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あの人を訪ねたい 池田理代子

「漫画家として声楽家としてまだまだ、できることはたくさんある」

累計1500万部の大ヒット作『ベルサイユのばら(以下『ベルばら』)』の作者である池田理代子さんは、人気漫画家として一時代を築きながら、47歳で音楽大学に入学し、声楽家の道に進むことを決意した。池田さんは、劇作家と声楽家の二足のわらじを履く現在も、それぞれでの「進化」を感じるという。年齢を感じさせないほど、しなやかで美しい彼女を突き動かす原動力に迫った。

少女漫画の常識を破り『ベルばら』が大ヒット

『ベルサイユのばら』というタイトルを思いついたのは、高校2年の夏だった。シュテファン・ツヴァイクの小説『マリー・アントワネット』を読んで感銘を受けた池田さんは、将来、自分なりのマリー・アントワネットを描きたいと思い、そのとき、タイトルを考案したという。漫画家としてデビューしたのはそれから数年後の1967年、大学在学中だった。ただ、すぐにヒット作に恵まれたわけではなかった。下積み生活を送り、漫画家人生を懸けて企画・提案したのが『ベルばら』だった。ところが出版社は「歴史物が少女相手にヒットするわけがない」と否定的だったという。当時の少女漫画は、恋愛物語がスタンダードだったからだ。

「ですから、打ち切り覚悟で連載をスタートしました。絶対に“当てる”という条件付きでした」

72年、『週刊マーガレット』で連載が始まると、出版社の心配をよそに『ベルばら』は多くの読者に支持された。宝塚歌劇団での舞台化が大ヒットしたことも追い風となり、テレビアニメ化、ハリウッドでの実写版映画化など、やがて世界中に名作として知られるようになった。

まるで、絵に描いたような成功者だと世間の目には映るかもしれない。しかし『ベルばら』ブームの裏で痛烈なバッシングを受け、一人戦い続けてきた。また、19歳のころから腎臓の持病を抱えながら執筆してきた池田さんの、苦悩を知る人は少ない。

今でこそ“MANGA”やアニメは、日本が世界に誇る輸出文化として高い評価を得ている。しかし、『ベルばら』の連載がスタートした高度経済成長後期、まだ漫画は“害毒”という偏見が根強くあり、「子どもが本を読まなくなったのは漫画のせいだ」などと、大人から軽蔑されていたという。また、70年代といえば、女性の社会進出がまだ珍しい時代だ。漫画を描くことで自立を目指した池田さんに寄せられたのは、「あなたのような女が存在するのは不愉快だ。落ちぶれていく姿を見届けたい」といった同性から浴びせられる中傷コメントだった。「女は家庭に」という男性社会でときには窮屈な思いをしながら生き抜かなくてはならない女性にとって、池田さんの活躍は、まぶしすぎたのかもしれない。

「いわれなき中傷をいただくたびに、“よくぞ言ってくれた”と自分を鼓舞しました。自分にしか描けない漫画を描こうとする活力に変えたのです」

若い才能を摘もうとするいわゆる“アンチ”を相手に、池田さんは作品で成果を出し続けた。『オルフェウスの窓』『栄光のナポレオン-エロイカ』などのヒット作を次々生み出し、それらは数多くの国で翻訳された。そんな手応えを感じていた矢先の出来事だった。40歳を超えた頃、重い更年期障害に悩まされるようになったのだ。

“死ぬときに後悔したくない”と47歳で音楽大学へ入学

来る日も来る日も体調が優れず、次第に精神的に不安定になっていった。「自分が何の意味もない人間のように思えてきて、人生の意味を考えさせられました」と当時の心境を語る。人生の折り返し地点に立ったという焦燥感を感じた池田さんは、「死ぬとき後悔する人生だけは送りたくない」と意を決して、事務所の社長を務める実妹に思いをぶつけたという。

「幼少期からの夢だった声楽の道に進みたい。そうするためには、4年間、原稿が描けなくなる」

「いいんじゃない?」。社長はなんのためらいもなく、そう言った。

「あのとき、妹が背中を押してくれなかったら、今の私はなかったと思います。病気になったおかげで大切なことに気付きました」

その後、宣言通り漫画家活動は休止し、受験勉強に励んだ。猛勉強の末、47歳で東京音楽大学声楽科に合格し、夢のキャンパスライフへ。世代は違っても、同じ道を志す同級生との触れ合いは池田さんの日常に色を添えていった。今でも付き合いがあるのか尋ねると、「はい。全員ではないけれど……」と少し表情を曇らせる池田さん。才能があっても、芸術の世界で生き残れる人間はごくわずかだ。

「名が知られていないとチケットは売れませんし、反対に知名度があれば、歌唱力が伴わなくてもチケットは飛ぶように売れます。無名芸術家の中から本物を発掘し、育てようとする精神が欠如しているように思います。それだと若い才能が育ちません」。そんな思いから、若手声楽家支援のためのコンサート「池田理代子とばらのミューズたち」を立ち上げ、20年近く資金の全てを私費でバックアップしている。また、チャリティー・コンサート『真夏に第九を歌う会』を結成し実行委員を務めるなど、文化芸術の底上げを目指してきた。

「続けることが大事」声楽家として鍛錬を積む

「ここ最近で一番うれしかったのは……」と、笑顔がこぼれた。聞けば、東京音大に留学していたフィンランド人の若い作曲家からオペラの台本を頼まれ、池田さんが手掛けたというのだ。台本は高く評価され、フィンランド国内の権威ある奨学金の審査を無事にパスしたその青年は、多額な奨学金で、現在、日本でその台本の作曲活動にいそしんでいるそうだ。

「現在も彼と台本の修正作業を行っています。私が今までに出合ったことのない価値観に触れられて新鮮です」

台本のタイトルは『眠る男』。来年、フィンランドで初演を終えた後、再来年に日本でも上演予定だ。

もちろん、現在も池田さんはソプラノ声楽家としての鍛錬を怠らない。

「年齢とともに声量がなくなってきましたが、以前より高音がキレイに出るようになったんです」

声量勝負のプッチーニやベルディは難しくても、ヘンデルなどのイタリア古典にシフトしていけばいいと割り切っている。

「キレイな高音をさらに磨けば、まだまだ歌えますし、できることはたくさんあります」

一昨年、久しぶりにベートーベンの交響曲第9番のソロに挑戦した池田さんは、声楽を生業(なりわい)とする知人・関係者に意外な反応をされたという。「今までで一番良い歌が歌えていたよ」と絶賛されたというのだ。御年72歳、進化は止まる気配がない。

「47歳で声楽家を目指して以来、ずっとずっと歌ってきました。声楽家としてはまだまだの私ですが、諦めていません。続けるって、やっぱりすごく大事なんですね」。そう言って、少女のように目を輝かせた。

池田理代子(いけだ・りよこ)

オペラ歌手、漫画家

1947年、大阪府生まれ。67年、東京教育大学(現・筑波大学)在学中に漫画家デビュー。72年から集英社『週刊マーガレット』で『ベルサイユのばら』を連載。80年、『オルフェウスの窓』で日本漫画家協会優秀賞受賞。歴史と人間への洞察に満ちた作品を多数発表しながら、95年に47歳で東京音楽大学声楽科に入学。卒業後はソプラノ歌手として舞台に立ち、オペラの演出も手掛ける。現在は声楽家として活躍する傍ら、『ベルサイユのばら エピソード編』を『マーガレット』(集英社)で不定期連載中。2009年、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章(シュバリエ)が授与された。

写真・後藤さくら

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