お笑いコンビ「シソンヌ」のボケ役で、〝稀代のコント師〟と称されるじろうさん。老若男女を問わないズバ抜けた演技力で、笑いの渦を巻き起こし、2014年には、お笑いコントの最高峰〝キングオブコント〟で優勝を果たした。俳優や脚本家としても活動する一方、地元・弘前のにぎわい創出にも尽力している。変幻自在に活躍中のじろうさんの魅力に迫った。
夢を諦めるために入った吉本興業の養成所
「お笑い」と一言で言っても落語や漫才、コメディーなど、いろいろあるが、お笑いコンビ「シソンヌ」は、コント芸で群を抜く。TBS主催・運営の「キングオブコント」(KOC)で7代目王者となり、芸人や俳優にもファンは多い。芸人が最もライブを見に行くコンビといわれるほどだが、特に玄人ウケを狙った笑いかといえば、そうではない。長谷川忍さん、じろうさん二人の演技力が秀逸で、とりわけボケ役のじろうさんが演じる、風変わりな人物の言動がとにかくおかしい。じろうさんがコントのネタを全て考えており、独特なシソンヌ・ワールドは、一度魅せられたら最後、なかなか抜け出すことができないほどだ。だが、「そもそもお笑いをやろうとは思っていなかった」と、じろうさんはさらりと切り出した。
「大学入学時、映画に興味がなかったのに、勧誘されて映画研究部に入ったことが始まりです。知らない映画を見聞きしたり、自主制作の映画に出演したりするうちに、コントユニットのシティボーイズにハマっていきました。自分もこういうコント芝居をやってみたい。そう強く思いました」
それまでは、得意な英語を生かせる仕事に就きたいと考えていたじろうさん。それに向けて大学も関西外国語大学短期大学部を選んだのだが、入学後に人生設計は大きく変わった。そして卒業後、上京してコント劇団のような活動を始める。芸能事務所に所属しない、いわゆるインディーズのコント劇やネタ見せライブを3カ月に一度のペースで開催。だが、見に来るのは知人や友人ばかり。 「このままでは、らちが明かない。それならいっそ、NSCに入って通用するか試してみて、それで通用しなければ諦めよう。いわば、諦めるためにNSCに入りました」
コントの役が独り歩きして書籍化、映画化に発展
そして、NSCで後に相方となる長谷川忍さんと出会う。 「高卒や大卒で入ってくる子たちの中で、お互い26歳。少数派のバイク通学など、いろいろ共通点があって自然と仲良くなっていきました。当初は別々のコンビだったのですが、それぞれのコンビが解消となって、僕は覚えていないのですが、長谷川さんから声を掛けてくれてコンビ結成となったそうです。長谷川さんは十二、三人の集団コントをツッコミ1人で回せるほどの実力者。NSC入学前から芸人として活動していて、入学の目的も相方探し。長谷川さんと組まない理由はありませんでした」
シソンヌは、芸歴9年目でKOCの王者となったが、それまでの苦労も苦労と思わず、「売れていない時の方が楽しかった」と懐かしむ。KOC優勝後も仕事が急激に増えたわけではなく、日本一の漫才師を決める「M-1グランプリ」とは「大違い」と力を込める。
「優勝できたことはうれしかったですし、肩書にもなりました。でも、売れっ子になるのはM-1王者(M-1グランプリで優勝したチーム)の方で、KOCは全然です。それに僕自身、テレビで冠番組を持ちたいといった野心がなく、一日一日を楽しく、周りの芸人たちと笑って過ごせたら十分と思っていて、それは今も変わりません」
だが、周りがじろうさんを放ってはおかない。コント師としてテレビのバラエティー番組や舞台に出演する傍ら、演技力が高く評価されてドラマ・映画の出演や脚本を手掛けるようになっていく。さらに、じろうさんが演じるキャラクターも独り歩きを始めた。その最たるものが長年コントで演じ続けてきた40代独身女性の川嶋佳子だ。13年に有料サイト「ケータイよしもと」で彼女名義の日記連載がスタートすると、15年に書籍化、20年には松雪泰子さん主演で映画化される。じろうさんが脚本を担当したが、「どれも言われるがまま」と笑う。
ライバル関係であるはずの芸人とも仲が良く、特にチョコレートプラネット(チョコプラ)とは同期ユニット「チョコンヌ」としても20年近く活動する間柄だ。
「いろんな芸人から影響を受けていますが、一番はやっぱりチョコプラです。僕はコントの台本をしっかりつくり込むタイプですが、チョコプラはいい意味で適当。おかげで即興性のあるネタがつくれるようになりました」
全国区で活躍しつつ地元・弘前にも尽くす
郷土愛にあふれるじろうさんは、地元・弘前からも声が掛かる。近年では、21年、22年と続けて青森県産ブランド米「青天の霹靂(へきれき)」のプロモーション動画(青森県制作)に参画。脚本に加え、自らがキャラクターに扮(ふん)して出演し、インパクトある広告塔になった。「弘前れんが倉庫美術館」に勤める友人から企画の相談をされれば、子ども向けのワークショップを企画・開催。それを機に、弘前市からも依頼が入るようになる。市と地元の大学、弘前商工会議所が連携した、お笑いと健康をテーマにした「TAnGE OMOSHÉ(たんげ・おもしぇ)」事業への協力も惜しまない。地元で人気のクレープ店「ポッポ」が閉店すると聞けば、その味を残せないかと奔走。弘前商工会議所に一人で出向いて支援金の相談をしたり、面識ある地元商店街振興組合の理事長と元店員をつないだりし、25年2月には新店舗「クルックー」として復活した。
じろうさん自身も結婚を機に、23年より弘前・東京の二拠点生活を始め、同市土手町を愛し語り継ぐ「土手町おじさん」第一号として地元商店街に公認されるなど、関係性は深まるばかり。「写真は苦手。絶対無理」と言いつつ、25年夏には写真家・永野雅子さんの熱烈なオファーで、写真展「シソンヌじろうさんの弘前散歩」の被写体になっている。「地元に軸足を移すことは絶対ない」と、「絶対」と強く否定すればするほど、芸人特有の〝振り〟ではないかと思えてくる。
「今年はトータルで3カ月ぐらいしか居られず、もう少し弘前での時間をつくりたいですが、これからも活動の場は全国区。その方が、地元の子たちに夢が与えられるし、そういう存在でいたいです」
13年から続けているシソンヌ単独ライブは14回目を数え、25年は全国30公演を完走。その間もテレビや舞台、チョコンヌのライブツアーもこなし、北海道に居たかと思えば、数日後には沖縄ということも珍しくない。それでも、地元に帰れば、クルックーはもちろん、親戚の店やなじみの店には必ずと言っていいほど顔を出す。来年は、シソンヌ結成20周年。じろうさんの活躍は、まだまだ縦横無尽、変幻自在になっていきそうだ。
じろう
コント芸人
1978年青森県生まれ。本名・大河原次郎。2005年、吉本総合芸能学院東京校(東京NSC)に入学。翌年、お笑いコンビ「シソンヌ」結成。14年「キングオブコント」優勝。俳優、脚本家としても活躍し、15年にコントで演じた川嶋佳子名義で日記小説『甘いお酒でうがい』(KADOKAWA)を出版。20年に映画化、脚本を担当。23年より弘前と東京の二拠点生活を開始。「キングオブコント」審査員(24年〜)。近著に『シソンヌじろうの自分探し』(東奥日報社)がある
写真・後藤さくら
