昨年11月17日、東京商工会議所第22代会頭の小林健氏(三菱商事相談役)が日本商工会議所第20代会頭に選任され、新体制が始動した。「対話」を重視する小林会頭は、早速各地の訪問をスタート。所信で「日本再生・変革に挑む」を掲げた小林会頭に、就任に当たっての抱負や取り組むべき課題を聞いた。
―東京をはじめ日本各地の地域経済を担う商工会議所の会頭に就任された今のお気持ちをお聞かせください。
引き受けた荷は重い、というのが率直な感想です。わが国の企業の99・7%は中小企業。日本の従業者は約4700万人で、そのうち7割、およそ3300万人の方々が中小企業で働いているといわれています。その家族も含めれば、日本の人口の半分以上と言っても過言ではない。その人々の生活の向上、中小企業の発展を支援していくことが、われわれ商工会議所の使命です。
そのような地域総合経済団体の会頭という任は、これまで私が関わってきたことに比べてもスケールが非常に大きいですが、それだけにやりがいもあります。責任の重さを、いまさらながらに実感しているところです。商工会議所が果たすべき役割としては、中小企業で働く人々の処遇を改善し、モチベーションを向上させ、ひいては中小企業の生産性が向上するというように、良いスパイラルをつくっていくことであると認識しています。究極的なことを言えば、目的は生活の向上だろうと思います。闘志を燃やして取り組んでいくつもりです。
私は、会頭就任時の所信で、「日本再生・変革に挑む」をスローガンに掲げました。「失われた20年」以上にわたる物価・賃金・生産性の停滞、長期化する新型コロナウイルス感染症の影響、ロシアによるウクライナ侵攻など緊迫する海外情勢と原油価格の高騰、それらの複合的な要因による物価高騰・円安など、中小企業は非常に厳しい状況に置かれています。激動の時代だからこそ、われわれ民間が成長の原動力であるという当事者意識を持ち、自助努力によって果敢に変革に取り組まなければ生き抜いていくことはできないでしょう。
また、変革を支える重要なポイントは「民間投資の強力な推進」「持続的に賃上げできる環境整備」「サプライチェーンの強靭(きょうじん)化と経済安全保障」「多様な人材が活躍できる国づくり」の4点だと捉えています。企業が自己変革・挑戦に取り組めるよう、政府に対してこれらの環境整備を強く求めていきたいと思います。
得るべき利益を賃上げにつなぐ好循環の構築へ
―「持続的に賃上げできる環境整備」に関しては対応が厳しいという中小企業も少なくありません。企業はどう取り組んでいけばよいでしょうか。
中小企業の強みは経営者と現場の距離が非常に近いことです。環境変化へ対応する力も大企業よりも優れており、柔軟に自己変革する能力を有しているはずです。
弱みは、残念ながら生産性の低さだと思います。中小企業の労働分配率は約8割と高く、余力に乏しい中でも賃上げせざるを得ない「防衛的賃上げ」を強いられています。生産性をもう少し磨いて、まずは原資を稼ぐことで少し余裕を持たせて、次の投資や従業員の処遇改善に結び付けていく必要があります。
そのため、取り組むべき課題は「民間による生産性向上・付加価値向上」、そして「取引価格の適正化」であると捉えています。生産性を上げるために商工会議所もさまざまな取り組みを講じているところです。
これからの未来を見据えると、一番大きな要素はデジタル技術による変容、つまりDX(デジタルトランスフォーメーション)でしょう。合理化だけを目指すIT導入であれば相当程度広まっています。必要なソフトウエアを買って導入することも容易にできるようになりました。問題は、それ以上の経営の効率化や人手・時間がかかっていた業務を一瞬で置き換えられるような革新的なDXの推進で、単なる合理化に終わらないように導入していくことが重要だと思います。
取り組むべきもう一つの課題、取引価格の適正化については、日本はずっと値下げを是としてきて、「値上げなんてもってのほか」という考え方もあるなど、モラル的な固定観念がありました。そのため、中小企業が生産性向上に励んでも、その果実は大企業に吸収され、付加価値として価格転嫁できないという構図になっています。ここを正常化し、適正な価格で販売すべきだというマインドを広めることが必要でしょう。
そのためには、大企業と中小企業の共存共栄の実現が重要です。日本は、大企業と中小企業が相協力し、共に高め合うことで世界に誇る技術力・競争力を確立してきました。他方で、コスト削減を重視し、企業やサプライチェーン全体で生み出す付加価値に見合った価格とする意識が薄かった点も否めません。大企業と中小企業の双方が付加価値に基づく適正な取引を宣言する「パートナーシップ構築宣言」も緒に就いたばかりで、今後魂を入れ、実効性が上がるように取り組んでいく必要があると意気込んでいるところです。
―昨今相次ぐ物価高騰により企業は厳しい立場に置かれていますが、どう対応すべきでしょうか。
長年、「安い方が良い」という価値観が浸透していたところ、相次ぐ値上げに伴い、消費者からも苦しい声が上がっています。しかし、消費者の生活に対応するために賃上げを実現するには、企業の実入りを良くしなければなりません。適正な利潤を確保できるだけの適正価格を設定し、得た利益を賃上げに回すという好循環を促していくべきです。
原材料やエネルギーなど幅広く高騰しているものを、全体でどうシェアしていくかが課題です。供給側だけで吸収しようとしていては、どこかの負担が大きくなり、ゆがみが生じてしまう。各企業の努力だけでは難しい。
価格転嫁に関しては、国民全体の機運醸成も必要です。企業が適正な利潤を確保し、賃上げに踏み切れるような良い循環にしていくためにも、適正な価格を消費者側に求める勇気を持ってもらいたい。日本全体でコストアップをシェアして、総合的に大きなパイにしていき、最終的にわが国経済の底上げにつなげていかなければならないと思います。
従って、賃金を論じる際には物価の高騰も加味すべきだと考えます。賃上げだけ対応して商品・サービスの値上げができなければ、中小企業は生き残れません。
中小企業といってもさまざまな規模・業種・業態があり、企業の支払い能力も千差万別です。商工会議所としても、一律に賃上げの号令をかけるわけにはいきません。全ての企業が一斉に賃上げするのではなく、各社、各地域の状況を加味した支払い能力を基に労使で議論してほしいと思います。自社の懐事情、生産現場の改善方法、賃上げだけではない労働者への分配手段など、こうした場面でも経営者と現場が近いという中小企業の強みを生かし、お互いが腹を割って話し合うことで、理解を深めていけるのではないでしょうか。
渋沢翁の理念を胸に果敢に挑戦を
―東京と地方の在り方についてお考えを聞かせてください。
東京の強みは、あらゆるものが集積し、何でもそろっている点でしょう。あらゆる種類の企業が集まり、労働の流動性も他と比べて高い。その流動性をプラスのベクトルに持っていかなければなりません。
中小企業も千差万別と申しましたが、今の時代にフィットできている企業もあれば、今後の展開を見直さなければならない企業もあるでしょう。人材の多さ、多様さ、身近にさまざまな業種が集まっていること、こうした利点を生かして東京が発展していくことで、日本全体の国力向上につながると思います。
もちろん、地方にもさまざまな特色があります。東京を含めた都市圏では大企業と中小企業の割合がおよそ半々な一方、地方では約8割が中小企業といわれます。地方に数多くある中小企業が発展していくことが非常に重要で、そこに商工会議所の果たすべき役割があると考えます。若い人々がリモートを活用して地方で事業を興したり、東京で築いたネットワークを生かして地方に移住・起業したりという動きも生まれています。そういった人々や企業を育てて伸ばしていくことも必要でしょう。
社会全体でデジタル化が進み、メディアも発達したことで、地方での取り組みや魅力が広く伝わるようになっている。逆も然りです。東京は集積力を生かし、地方は各々の地方創生によって発展し、ひいては日本全体の活性化につなげていくことが大切だと思います。
―所信の中で、東京商工会議所初代会頭・渋沢栄一の「逆境の時こそ、力を尽くす」という信念にも触れています。渋沢翁についての印象を聞かせてください。
彼自身の力や幸運などもあったでしょうが、一定程度の地位を築いた後も日本の経済社会に貢献しようと活動し続けた姿勢が素晴らしいと思います。そうでなければ、約500の企業設立、600を超える社会事業への関わりはなかったでしょう。渋沢翁が関わることで信用が生まれる、こういった人間は稀有です。
渋沢翁は「私益と公益の両立」を説き、殖産興業を突き進んだ時代でもモラルを忘れないよう訴え続けました。その精神は日露戦争や第2次世界大戦を経た今の日本でも尊ばれています。
先行き不透明な時代であっても、われわれ経営者が理念を胸に果敢に挑戦することで、困難に打ち克つことができると思います。
対話を軸に課題・方向性探る
―初めての総合商社出身の会頭となりました。今までの経験をどのように生かそうとされていますか。
商社時代は幅広い産業・規模の企業と付き合いがありました。もちろん中小企業やスタートアップ企業も含まれます。従って、どの業種にどのような文化があるのかも、ある程度は理解しているつもりです。しかし、足元で中小企業が実際に何を考えているか、何を課題としているかはこれから把握していかなければなりません。
他の経済団体にはない商工会議所の最大の強みは、123万会員が成すネットワーク力です。中小企業が直面する課題が複雑化する中、このネットワーク力を最大限に生かした行動が必要だと考えます。
そこで、会頭就任に当たり、「『現場主義』『双方向主義』の継承・発展」を活動方針として掲げました。これまでも活動の軸としてきた考え方ですが、その重要性は今後も変わることはありません。地域の第一線で活動する各地商工会議所および会員企業との対話を何より重要視し、課題や変化をタイムリーに察知し、スピード感を持って実行していきたいと思います。
実際に、11月の就任直後から全国9ブロック・東京23支部の訪問を開始しています。各地の経営者と対話を重ねた印象としては、誠にさまざまな規模・業種・業態があるため、一律に「中小企業はこうすべきだ」と申し上げるのはなかなか難しいと、改めて感じました。中小企業の実情をつかむまで、予断めいたことは言えないとも思っています。
「原点は対話である」というのが、今も昔も変わらない私の信条です。対話がなければ新しいアイデアも創造も生まれない。この年齢でも知らないことは随分多いため、一つひとつを訪問して企業との対話を続け、対応すべき課題や目指すべき方向性をつかんでいきたいと考えています。年度内に全てのブロック・支部に伺えたらうれしいですね。
これまで商社の社長・会長を経て経験したことを生かし、経済界へ恩返しするつもりで会頭職を引き受けました。まずは1期3年、与えられた任を全力で、ペースを崩さないように取り組みたいと思っています。
―会員企業の経営者に向けたメッセージをお願いします。
どんな業種、規模の企業であっても、地方でも東京でも、「世界の中の日本」ということを意識して、広く目を開いていくことが必要ではないでしょうか。私たちが今、どういう世界にいるのか、考えながら共に進んでいきたい。帳面を眺めたり電卓をたたいたり、日々直面する実務的なことばかりでは悲しい。経営者も従業員も、自分の会社も自分自身も世界との関わりの中にあるということを忘れず、たまには夜空を見上げて、自分がどの星にいるのかというような、気宇壮大なことにも思いを致しながらやっていこうではありませんか。目を開くことで、新しい人に出会い、場や物に気付くこともあるでしょう。さらには、そこで対話することで、新たな事業の芽が見えてくるかもしれません。
習慣を続けることが活力の源
―会頭室からの眺めはいかがですか。
三菱商事本店と丸の内二重橋ビルは距離も近く、どちらも皇居を眺めることができます。自社の執務室は皇居を見渡すことができ、森か公園のように感じていましたが、会頭室からは正面に二重橋が見えます。きっと昔の人であれば畏れ多く、私自身も西行法師が詠った「何事の おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」といった心境。厳粛な気持ちになれる場所です。
―気を休める時には何をしていますか。
会頭職に就き、会議・会合や出張など日々目まぐるしく過ごしていますが、生活のペースを変えないことが身体的にも精神的にも大切だと思っています。
家に帰ってからやることも同じで、寝る前にお酒を一杯飲みながら落語のCDを聴く時間が一番休まります。
小学校の5、6年の頃から父親と一緒に寄席に行き、落語とは長く付き合ってきました。特に好きな噺家は古今亭志ん生・志ん朝親子です。志ん生は融通無碍、客層に合わせてその場その場で噺を変える柔軟さが魅力。志ん朝は話に艶と色気があります。同じ噺を2人で聞き比べることもあります。自分が経験していない時代の出来事や文化に触れられる点に面白さを感じます。
明治の実業家2氏から学ぶ
―2021年の大河ドラマ「青天を衝け」では、三菱商事の創立者である岩崎彌太郎と渋沢翁が激しく議論するシーンが描かれました。両者は度々対比されますが、双方から学ぶことは何でしょうか。
三菱商事を含む三菱グループは、初代岩崎彌太郎から4代にわたって築かれました。大恐慌により世情がただれ、三菱商事の業績も悪化していた時に、4代目の岩崎小彌太が必要に迫られる形で「三綱領」を示しました。事業を通じて物心豊かな社会の実現に努力すると同時にかけがえのない地球環境の維持にも貢献する「所期奉公」、公明正大で品格のある行動を旨とし、活動の公開性、透明性を堅持する「処事光明」、グローバルな視点を持ち、全世界的、宇宙的視野に立った事業展開を図る「立業貿易」から成ります。創業以来の社是ですが、現代にも通じる考え方であると認識しています。
他方で、公益を重視した渋沢翁の理念ももっともで、彼は生きながら、歩きながら数多くの言葉を遺してきました。起業家というよりもジェネラリストだと思います。
岩崎と渋沢、どちらも明治の日本経済を代表する実業家であり、その信念は異なりますが、双方から学ぶべき姿勢・考え方があると思っています。
(聞き手=経済ジャーナリスト・中澤幸彦)
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