あの人を訪ねたい 室伏広治

「大切なのは、状況に応じて自身をマネジメントする力です」

昨年10月、元ハンマー投げ選手でアテネ五輪金メダリストの室伏広治さんが、二代目のスポーツ庁長官に就任した。前長官の鈴木大地さんに続いてアスリート出身の長官となる。室伏さんが目指すのは、感動を与えるスポーツ界を築くこと。その真意と、コロナ禍を受けての開催となる東京オリンピック・パラリンピック(以後、東京オリ・パラ)への思いを伺った。

かわいい子には旅をさせよ

‶ハンマー投げの室伏〟といえば、室伏さんの父・重信さんを連想する人もいるだろう。重信さんはハンマー投げの前日本記録保持者(現在も室伏さんに次ぐ2位)で、「アジアの鉄人」の愛称で親しまれた。日本陸上界のスーパースターである父と同じ舞台で戦うプレッシャーはなかったのだろうか。「それが、一度も感じたことないんですよ」と室伏さんはキッパリと答えた。

室伏さんが伸び伸びとハンマー投げに取り組めた理由は、父である重信さんの人柄と教育方針にあるのだろう。

「細かいことにとらわれず物事を広く見る人です。子が自ら学びたいと言うまでじっと見守ってくれましたし、『ハンマー投げをやれ』と強制されたことはただの一度もありません」

室伏さんは高校入学を機に、親元を離れている。「親子で師弟関係になるのは簡単ではないです。我が子には厳しく指導できない場合もありますから。『かわいい子には旅をさせよ』という親心もあったのでしょう」

室伏さんの身体能力の高さを買っていた重信さんは、全国の陸上部の監督を調べ上げたという。選んだのは、千葉の名門・成田高校陸上部顧問の故・瀧田詔生(つぐお)監督だった。長距離走者の増田明美さんら多くのトップアスリートを育て上げた名監督だ。瀧田さんは礼儀や規律を重んじる「人間教育」にも重きを置く指導者だった。室伏さんをはじめ、親元を離れた陸上部の生徒に自宅を下宿先として提供し、皿洗いや床拭き、洗濯など自分のことは自分でする習慣を身に付けさせた。毎晩、生徒らと食卓を囲み、‶同じ釜の飯〟を食べた。釜の飯とは、瀧田さんの奥さまの手料理だ。

「瀧田先生には人としての在り方を学びました。いくら競技成績が良くても、生活態度に問題があれば厳しく叱ってくれる監督でした」

瀧田さんはハンマー投げの専門家ではない。毎月、重信さんが成田に通い指導にあたることで連携をとっていたのだという。2人の恩師から人間学と技術を学んだ室伏さんは、1991、92年とインターハイを連覇。高校卒業後は、重信さんが勤める中京大学に進学し、親子二人三脚で記録を更新していった。

長くトップに君臨するための秘訣(ひけつ)は何なのか。室伏さんが日本一に輝いたのは20歳の時で、以来、日本選手権で20連覇の偉業を達成し日本では敵なしだった。世界の頂点に立ったのは2004年のアテネ五輪。投てき種目では日本人初となる金メダルを獲得した。08年の北京五輪で5位入賞、12年のロンドン五輪では銅メダルをもぎ取った。

「その時々で自分のマネジメントを変えることです。20代の体でできることと30、40代の体でできることは違いますから」

例えば、北京五輪後に室伏さんが新たに取り組んだのは、体の柔軟性や可動性、体幹を鍛える基礎トレーニングだった。体の土台を一から鍛え直すことに専念したのだ。さらに、スポーツ科学や人体の構造を研究したことで、38歳で挑んだロンドン五輪で2度目のメダル獲得につながった。

五輪との‶深い関係〟

室伏さんは、五輪に4度出場しているが、最も印象に残っているのは、自身が出場していない1984年のロサンゼルス五輪だという。同五輪は父・重信さんが39歳で挑み、かつ9歳の室伏さんが初めてその目で見た五輪で、革新的な大会だった。大会組織委員長を務めたのは米国の実業家ピーター・ユベロスさんで、赤字続きだった五輪を放映権料やスポンサー協賛金などで黒字に転換させた。初めて一般のボランティアを募集した記念すべき大会でもある。

「選手同士だけでなく、観客やボランティアも国際交流を行う姿が印象的でした。あの時、外国の方と交換したピンバッジを今も大切に保管しているんです。五輪が他の大会とは違うのは、『平和の祭典』であることだと私は思います」

室伏さんは引退後も、‶国際派〟として高く評価された。国際オリンピック委員会(IOC)に人脈を持ち、東京オリ・パラの「スポーツディレクター」として競技運営計画の責任者となった。しかし東京オリ・パラは新型コロナの影響で一年延期へ。すると、今度はスポーツ庁長官に任命され、東京オリ・パラを支援する立場になった。室伏さんは、選手として、ディレクターとして、スポーツ庁長官として五輪を支える稀有な存在だ。

感動を与えるスポーツ界へ

本誌は5年前、初代スポーツ庁長官の鈴木大地さんへのインタビューを行っている。就任当時、前長官が掲げたのは「スポーツの価値を高めること」「世界で戦えるアスリートの強化育成」「スポーツを通じた国民の健康増進」の3本柱だ。室伏さんもまた、これらを強化していくこととなるが、5年前と状況が異なるのは、コロナ禍の影響だ。

「コロナ禍を受けてリモートワークが推進される中、運動不足、食生活の乱れ、メンタル不安など、国民の『健康二次被害』をどう改善するかが喫緊の課題です。『縦割り行政を打破する』と政府が掲げるように、われわれも厚生労働省や総務省とデータや知恵を共有し、改善を図っています」

障がい者スポーツにも一層力を注いでいく構えだ。

「本来、スポーツ庁ができた意義は、厚生労働省や文部科学省など複数の省庁にまたがるスポーツ行政を一本化し、障がい者スポーツを活性化することにあります。スポーツを楽しみ、感動を覚えることは、障がいの有無に関係ありません」

室伏さんがスポーツ庁長官として強調するキーワードは「感動」だ。スポーツをする人、見る人、携わる人すべてに「感動を与えるスポーツ界にする」と話す。「感動」を基準にして組織の取り組みを客観視することで、世の中やアスリートが求めていることが自ずと見えてくるのだと言う。

今年はいよいよ東京オリ・パラが開催される。

「コロナ禍でも選手が安心して練習できるよう、ナショナルトレーニングセンターなど、安心、安全な場を提供するのがわれわれの仕事です。保健所とも連携して環境を整えたい。選手たちには、どうか大会が一年延びたことを前向きに捉えて、本番まで自身を磨き抜き、東京オリ・パラという大舞台で力を発揮してもらいたい」

どんな時も自身を律し成果を出し続ける室伏さんの言葉は、ハッとするほど力強かった。

室伏 広治(むろふし・こうじ)

スポーツ庁長官

1974年静岡県生まれ。千葉県成田高校に入学してから本格的にハンマー投げを始め、その後中京大学に進学。97年にミズノ入社。自己最高記録は2003年、プラハ国際で出した84m86。04年のアテネでは金メダルを獲得し同年紫綬褒章受賞。07年に博士号を取得し、中京大学准教授として教鞭を振るう。東京オリ・パラの競技大会組織委員会のスポーツディレクターとして活動

写真・後藤さくら

室伏長官自ら出演し、実践しているトレーニング映像公開中

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