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あの人を訪ねたい 鳳蘭

「これからの人に言えることは一つね。“どんな嵐が来ても倒れない大木になれ!”」

元宝塚歌劇団星組男役トップスターの鳳蘭さんは『ベルサイユのばら』『風と共に去りぬ』を大ヒットさせ、普及に貢献した功労者だ。退団後はミュージカルの世界に飛び込み、ミュージカル女優の草分けにして、いまも第一線で活躍する稀有な存在である。鳳さんが長く情熱を保ち続ける秘訣(ひけつ)に迫った。

入団6年目で男役トップスターに

目が合うと笑顔で応え、「私、お客さまは神様だと思っているの。三波春子と呼んでください」と、おどけてみせる。サービス精神旺盛な人柄を表している。「私と関わった人には全員幸せになってほしいの」とは、取材中に何度か出たフレーズ。父親に影響された考え方なんだそうだ。

兵庫県神戸市に生まれた鳳蘭さんの出生名は荘芝蘭(ツエン・ツーレイ)。中国人の両親が「ツレちゃん」と呼んだことから、それが鳳さんの愛称になった。父親はオートクチュール(オーダーメードの高級婦人服)店を営んでいた。商売人でサービス精神旺盛。人を喜ばせることばかり考えているような人だったという。

そんな父の資質を受け継ぎ、舞台人として人を喜ばせる人生を歩むこととなった鳳さんだが、そもそも宝塚歌劇団に入団したのは“なりゆき”だったという。高校進学を控えていたとき、宝塚志望の親友につられて試験を受け、自分だけが受かってしまった。宝塚音楽学校は、狭き門で知られる。歌やダンスがうまくても、最大4回の受験チャンスを使い切ってしまう受験者もいる。「よく受かったとわれながら思いますよ。それまで舞台を見たこともなければ、ピアノやバレエシューズに触れたことすらありませんでしたから」。最初は劣等生だったそうだが、芯が強く、学内の無料レッスンを全て受講し、バレエ、ジャズダンス、日本舞踊も入学後にマスターした。鳳さんらしいユニークなエピソードがある。宝塚は上下関係が厳しく、挨拶(あいさつ)は基本中の基本だ。ところが鳳さんは事前に舞台を見たことがなく、誰が上級生か分からなかった。「だからキレイな人を見つけては『おはようございます!』と頭を下げて回っていました。隣接する神戸文化服装学院では、『外国人みたいな子が毎日大きな声で挨拶してくるわね』と噂になっていたそうです(笑)」

体当たりで、転んでは立ち上がってきた。「自分で乗り越えることに意味があります。だから、私は安易に人を助けません。一度助けられたらまた誰かを頼ってしまうから」

努力が実を結び、初舞台を踏んだのは、1964年のこと。身長170㎝の舞台映えする容姿とスケール感のある演技で早くから注目され、『ベルサイユのばら』のフェルゼン役が大当たりし、宝塚歌劇団の人気も全国区へ。「ジェスチャーが大きくて外国人のようで」と本人が振り返るように、ウインク一つが様になり、華があった。鳳さんが最も思い入れのある役は東京でも大ヒットした『風と共に去りぬ』のレット・バトラーだそうだ。鳳さんのダンディーなレット・バトラーに女性たちは熱狂し、“人妻殺し”と報じられた役だ。

「私は役に入り込むタイプで、レット・バトラーが銀橋を渡るシーンは完全に憑依(ひょうい)していましたね。スカーレットとの間に生まれた娘のボニーが落馬で命を落とし、スカーレットのもとを去ろうとして……」ここで、突然正面をにらみつけ、歌い始めた。「さよならは 別れのことばと 知るだけに……」。たちまち取材現場が舞台に変わるのを感じた。 “観客”はわずか7人だったことを思うと、鳳さんのサービス精神には恐れ入ってしまう。

市原悦子さんに憧れた理由

鳳さんの人気のすごさを物語るのは、79年、結婚を機に退団を決めると、「鳳蘭サヨナラ公演」のチケットを求めて5000人ものファンが日比谷の東京宝塚劇場を囲んだということだ。「ツレちゃんありがとう」という別れを惜しむ声が相次いだ。鳳さんが、それらの声に応えないわけがなかった。表舞台から姿を消した期間は出産のための1年間のみ。翌80年、『ファニー・ガール』でミュージカルデビューし、以降も、『シカゴ』『レ・ミゼラブル』など数々の名作に出演した。

「舞台に立ち始めた私は、それはもう必死でした。女優さんのすごさを思い知りましたから。驚いたのは81年、『スウィーニー・トッド』で共演させていただいた市原悦子さん。気が触れた浮浪者役を演じられた市原さんは、稽古(けいこ)場から狂気に満ちていて恐ろしかった。もう役になり切っていたのです」

一方、市原さんも、鳳さんの才能に引かれていたという。あるラジオ番組で、『鳳蘭さんはこれからの人』と市原さんが褒めていたと人づてに聞いたそうで、理由は〝ギャップ〟とか。『スウィーニー・トッド』の劇中で本来深刻な場面であるはずなのに、鳳さんは楽しげな楽曲に引っ張られて、ニコニコ笑顔で演じたというのだ。「宝塚の表現法として、楽しい音楽が流れると、役者も明るく歌って踊るというシンプルな構図があるんです。そのときもつい自然と曲にノッてしまったんですけれど……」。それがかえって市原さんには斬新に映ったのだろう。

市原さんを目標に、73歳の今も舞台に立ち続ける。「いつか市原さんに褒めてもらいたい。どうか天国で見ていてください」

「華」は思いやりから生まれる

今は舞台に立つだけではなく、後進の育成にも力を注いでいる。東京・恵比寿で「鳳蘭レビューアカデミー」を開いたのは、世界に通用するエンターテイナーを輩出するためだ。教えたいのは、鳳さんの真骨頂とも言える「華」だが、なかなか伝えられるものではないらしい。「ダンスも歌も技術は優れていても、笑顔が足りないとダメ。生徒に指摘すると2秒は笑うけれど、すぐにブスッとなる。華って思いやりから生まれるのに」

自身も、ミュージカル『天使にラブ・ソングを~シスター・アクト~』の公演を控え、芝居に磨きをかけている。「堅物な修道院長を演じますので、主演の森公美子さんの『陽』に染まらないよう闘っています(笑)。どちらかというと私も森さんタイプの性格だから威厳と気品を保たなくては。いや、気品はもともとあるから大丈夫だけれど、問題は威厳よね!」

宝塚時代と合わせると、初舞台から55年になる。今までに舞台への情熱が揺らぐことはなかったが、演じるスタンスに変化はあったと言う。

「年々苦しいです。以前はミュージカルの歌を4日で覚えられたのに、今は2週間かかります。年取ったらろくなことがない」と笑って話すが、40歳も50歳も年が離れた若手俳優とやりあうのは、並大抵のことではないだろう。

「私は役を演じているときが、唯一ストレスがないの。現実世界の鳳蘭に戻って一人ぼっちになったら落ち込んじゃう。だからずっと舞台に立っていたい」。人思いのトップスターは、幾つになってもスポットライトがよく似合う。

ミュージカル『天使にラブ・ソングを~シスター・アクト~』は 2019年11月15日〜12月8日に東京で、その後全国ツアー公演が行われます

鳳蘭(おおとり・らん)

元宝塚歌劇団星組トップスター、女優

1946年兵庫県生まれ。64年、「花のふるさと物語」で宝塚歌劇団の初舞台を踏む。70年、星組トップスターに就任、79年惜しまれながらも退団。その後、ミュージカルを中心に数多くの舞台作品に出演し、現在は「鳳蘭レビューアカデミー」の校長として後進の指導にもあたっている。2005年紫綬褒章、16年旭日小綬章を受章。

写真・後藤さくら

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