2012年のロンドン五輪で金メダル、16年のリオデジャネイロ五輪で銅メダルを獲得した松本薫さん。〝野獣〟と呼ばれ、柔道の国内外の大会で、どちらも2桁以上の優勝記録を持つ。その松本さんが、セカンドキャリアに選んだのがアイスクリームづくり。罪悪感なく食べられるギルトフリーな商品の開発・製造というフィールドで、新たな挑戦を続けている。
親の方針で始めた柔道はわざと負けるほど嫌い
眼光鋭く、時に不適な笑みさえ浮かべて相手選手に立ち向かう。柔道着姿で畳の上にいた松本さんは、全身から闘争心が満ちあふれていた。だが、引退してから早6年、取材時の松本さんにはその面影はない。穏やかな表情を浮かべ、朗らかに語る。
「柔道を始めたのは、1番上の兄が、体は大きいのに優しい性格で、いじめられないようにと、親が柔道を習わせたのが始まりです。私は5人きょうだいの4番目。すでに上の兄も姉も習っていて、『お菓子を買ってあげる』という誘惑に負けて5歳頃から始めました」
道場は厳しく、同時期に習っていたレスリングの方が好きだったと語る松本さん。それでも柔道を辞めなかった理由は「きょうだい全員で習っていて、一人だけ抜けられなかったから」と消極的だ。試合に出ても、早く終わらせたいと、わざと負けていたというから驚く。「勝ちたい」と思ったのは、中学2年生の時とだいぶ後で、対戦中に先生がセコンド(サポート役)に付いて、負けたくても負けられず準々決勝まで進んだ。それを見ていた一つ上の姉も、姉のプライドを懸け〝仕方なく〟決勝まで進んで優勝する。
「私は、準決勝から先生が付かなかったのをいいことに、わざと負けて3位。姉は周囲から『おめでとう』と祝福され、私は『残念だったね』と声を掛けられる。その差に初めて悔しいという感情が芽生えました」
翌年、やる気スイッチの入った松本さんは、全国中学校柔道大会52㎏級で見事に優勝を勝ち取った。
微細な動きにも神経を巡らせ とことん柔道に向き合う
嫌々ながらも毎日10時間以上、休日は12時間、365日柔道一色の生活をしていた松本さん。元来、身体能力も高く、素質はあった。そして〝やる気〟が出た今、世界も夢ではない。そう思ったのも束の間、当時、現役だった谷(旧姓・田村)亮子さんにジュニア合宿で挑むと、全く歯が立たない。世界の壁の厚さ、高さに「勝てるわけがない」と気持ちはしぼんだ。
それでも先生の薦めと東京への憧れから、柔道の名門校の一つ、私立藤村女子高校に進んだ。インターハイ優勝という結果を出すが、モチベーションは低く、叱られてばかり。松本さん曰く「強制送還」され、高校2年生の時に地元・金沢の高校に転入した。
「柔道の辞め時だと思いました。でも、ここで辞めたら私には何も残りません。何か一つ、自信が持てることをやらないと、なし崩しの人生になる。『選手として使えない』と言った人たちを見返したい。そういう反骨心もあって、勝つための戦略を立て、自主的に練習に取り組むようになりました」
その日その時の体調でできる練習メニューを考案し、100%こなすように工夫した。スポ根のようなハードな練習かと思いきや、松本さんが例にあげた練習法はかなり精緻だ。
「手のひらにペンを載せて、指の関節を意識しながら指1本ずつ握っていきます。小指から薬指、中指……、反対に親指から人差し指、中指……、これをずっと続けます」
松本さんの指は細く長い。長いが故に、対戦相手の道着をつかむのに時間がかかってしまうのだという。指先の関節一つひとつまで鍛錬し、強い選手の一挙手一投足をつぶさに観察した。野獣と呼ばれた闘争心むき出しの表情もまた、相手の虚を突く、意図的な戦略だった。
こうして2010年には女子57㎏級の世界ランキング1位に輝き、12年のロンドン五輪では金メダルを獲得。松本さんの名は日本全国、そして世界にとどろいていった。
