2024年元日に発災した能登半島地震、さらに同年9月に能登を襲った豪雨災害により能登半島の被災地の復旧・復興は遅々として進んでいないのが現状だ。一方で試練を乗り越え、再び能登半島に元気とにぎわいを取り戻そうと立ち上がる地域企業がある。さまざまな困難に負けず、能登の復興をけん引しようと頑張る被災地の企業・団体から話を聞いた。
地域唯一のスーパーが壊滅的被害 今、新たな交流拠点として再生へ
石川県輪島市にあるもとやスーパーは、地域唯一のスーパーとして、戦後から住民の生活を支え続けてきた。近年では、買い物に困る高齢者のために移動販売車を走らせるなど、単なる小売業を超えた地域貢献を続けていた。しかし、能登半島地震と奥能登豪雨により、壊滅的な被害を受け、一時は廃業の危機に陥った。その店は今、地域の新たな交流拠点となるべく、全国から支援を募っている。
地域のため震災当日も営業 再建矢先の無情な豪雨
輪島市町野町(まちのまち)は、輪島市の中心部から車で30分余り。「奥能登」といわれる輪島市と珠洲市、能登町のほぼ中心に位置している。もとやスーパーは、この地域で唯一のスーパーで、現在の代表者、三代目の本谷一知(もとやかずとも)さんの祖父が1961年に店を構えた。
「食料品や生活雑貨、家電まで何でもある店でした」と本谷さんは振り返る。地域住民に親しまれている同店は、一年のうち1月1日だけが休日だった。2024年のその日、震度6強の地震が発生した。同店では天井が落ち、店内の設備は壊れ、停電で真っ暗な状態だったが、本谷さんは店を開けた。被災当日、着の身着のまま避難してきた住民に対し、財布を持っているかなど聞ける状況ではない。本谷さんは「好きなものを持って行ってください」と在庫商品を無料で提供した。
この地域は、倒壊した家屋などにより、道路が寸断され、孤立状態となった。本谷さんの自宅を含む親族の家屋4棟も倒壊した。住む場所を失った本谷さんたちは、治安の悪化による窃盗団への警戒もあり、店舗の床で靴を履いたまま寝泊まりする生活を余儀なくされた。
その後、店を存続させるために販売を再開した。仮設住宅の建設情報などを集め、復旧作業員の需要に合わせて仕入れを行うことで、少しずつ売り上げを取り戻していった。同年7月には「元の通り商売ができる」と思えるほど復旧した。
しかし、その矢先の9月21日、奥能登豪雨がこの地を襲った。店の裏を流れる川が氾濫し、店内に泥水が入り、短時間で水かさは約2mに達した。本谷さんは、従業員とともに店舗の2階へ避難したが、店を守りたい父、二代目でもある一郎さんは1階に残った。「父はもう死ぬだろうと思いましたが、泥だらけで生きていました」と語る本谷さん。水が引いた後も、店内が30㎝もの泥に埋まり、設備は全滅。移動販売車など9台が流された。「もう無理だ」と本谷さんは心が折れ、廃業を覚悟した。
