青森市は、日本を代表する火祭り「青森ねぶた祭」で有名ですが、古くから港町、商都として発展してきた「商いのまち」です。資源豊かな陸奥湾の最深部に位置する青森港は、本州と北海道を結ぶ物流拠点、地域産業を支える国際物流の拠点港としての役割を果たしてきました。
若井家は、港町同士のご縁もあり、嘉永年間に若狭(福井県)から青森に移住しましたが、私で六代目になります。海産物問屋を興し、所有船舶で、青森、北海道の海産物を本州各地へ供給しておりました。その後、1972年、青森市中央卸売市場の開設に伴い、同業11社とともに卸売業者として青森魚類を設立し、今年で50年目になります。現在、当社の取締役会長として水産卸業に携わっております。今や県内、国内のみならず、世界中から集荷するというグローバルな商流へと大きく変化を遂げています。
若井家のDNAによるのか、私はヨットを趣味としており、「装備を整え、天候や海況を調査し、クルーを鍛え、準備万全、事に当たっては果敢に取り組む」をモットーに今年も「青函カップヨットレース」に参加します。青函トンネル開通を記念して始まった青森・函館間のレースは、ロシアも参加する東北以北唯一の国際レースに発展し、今年で33回目になります。
また私は、地域の文化や歴史を後世に伝えていくことにも心血を注いできました。昨年7月、青森市に立地する三内丸山遺跡や小牧野遺跡を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されました。15年にわたり、「青森県の縄文遺跡群世界遺産をめざす会」会長として活動してまいりましたが、ようやく結実したことは感無量でした。地域の誇りとして広くその魅力を世界に発信していきたいと思っています。
さて、青森商工会議所は、1893(明治26)年10月24日、東北で2番目の商業会議所として発足。来年で130周年を迎えます。当時青森においては米の価格安定が課題とされ、米穀取引所開設が強く望まれていた時代ですが、その解決のためには、地域商業者の意見を集約する機関、即ち商業会議所が必要だったのです。日本商工会議所が今年100周年を迎えましたが、その設立に深く関わった青森商工会議所としても感慨深いものがあります。100年の節目、ポストコロナに向け新しい時代を切り開く契機となりますことを念願しています。
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