2022年は、日本商工会議所創立100周年に当たる。そこで、今号は記念企画第1弾として、創業100年以上を誇る老舗企業の経営者であり、地域の商工会議所会頭も務めている当主に、創業以来取り組んできた経営の極意と会頭としての地域への思いを語ってもらった。
軍手の悩みや要望に親身になって対応 顧客の立場で製造する企業であり続ける
和歌山県有田市で軍手や作業用靴下を製造・販売している日出手袋工業は、1918(大正7)年に創業した。廉価品が数多く市場に出回る中、同社は軍手の品質にこだわり、作業現場で軍手を使う人たちの声を反映した製品づくりを行ってきた。また、多品種少ロット生産やオーダーメードにも対応しており、多くの顧客から根強い支持を受けている。
農作業の合間の副業で作業用手袋をつくる
日出手袋工業がある有田市では、江戸時代中期の天明年間(1781〜89年)ごろから大機(おばた)と呼ばれる足踏み織り機で木綿織の生産が始まっていた。以来、地場産業として織物づくりが綿々と受け継がれていき、明治末期から作業用手袋がつくられるようになっていった。ちなみに軍手という名称は、かつて軍隊で使用されていた軍用手袋からきており、今では一般的な作業用の手袋にその名が受け継がれている。
日出手袋工業社長の川端隆也さんは、自社の始まりをこう語る。
「初代の川端力松はもともと農家で、みかんや米づくりをしていました。そして、農業をやりながらの副業として、1918年にメリヤスの小型横編機を導入して作業用手袋を製造したのが始まりです。このころ、周辺のほかの農家も同じようにして手袋づくりを始めたようです。以前から木綿や綿ネル(綿の表面に起毛をかけた生地)、メリヤスなど織物製品づくりの土台があったので、材料が調達しやすかったのだと思います」
農作業の合間に編み上げた手袋は、初代が和歌山市や大阪市まで運んで売りさばき、その代金で材料を仕入れて戻ってくるということを繰り返していた。特に37年に日中戦争が起こった際には、大量の軍手が必要とされていた。
「利益は編み機の購入費に」「編み機は会社の心臓」
「戦後の49年に、初代は日出手袋工業株式会社を設立し、会社組織にしました。その10年後に私の父の敏夫が二代目を継ぐころになると、日本は高度経済成長期に入り、軍手の需要が増えていきました」と川端さんは言う。
そのころの手袋編み機は、まだ半自動動力装置で量産には限界があった。だが64年に同じ和歌山の島精機製作所が全自動手袋編み機の開発に成功したことから、有田市の手袋製造業者の多くがこれを導入。軍手づくりは有田市の地場産業として定着していった。
「初期の編み機は手袋の手の平部分と手首部分を別々につくり、それを人手でかがり縫いする必要があり、それほど大量にはつくれませんでした。しかし、指先から継ぎ目なく手首まで編み上げていく機械が開発され改良が進むと、短時間で大量に生産することが可能になりました」
そのころの二代目のモットーが「利益は全て編み機の購入費に」で、毎年10台ずつ編み機を購入し、「編み機は会社の心臓や、止めたらあかん!」と、機械を止めることなく手袋を編み続けていった。
「その当時は、お得意さまの倉庫代わりとして、商品在庫を十分に準備し、いつどんな数量でも、注文を受けたらすぐ納入できる体制にしていました。お得意さまの方も、うちを自社の倉庫と考えて、売りに専念できる。それが高度経済成長の時代の流れにうまくマッチしていました」
品質を落とさず真心を込めてつくる
その後は作業用靴下も生産するようになり、徐々に販売数量が増えていった。しかし、バブルが崩壊すると、海外から安い軍手が大量に入ってくるようになった。
「外国産の価格は国内産の半値以下で、注文がガタ減りしました。私が社長を引き継いだのは、そんな大変な時期でした」と川端さんは笑う。
今後の会社の方向性について、会長になった先代と川端さんが話し合い、これまでどおり品質を落とさず、手袋・靴下をつくっていくことに決めた。
「それから10年くらいはなんとかやっていきました。後継者ができ2006年にBtoB、BtoCを意識した自社サイトを立ち上げ、販売形態を時代の流れに沿ってシフトしていきました」
日出手袋工業のホームページのトップには「あなたの手袋&靴下工場」とある。これは「作業用手袋で悩みや要望があれば、親身になってそれに応えます」という姿勢を示したものである。
「これは多品種少ロット生産が可能だからできること。これからも品質を第一に、お客さまの目線、立場に立って製造する企業でありたいと思っています」
軍手をして一日中作業をする人にとって、軍手の良しあしで疲れ具合が大きく異なるという。そんな人たちのために、日出手袋工業は高品質の軍手をつくり続ける。
会社データ
社名:日出手袋工業株式会社(ひのでてぶくろこうぎょう)
所在地:和歌山県有田市初島町里1655-2
電話:0737-83-3111
代表者:川端隆也 代表取締役社長
創業:1918年
従業員:16人(パート含む)
【紀州有田商工会議所】
※月刊石垣2022年1月号に掲載された記事です。
会員に寄り添う気持ちを常に持って接していく
商工会議所の職員には、会員さんに寄り添う気持ちを持って相談や指導をしていってほしいと言っています。車社会化や大型店の進出で人の流れが変わり、これまでの商店街をどう再開発していくかが今後の課題です。
日本商工会議所は、地域の中小零細企業の立場をよく理解してくれています。今の方向性は変えず、さらには、海外に出ていった企業が日本に戻ってやっていける方向にしていただけたらと思っています。
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