18歳で世界三大コンクールの一つ、チャイコフスキー国際コンクールで史上最年少かつ日本人初の優勝に輝いた諏訪内晶子さん。世界的ヴァイオリニストとして活躍し、昨年デビュー30周年を迎えた。2013年より芸術監督を務める「国際音楽祭NIPPON」では東日本大震災の被災地にも音楽を通じて熱いエールを送っている。
華々しいデビュー後も自分の在り方を地道に探求
「史上最年少」で結果を出し、鮮烈なデビューを果たす。一夜にしてスターとなり名前と顔が知られるが、当事者はそれまでの生活が一変し、見知らぬ多くの人からの羨望(せんぼう)と期待を一身に集めることにもなる。ヴァイオリニスト、諏訪内晶子さんもそんな一人だ。弱冠18歳でチャイコフスキー国際コンクールに優勝した当時を振り返り、「プロになるなんて思ってもみませんでした」と言って笑う。
優勝後は、かなり先まで演奏スケジュールが決まり、一流の指揮者やオーケストラとの共演という心躍る機会も数多くあったという。しかし、コンクールとコンサートは全く別物。人生経験をこれから積み上げるという時に、音楽家としての表現力や人生観が問われる。諏訪内さんは国内での演奏活動を一旦取りやめ、自分自身の音を求めて、アメリカのジュリアード音楽院の門を叩いた。さらにジュリアード音楽院との単位交換制度のあるコロンビア大学で政治思想史を学ぶなど、奏者としてだけではなく、音楽家として世の中とどう向き合うか、総体的に自分自身を見つめ、技術を磨き上げながら人としての生き方、在り方を地道に追求し、大成するに至った。
「2020年でデビューして30年になりました。あっという間のような、そうでもないような不思議な感覚です。でも、人生の節目節目で恩師をはじめ素晴らしい出会いがありました。一つひとつ最善の演奏をし、その演奏を聴いて下さった方から縁が広がる。その積み重ねだったように思います」
3歳からヴァイオリンの練習を始め、ストイックなまでに毎日ヴァイオリンと向き合い続けてきたことには触れず、口にするのは恩師や出会った人々への敬意と感謝の気持ちについてばかりだ。
ニューヨーク・フィルハーモニックやベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめ、世界有数の指揮者、オーケストラと共演し、19年には、諏訪内さんが世界に名を轟かせたチャイコフスキー国際コンクールの審査員も務めた。日本を代表する世界的ヴァイオリニストとして順風満帆に活躍しているように見えるが、諏訪内さんはこう切り出した。
「20代半ばから本格的に演奏活動を始めて、10年ぐらい続けるなかである種の虚しさを感じるようになりました。私に継続できているものはあるのだろうかと」
諏訪内さんのその思いが13年、芸術監督として自ら企画した「国際音楽祭NIPPON」の原動力となっていった。
ヴァイオリンと翔けるさらにその先の目標へ
「今では音楽活動の85%がオーケストラとの共演で、オーケストラや指揮者からお声を掛けてもらって共演が叶(かな)うもので、いわば受け身の状態です。知らない土地の気候風土、初めてのホールの音の響きを短時間で感じ取り、初対面の人たちとコミュニケーションをとりながら曲を仕上げていきます。時にはぶっつけ本番のような状態で演奏することも少なくありません。オーケストラとの共演は刺激的で楽しいですが、同時にもっと私自身が継続して発信していく、社会に貢献できることはないかとも考えるようになっていったのです」
その思いに共感し、協力してくれる人や環境が整い、結実したのが「国際音楽祭NIPPON」だ。
「私は日本で生まれ育って、日本で世界に通用する技術を身につけてから留学できたことが、その後の人生の出会いや経験を大きく変えてくれました。その日本に少しでも恩返しがしたいという思いがベースにあります」
音楽祭は20年には6回を数え、奇しくもベートーベン生誕250周年、終戦75周年、そして諏訪内さんのデビュー30周年と三つの節目が重なることとなった。だが、もう一つ重なったものがある。100年に一度といわれる世界的なパンデミックだ。
「2〜3月の1カ月間の開催予定でしたが、3月の公演ができなくなってしまいました。そこで今年、昨年できなかったプログラムの一部を開催することにしたのです。海外からの入国制限で出演者を変更したり、オンライン配信を取り入れたり、座席数を約50%に制限するなど、感染症対策を徹底しました」
東京、愛知、岩手の3拠点で4企画5公演が開催され、クラシック音楽の名曲だけではなく、近代、現代曲も積極的に取り入れたプログラムになっている。コンサートだけではなく、プロを目指す子どもたちに諏訪内さんが直接指導にあたるマスタークラスも組み込むなど、「一部」といってもかなり多彩だ。5月にはNHK交響楽団との共演も予定しているという。
寄り添う言葉ではなく背中を押す音楽を届ける
「演奏するだけではないので、いろいろ大変ですが、音楽を違う角度から分析できたり、他のアーティストと交流できたり、学ぶことは多いです。クラシックだけではなく現代音楽の素晴らしさを伝えていくことも演奏家の役目として、積極的に取り入れています」
さらに音楽祭の関連企画として岩手県釜石市で、東日本大震災復興応援コンサートも開催した。
「メンバーに釜石市出身のピアニストがいて、自身が被災時にオーケストラの演奏で勇気づけられたという話を聞いた時、被災地でコンサートを開催する意義を感じました。『大変でしたね』と言葉で寄り添うのではなく、前向きになれる、生きる活力になる音楽を届けることを意識しています。震災から10年が経(た)ちますが、今後も続けていく予定です」
ヴァイオリンを弾き続けてきた〝継続〟とはまた違う、自らが軸となるプロジェクトの継続、被災地への思いは熱い。
コロナ禍で世界各地を飛び回る自身の活動ができなくても、「演奏会が開けないことを前提に、曲のレパートリーを増やしたり、レコーディングに重点を置いた予定を立てています。一カ所にこんなに長く、それも規則正しく生活したことがないので、以前より健康になったぐらいです」と声のトーンが下がることはない。世界三大ストラディヴァリウスの一つ「ドルフィン」を30年近く弾き続けてきたが、昨秋、ストラディヴァリウスに匹敵、それ以上の名工として呼び声高いグァルネリ・デル・ジェズが1732年に製作した「チャールズ・リード」と数奇な縁で出会い、長期貸与された。「力強くて人間味あるヴァイオリン」と声を弾ませる。
「情報があふれる今、情報に振り回されずに一つのことを続ける大切さを痛感しています。積み重ねていくことが自信になる。私自身も挑戦し続けている毎日です」
状況を言い訳にしない姿勢が、諏訪内さんの奏でる音色と重なった。
諏訪内 晶子(すわない・あきこ)
ヴァイオリニスト
東京都生まれ。1990年、史上最年少でチャイコフスキー国際コンクール優勝。桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコース修了後、文化庁芸術家在外派遣研修生としてジュリアード音楽院本科に入学し、同時にコロンビア大学、後に国立ベルリン芸術大学でも学ぶ。95年、アンドレ・プレヴィン指揮N響定期演奏会で日本での演奏活動再開。以降、ニューヨーク・フィル、ベルリン・フィルなど世界有数のオーケストラとの共演多数
諏訪内晶子さん公式HPはこちら
写真:©Kiyotaka Saito
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