村岡総本舗
佐賀県小城市
産地名を付けてブランド化
佐賀県小城市を通る長崎街道は別名シュガーロードとも呼ばれ、江戸時代には唯一西洋との貿易港だった長崎・出島から江戸に向けて砂糖菓子の技術が街道を通って運ばれた。沿道地域では菓子づくりが盛んに行われていた。村岡総本舗は、明治32(1899)年に創業し、この地でようかんを100年以上にわたりつくり続けている。その経緯について四代目当主の村岡安廣さんはこう語る。
「村岡家はもともとは米穀商でした。ところが米投機に失敗して借金ができ、それを返済するために私の曾祖母と祖父の安吉がようかんをつくって売り始めたのが村岡総本舗としての始まりです。祖父がまだ数えで16歳のころで、長崎の職人さんから道具一式を購入してつくり方を教わったそうです」
当時から小城ではようかんが盛んにつくられており、母の跡を継ぎ二代目として店を任されるようになった安吉さんは、ようかんを多く売るためにさまざまな努力を重ねた。小城が桜の名所であることから、小城のようかんは「桜羊羹」と呼ばれていたが、これではほかの産地のようかんと区別がつかない。そこで安吉さんは生産地の名前を入れて「小城羊羹」と名付け、ようかんを運ぶ箱に書いて売り歩いた。「祖父は商品名に地名を入れることで、ほかの地域のようかんと差別化を図ろうとしたようです。今で言うところの、産地ブランド化のはしりだったと思います」と村岡さんは誇らしげに語る。
さらに安吉さんは、販路拡大を目指し、福岡の久留米にある陸軍師団への納品に挑戦。当時整備が進んでいた鉄道に着目し、駅での販売などを進めていった。
機械化しても製法は昔のまま
「駅での販売では、ほかの店のものより数多く売るために、祖父は駅の販売業者と交渉して掛け率をほかより有利にしてもらい、その分ようかんを大きくして卸しました。同じ値段でもほかの店のものより大きい。この薄利多売商法が当たり、うちのようかんはどんどん売れていくようになりました」
二代目の必死の努力で借金を返し終えると、大正11年には敷地内に工場を建ててようかん製造の機械化を進め、大量生産ができるようにしていった。「それからしばらくすると海軍にもようかんを納めるようになり、戦前戦中は生産量の半分は陸海軍、半分は駅での販売でした。当時、ようかんはお菓子というよりも食糧だったんです。ようかん1本をご飯代わりに一人でペロリと食べてしまうのも普通のことでした」
第二次世界大戦中には、東京の虎屋と村岡総本舗の2社のみが商標入りのようかんを海軍に納入していた。アルミケースに入った密封式ようかんは保存性と携帯性に優れ、遠く南方の戦地にまで運ばれて食糧として兵士たちに広く食べられていたという。
「大量生産のための機械化といっても、手でやっていた部分を機械で行うようになっただけで、つくり方は昔のままです。練り上げたようかんを型に流し込み、固まったら取り出して裁断します。これがようかんの一番おいしいつくり方です。手間は掛かりますが、やめるわけにはいきません。やめてしまったら、ほかのようかんと変わらなくなってしまいますから」
海外へも情報発信していく
「しかし伝統製法を守っていくだけでは、ジリ貧になってしまいます。本物のようかんの味が分からない人が多くなってしまっているからです」と村岡さんは顔を曇らせた。「だからこそ、新たなことにチャレンジする必要がある。私の父がよく言っていたのは、“古くて古いものは滅ぶ。新しくて新しいものもいつかは滅んでしまう。けれど古くて新しいものは滅ばない”と。すべてを新しくするのではなく、伝統的なものを新しい切り口でやっていこうということです。そのためにコーヒーや紅茶、台湾茶など、ようかんに合う飲み物をいろいろ試したり、小城近隣の方々向けにようかんのおいしさ講座を開いたりして、ようかんを楽しんでいただける方法をお伝えしています」
平成27年には、イタリアのミラノで開催された万国博覧会に出展し、ようかんのつくり方と歴史を紹介するとともに、持参したようかんと特別に用意したコーヒーを来場者に試してもらっている。
「これは海外への販路拡大というよりは、情報発信することで日本へのインバウンドを推し進めていく仕掛けです。新しい時代に向けて中身をどうつくっていき、その情報をどう発信していくか。それがこれから重要になってきます」と村岡さんは力を込める。
和菓子店には長寿企業が多い。それは、単に伝統に頼るだけではなく、同社のように常に時代に合わせて新しいことにチャレンジしているからだといえるだろう。
プロフィール
社 名:株式会社村岡総本舗
所在地:佐賀県小城市小城町861
電 話:0952-72-2131
HP:https://muraoka-sohonpo.co.jp/
代表者:村岡安廣 代表取締役社長
創 業:明治32(1899)年
従業員:約80人
※月刊石垣2018年1月号に掲載された記事です。
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