢のスタッフでその小さな変化に気付いた人は、ほかにいなかった。健常者より優れる後藤さんのスキルだ。

「リポーターの仕事を通して、学んだことがあります。オリンピックは人間の限界を突き詰めること。パラリンピックは人間の可能性を突き詰めること」。このパラリンピックの思想は、後藤さんを通して、世の中に届き始めている。

それを証明する視聴者からの一通の手紙がある。送り主は、人工内耳をつけた子供の母親だ。「あなたを見ていて、できないことはないのだと勇気をもらいました」と記されていた。聴覚障害者がリポーターの仕事に挑戦するという前代未聞の活動を見事にこなす後藤さんは、すでに、共生社会の実現に向けて歩み出している。

後藤さんをはじめ、NHKパラリンピック放送リポーターの奮闘日記はこちら HPはこちら https://sports.nhk.or.jp/paralympic/article/reporter/

後藤 佑季(ごとう・ゆうき)

NHKパラリンピック放送リポーター

1996年岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒。生まれた時から聴覚障害で、9歳から「人工内耳」を使用。短距離ランナーとして研鑽(けんさん)を積み、水泳、バドミントンにも励んだ。リポーターを務めるにあたり「私のような『目に見えない障害』の存在を伝え、さまざまな障害のある人とない人との橋渡し役になれたら」と抱負を語った。書道準5段、手話技能検定準2級。

写真・後藤さくら

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