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知的障がい者7割が支える業界トップのチョーク工場
2人の少女の実習から始まった障がい者雇用
粉が飛び散らないダストレスチョークをつくり続けて81年、日本理化学工業は、今や国内チョーク製造販売の約60%を占める。それも社員70%、製造ラインほぼ100%が知的障がい者という雇用形態で、業界トップシェアを守り続けている。現会長の大山泰弘さんが第7回(平成20年度)渋沢栄一賞に輝き、代表取締役社長の隆久さんとともに〝働く幸せ〟を追求している町工場を訪ねた。
山梨、東京、神奈川と3県を流れる一級河川の多摩川の支流である平瀬川の護岸に、日本理化学工業の本社工場(川崎工場)はある。真っ白なチョークを思わせる外壁、玄関の自動ドアや2階の窓には、ガラスに描ける看板商品「キットパス」で色鮮やかなイラストが描かれている。工場然としていない軽やかな佇まいだ。
「業界シェアトップといっても、そもそもチョークは小さなマーケットです。全盛期は20社ありましたが今は5社。自慢できることではありません。ホワイトボードやプロジェクター、電子黒板などの普及で、危機感あるのみです」
そう苦笑しながら出迎えてくれたのは、四代目代表取締役社長の大山隆久さんだ。父である先代の泰弘さん(現会長)から平成20年に引き継ぎ、現在に至る。同社は昭和12年に創業し、アメリカ製チョークしかなかった28年には、日本初の炭酸カルシウム製チョーク「ダストレスチョーク」を開発して頭角を現していった。チョークメーカーとしては後発だったが、粉が出ない、口に入っても害がないチョークは当時の文部省あっせん品に指定され、日本工業規格(JIS)表示許可工場へと発展する。
そんなある日のこと、養護学校の先生が「生徒を2人雇ってほしい」と訪ねて来たという。 「責任が持てないからと、父は一度断ったそうです。でも二度、三度と訪ねてきて、採用は無理でもせめて実習体験でもさせてほしいと頼み込まれて、情にほだされて引き受けたようです」と大山さん。 15歳と17歳の少女の2週間の実習受け入れが、後の同社の障がい者雇用の起点になるとは、この時は誰も予想だにしなかった。
知的障がい者に特化した全国初のモデル工場
工場にやってきた2人の少女は、予想をはるかに超えてよく働いた。社員からも採用を懇願されるほどで、35年、正式に知的障がい者を社員として採用することになる。その後も、福祉施設でのんびり暮らすより働くことを選ぶ少女たちにとっての幸せとは何か、健常者と障がい者の間に生まれた世話する側・される側の溝などに思い悩みながらも、同社は重度知的障がい者の幸せをかなえる会社経営へと、かじを切っていった。
42年には北海道では福祉が進んでいる美唄市に第2工場を開設して知的障がい者雇用を拡大。50年には全国初の心身障がい者多数雇用モデル工場(現、川崎工場)を融資制度を活用して立ち上げる。美唄工場も後を追うように、56年にモデル工場として生まれ変わる。 「モデル工場認定には厳しい条件がありました。社員の50%以上が心身障がい者で、そのうち25%は重度でなければならないというのです」
身体障がいを中心とした障がい者雇用促進法が、知的障がい者にも広がるのは62年のことだ。その先駆けになったばかりか、地域最低賃金を割ることなく、融資額も約束通り20年で償還し、その間に国内トップメーカーの座を不動のものにしていく。まさに偉業だ。
「チョークづくりは単純作業だからできると思われるかもしれませんが、JIS規格は厳しく0・1㎜単位の品質を求められます。しかし、社員の中には文字や数字を認識できない者もいます。そこで色や形で判別できる、いわゆるユニバーサルデザインの道具や検査治具を独自につくりました。手を挟む危険がある機械は、両手でスイッチを入れないと稼働しないようにするなど、試行錯誤して作業効率を上げる工夫を重ねた成果です」
また、社員に責任と主体性、チームワーク向上を促している点も特徴的だ。個々に年間目標を掲げ、障がいがある社員にも人柄や仕事ぶりで班長や「6S活動」(整理、整頓、清潔、清掃、しつけ、安全の確認)の委員などの役割を与えている。
「諦めない」ことで可能性を広げる
道具や機械、ルールづくりは企業側の努力が必要だが、社員の仕事に対する熱意、優れた技術力、高い集中力こそ企業の原動力であると大山さんは言及する。大山さん自身、大学院を卒業して家業に入った当初は経営危機を心配するあまり、健常者の雇用を増やし、工場の合理化、近代化を主張したことがあったという。しかし、その考えを一変させたのも社員らの働く姿勢だった。
「一緒に仕事をすることで彼らの素晴らしさが見えてきました。製造ラインに入ると、私の方が足手まといになるほどです。働く喜びにあふれていて、優しさや思いやりといった人の本質に立ち返らせてくれる、先生のような存在です」と頬を緩ませる。
平成21年2月、第7回渋沢栄一賞を受賞したのは先代だが、その経営哲学は大山さんにもしっかりと受け継がれているようだ。受賞は、重度の知的障がい者を50年近く雇用し続けていること。20〜60歳まで福祉施設で養護した場合は1人当たり2億円かかる計算で、15歳から働いている人や60歳を超える社員が複数いることを鑑みると、社会保障費の削減に値すると評価された。
「うちが特別とは思っていませんが、他社と大きく違うのは伝えることを諦めなかった点です。障がい者だからできない、伝わらないとはしなかった歴史が今につながっています」と大山さんは熱く語る。 近年、少子化の波に押されてチョーク市場の需要は縮小傾向。だが、産学連携で20年の月日をかけて開発した「キットパス」で、窓ガラスや浴室の壁、フェイスペインティングができるシリーズを次々打ち出し、海外販路の開拓にも余念がない。教育現場だけではなく、デザインやアート分野でのチョークの可能性も広げつつある。知的障がい者雇用を始めて来年で60年。同社の諦めない挑戦はまだまだ続く。
会社データ
社名:日本理化学工業株式会社
所在地:神奈川県川崎市高津区久地2-15-10
電話:044-811-4121
HP:https://www.rikagaku.co.jp/
代表者:大山隆久 代表取締役社長
従業員:85人(63人が知的障がい者で、うち26人が重度)平成30年2月現在
※月刊石垣2018年4月号に掲載された記事です。
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