石材業から土木事業へと転換
瀬戸内海東部に浮かぶ淡路島の中央部に位置する洲本(すもと)市で、淡路土建は総合建設業などを営んでいる。創業したのは1885(明治18)年で、初代・琴井谷槌二郎(こといだにつちじろう)が石材業の琴井谷組を創設したことに始まる。 「当時は淡路島で石が採れたことから、石を切り出して販売する仕事を始めたようです。石の質の高さや石材加工技術の優秀さから、島内だけでなく近隣の神戸、大阪などでも高い評価を得ていました。その後、島を南北に縦断する国道(現・国道28号)の土木工事も請け負うようになり、徐々にそちらに力を入れていくようになりました」と、淡路土建の五代目で社長の琴井谷隆志さんは言う。
昭和に入り、第二次世界大戦が始まると、政府の要望により島内における建設需要に応えるために、島内の同業者による企業統合が行われ、1944年に淡路土建株式会社が設立された。その会社の社長に、琴井谷組三代目社長の琴井谷薫さんが就いた。 「終戦の翌年に会社は解散しましたが、三代目が日本の国土再生という新たな使命のもと、淡路土建を引き継いで現在に至っています。それからは土木だけでなく建築の仕事も始めるようになりました。また、工事用作業船も数多く所有し、大阪の港湾や河川の整備なども行っていました。ただ、昭和30年代の大型台風で事故が起こり、犠牲になられた方が出てしまったため、作業船の工事からはほぼ撤退しました。同時期に採石事業で大きな赤字を出し、経営的にもかなり厳しかったと聞いています」
被災時には地域の復旧を優先
そこで、1963年に神戸市、翌年に大阪市に営業所を開設し、営業範囲を拡大。70年の大阪万博の会場の一部工事も受注した。 「地方は、公共インフラ工事がメインで、以前は7対3で土木工事の方が建築よりも多かったのですが、近年は土木工事が減り、一方で観光開発が進められたことなどから、比率が逆転しています」
