11月15〜26日に東京2025デフリンピックが開催され、世界から聴覚に障がいがあるアスリートが集う。初の東京大会を応援すべく、障がい者に寄り添い一緒に働く企業の取り組みを紹介したい。
*デフ(Deaf)とは、英語で「耳がきこえない」という意味。第1回デフリンピックは、1924年にフランスのパリで開催された。東京2025デフリンピックは、100周年の記念すべき大会であり、日本では初めての開催になる。
障がいのある人と仕事をつなぐ みんなが笑顔になるビジネスモデル
「日本から障がいという言葉と概念をなくす」。これは、栃木県鹿沼市に本社を置く株式会社ミンナのミカタHD(ホールディングス)が掲げる壮大な経営ビジョンである。同社は、障がいのある人々の社会的自立と幸福を追求し、仕事を通して彼らの可能性を引き出す事業を展開している。今は亡き創業者の志を継ぎ、障がい者特化型BPO事業(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)のプラットフォーム「シゴトシステム」を通じて、企業と全国の就労継続支援事業所をつなぐ彼らの取り組みは、まさに新しい時代のビジネスモデルを提示している。
使命感から始まった障がい者就労継続支援事業
ミンナのミカタHDは、創業者である先代が、同グループの障がい者就労継続支援A型事業所「ミンナのミライ」を2013年に創業したことから始まった。創業者は当時、うつ病に苦しんでおり、栃木県外にある就労継続支援A型事業所(障がい者が一般企業での就労に向けて訓練する施設)と出会った。そこで、不自由や困難を抱えながらも、生き生きと働く人々の姿に深く感銘を受けた。当時、鹿沼市にはA型事業所が一つしかなく、約4000人の障がい者人口に対して定員は25人程度だった。この現状を目の当たりにした創業者は「これでは施設が足りない。私がやるしかない」と強い使命感を覚え、「ミンナのミライ」を創業した。
「創業当初は、手探りの連続でした。創業者自身も元々福祉業界にいたわけではなく、事業所の立ち上げノウハウも皆無だったため、同じA型事業所を運営する方に教えを請い、模索しながらスタートしました」と語るのは、創業者の妻で二代目代表の兼子紘子さんである。創業直後は利用者がなかなか集まらず、スタッフの人数が利用者よりも多い時期もあった。それでも、約1年後には20人まで利用者を増やすことに成功した。
「ミスマッチ」を解消する独自のシステム誕生
創業者は、うつ病発症前は建材業界で営業担当だったため、その経験を生かし、近隣企業に飛び込み営業をするなど、仕事の受注を増やしていった。障がい者の支援事業所というと、食品の製造販売や清掃作業などの仕事が多いと耳にすることがあるが、利用者の中にはPCを使う作業が得意な人もいる。
同社の事業が軌道に乗り始めた頃、新たな課題が浮上した。仕事の受注が増えすぎて、自分たちの事業所だけではさばききれなくなってしまったのである。ほかの事業所に仕事を依頼することも試みたが、障がい者の能力が正確に把握できず、ミスマッチが頻発した。「データ入力をお願いしたいのに、キーボードをたたくことしかできない」といった事態が起きた。これでは、企業にとっても就労者にとっても不幸な結果を招くだけだと感じた創業者は、一つの答えを導き出した。
それが18年に立ち上げた障がい者専用の営業会社「ミンナのシゴト」である。同社は、独自のBPOプラットフォーム「シゴトシステム」を開発。これは企業と全国の支援事業所をマッチングさせるサービスだが、一般的な人材派遣会社とは一線を画している。
