日本商工会議所ならびに東京商工会議所は、近年、最低賃金の大幅な引き上げが続いていることから、5月28日付で緊急要望を取りまとめ公表した。特集では、本要望の全文を紹介する。
中小企業の経営環境
日本商工会議所のLOBO(早期景気観測)調査では、2019年4月の全産業合計の業況DIはマイナス16・7で、ここ数年はマイナス20%から10%台で一進一退を続けている。また、売上DIや採算DIもマイナスが続いていることから、「景気回復を実感することができない」といった「生の声」が多く聞かれている。
一方、企業が賃上げする際の重要な考慮要素である労働生産性は、中小企業では一貫して横ばいで大企業との格差が広がり続けており、労働分配率も大企業が40%台であるのに対して中小企業は70%台で推移している。
こうした状況の中、本LOBO調査によると、18年度に賃上げをした企業は65・1%であるが、そのうち、業績が改善しない中で人材の確保・定着のために賃上げをした言わば「防衛的な賃上げ」を実施した企業は6割を占めている。さらに、子ども・子育て拠出金や社会保険の負担増に加えて、コスト増加分の価格転嫁については、BtoC、BtoBともに転嫁に難航している企業が8割に達している。
こうした状況から、中小企業は総じて厳しい経営環境にあるばかりか、中小企業の経営者は賃金支払余力が乏しい中、深刻な人手不足に対処するために、実力以上の賃上げを強いられているのが実態である。
最低賃金の大幅な引き上げに伴う影響
こうした中、最低賃金は「年率3%程度をめどとして、名目GDP成長率にも配慮しつつ引き上げ、全国加重平均が1000円になることを目指す」という政府目標により、中小企業の収益の持続的な改善や生産性の向上が伴わない中で、近年は名目GDP成長率や中小企業の賃上げ率(18年:1・4%)を大きく上回る引き上げが続き、特に昨年度は23の県が目安額を上回る引き上げとなるなど大幅な引き上げとなった結果、当所が実施した「最低賃金引上げの影響に関する調査」では、最低賃金引き上げの直接的な影響を受けた企業は、15年度の20・7%から19年度は実に38・4%に上り、年々増加の一途をたどっている。
また、厚生労働省の「最低賃金に関する基礎調査」によると、最低賃金額を改正した後に改正後の最低賃金額を下回ることとなる労働者の割合を示す「影響率」は08年度の2・7%、12年度の4・9%から17年度は11・8%と大幅に上昇している。東京都(11・2%)を含む25都道府県では10%を超えており、特に神奈川県、宮崎県、北海道では15%を超え、大阪府に至っては20・3%に達している。
こうした状況により、全国の中小企業から最低賃金の大幅な引き上げに対して悲鳴にも近い「生の声」が当所へ寄せられていることから、最低賃金に関して下記の事項を強く要望する。
1.中小企業の経営実態を考慮した政府目標の設定を
最低賃金の主たる役割・機能は労働者のセーフティーネット保障であり、業績の良し悪しにかかわらず全ての企業に罰則付きで適用されることから、通常の賃上げとは異なる性格を有している。最低賃金の引き上げペースに関する新たな数値目標の設定や最低賃金の全国一律化に関する議論があるが、米中貿易摩擦などを踏まえた足元の景況感や経済情勢と相まって、地域の中小企業は戸惑い、大きな不安を訴える声が高まっている。
現在の全国加重平均874円が政府目標の1000円になると約15%の大幅な引き上げになることから、これまで商工会議所は最低賃金について政府目標ありきではなく、あくまで中小企業の経営実態を重視した審議を行うべきであると主張してきた。 従って、足元の景況感や経済情勢、中小企業の経営実態を考慮することなく、政府が3%をさらに上回る引き上げ目標を新たに設定することには強く反対する。
なお、最低賃金の改定は審議会の議論を通じて公労使の合意によって行われることが原則であり、最低賃金の目標設定に当たっても、関係者、とりわけ地域経済や雇用を支える中小企業の納得が不可欠であることから、政府は目標設定にあたっては中小企業の実情を十分に踏まえる必要がある。
2.中小企業の経営実態を考慮した水準の決定を
地域別最低賃金の決定に当たっては最低賃金法第9条により、①労働者の生計費、②労働者の賃金、③通常の事業の賃金支払能力の3要素を総合的に勘案することが求められているが、近年は審議の結果、根拠が必ずしも明確ではない大幅な引き上げが続いた結果、当所の調査で直接的な影響を受けた企業の割合は38・4%に上り、年々増加の一途をたどっている。最低賃金の大幅な引き上げは、中小企業数がここ7年間で63万者減少している中で、経営基盤が脆弱(ぜいじゃく)で引き上げの影響を受けやすい中小企業の経営を直撃し、雇用や事業の存続自体をも危うくすることから、地域経済の衰退に拍車を掛けることが懸念される。
従って、最低賃金の審議では、名目GDP成長率や消費者物価をはじめとした各種指標はもとより、上記3要素を総合的に表している中小企業の賃上げ率(18年:1・4%)など中小企業の経営実態を考慮することにより、納得感のある水準を決定すべきであり、3%といった数字ありきの引き上げには反対である。
なお、余力がある企業は賃上げに前向きに取り組むべきことは言うまでもないが、政府は賃金水準の引き上げに際して、強制力のある最低賃金の引き上げを政策的に用いるべきではなく、生産性向上や取引適正化への支援などにより中小企業が自発的に賃上げできる環境を整備すべきである。
3.支援策の強化拡充、使い勝手の向上を
中小企業が生産性向上のための設備投資などを行い、事業場内で最も低い賃金(事業場内最低賃金)を一定額以上引き上げた場合に、その設備投資などに要した経費の一部を助成する「業務改善助成金」は、最低賃金引き上げに対する主な支援策である。しかし、18年度の地域別最低賃金の引き上げ額が23円から27円である中で、本助成金は事業場内最低賃金を30円以上引き上げた事業者が対象になっていることや、事業場規模30人以下の事業場に限られたコースがあること、さらには新規の設備投資などが要件となっていることから、「使いたくても使えない」「使い勝手が良くない」といった多くの「生の声」が当所へ寄せられている。
従って、本助成金は、対象事業者の事業場内最低賃金引き上げ額を地域別最低賃金引き上げ額と同額にすることや、新規の設備投資などを前提とせず生産性向上に資するソフト面の取り組み(売り上げ向上に資する広告宣伝費、展示会など出展費、試作・実験費など)も助成対象とするなど強化・拡充するとともに、企業の事務負担を軽減する観点から、交付申請は支障がない限り簡素化していくことで使い勝手を良くするべきである。さらに、IT・IoT・AI・ロボットなどの導入・活用などの生産性向上や取引適正化への支援を強化・拡充していくことも不可欠である。
4.改定後の最低賃金に対応するための十分な準備期間の確保を
例年、地域別最低賃金は、中央最低賃金審議会での目安に関する答申が出た後に各地の地方最低賃金審議会での実質的な審議が始まり、地方最低賃金審議会で改正決定後、ほとんどの都道府県で10月1日前後に発効するプロセスとなっている。
このため、各企業は、地方最低賃金審議会での改正決定から10月1日前後の発効までの2カ月程度で対応せざるを得ないことから、当所には「給与規定などの改定やシステム改修などを短期間で準備するのは負担が大きい」「発効日は、所定内賃金の引き上げ時期に合わせてほしい」「引き上げ分の支払い原資を確保するための時間も必要だ」といった中小企業の「生の声」が多く寄せられている。
従って、各企業が改定後の最低賃金に対応するための十分な準備期間を確保するために、発効日は10月1日前後ではなく、指定日発効により全国的に年初めまたは年度初めとすることが望ましい。
5.特定最低賃金の廃止に向けた検討を
特定の産業または職業について設定される特定最低賃金には、都道府県ごとに適用されるものが228件ある。特定最低賃金の改定または新設は関係労使の申し出に基づき、最低賃金審議会の調査審議を経て、地域別最低賃金よりも金額水準の高い最低賃金を定めることが必要と認められた場合に決定される。
一方、18年度の審議・決定状況を見ると、地域別最低賃金額を下回っているにもかかわらず改定されなかった特定最低賃金は42件あり、そのうち改正の申し出が無かったものが27件、また直近3年間で改定されていないものが29件ある。
地域別最低賃金の大幅な引き上げが続いている中で、これらの特定最低賃金は存在意義が失われつつあることから、関係労使が協議の上、廃止に向けた検討を行っていくことが望ましい。
なお、特定技能の在留資格に係る新たな制度の創設に伴い、政府は「特定技能外国人が大都市圏その他の特定の地域に過度に集中して就労することとならないようにするために必要な措置を講じるよう努める」こととしている。この特定技能外国人の大都市圏への偏在を防ぐための措置に関して、政府は全国一律の特定最低賃金の設定や地域別最低賃金の全国一元化など最低賃金制度を用いるべきではなく、地方における登録支援機関の設置促進に向けた取り組み、さらには地方の中小企業とわが国での就労を希望する外国人材とのマッチング機会の提供などを実施していくべきである。(5月28日)
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