2024年元日に石川県能登半島を襲った震災は、地域の暮らしを一変させた。さらに、9月21日から23日にかけて発生した豪雨災害により、輪島市は再び壊滅的な被害に遭った。そんな中、被災地の経済・社会復興を支えるため、輪島商工会議所青年部(以下、輪島YEG)のメンバーが立ち上がった。彼らの取り組みと地域貢献の姿を深く知るため、2025年2月にYEG大賞を受賞した「わじフェス」についてインタビューした。
自らの力でまちを活性化
24年1月1日、新たな年を迎え、希望に満ちた穏やかな時間が流れていた。しかし、午後4時10分ごろ、石川県能登半島を震源とする最大震度7の大地震が発生。建物の倒壊や津波、地盤の隆起が確認され、余震も続く中、昨日までの「当たり前」が一瞬で崩れ去った。ニュースで映し出された惨状に、全国の人々が息をのんだことだろう。輪島市内の商店街は壊滅し、観光名所である輪島朝市の多くの店舗が失われ、まちの活気が一気に消えた。そんな状況の中、いち早く地域復興の先駆者として立ち上がったのが輪島YEGだった。
震災発生直後、多くのボランティアや支援物資が全国のYEGメンバーから集まった。しかし、日が経つにつれ「支援を受けることが当たり前になりつつある」という危機感が地域に広がり始めていた。「経済が動かなければ、町の活力も失われる」。その思いに奮い立ち、輪島YEGのメンバーは震災からわずか数カ月後に地域を盛り上げようと、「わじフェス」と名付けたイベントの開催を決意した。
彼らがイベントを企画した目的は、「支援を受けるだけではなく、自らの力で地域を活性化させること」。営業を再開し始めた商店や飲食店が、再び人々とつながり、「お金を払う経済活動」を取り戻すことが、地域再生の第一歩になると考えたからだ。県内外のYEGとのつながりを力に変え、経済活動の再生に尽力する彼らの活動は、単なる復旧支援にとどまらない。地域の未来を見据えた新たな価値創造へとつながっている。
「わじフェス」開催へ つながる人々、動き出す経済
毎年4月の恒例の市祭も中止が決定し、代わりに地域の活力を生むような企画が必要なのではないかとの思いから、「わじフェス」は「前を向こう!頑張ろう!新たな輪島!」という強い意志を胸に企画された。しかし、開催に至るまでにはさまざまな困難が立ちはだかった。インフラの損傷、会場の確保、そして何よりも地元住民の理解を得られるかどうか。そして、2カ月間の準備期間では企画の作り込みも難しい、避難者も多く動員もうまくいかないかもしれない。 「いや、とりあえずやってみよう!」
課題は山積みだったが、県内外のYEGメンバーの後押しもあり、開催に向けた準備が進められた。
6月16日、ついに「わじフェス」が開催された。当初200人程度の来場者数を見込んでいたが、事前の広報活動も功を奏して、実際には千人近い地域住民が集まった。
フェスでは、地元の飲食店も出店し、被災後初めて本格的な経済活動の場となった。ある店主は、「無償提供が当たり前になりつつあった中で、“販売”することにためらいがあった」と語る。運営メンバーの一人である山瀬公博会長は、「震災前のようにお金を払い、商品を受け取り、楽しんでくれる人がいることで、商売の大切さを再認識した」と、その意義を実感したという。
また、YEGメンバーが全国から集まり、被災地支援の在り方について活発な議論が交わされた。「支援を受けるだけでなく、自立のための支援を提供することが重要だ」という考えが共有された。フェスの様子は多数のメディアが報じ、それをきっかけに、自粛続きだった能登各地のイベントが一斉に再開。地域に与えるインパクトの大きさも絶大で、地域復興の新たな方向性が見えてきた。