「大学」といっても防衛大学校(以下、防大)は特異だ。自衛隊の幹部候補生を育てる士官学校であり、防衛省の研究機関としての役割も担う。未曽有の災害や宇宙、サイバー、新型コロナウイルスなど自衛隊の守備範囲は拡大し、世界情勢も緊迫する中、政治学者である久保文明さんが昨年4月、第10代学校長に就任した。まさか自分がと驚きつつも覚悟を決めて以来、就任1年がたつ。
組織のリーダーになり得る人材育成に特化した大学校
「想像もしていませんでした。防衛省の幹部から2019年の年末に連絡をいただいたときは、なぜ私に?と困惑したほどです。防大に知り合いはいましたし、それこそ九代目学校長の國分良成さんは慶應義塾大学時代の同僚という接点はありました。過去に防大を訪れたこともありますが、学校見学程度。私は、全くの部外者でした」
そう当時を振り返り、久保文明さんは苦笑する。熟考に熟考を重ねて承諾したのは20年3月。二つ返事をするにはあまりにも荷が重く、難しいポジションである。火中の栗を拾う行為にさえ見えるが、久保さんはあえて飛び込んだ。
「自衛隊、自衛官についての知識はまだまだですが、筑波、慶應、東大と複数の大学、大学院で教えてきた経験があります。学問の基礎はあまり変わりません。ゼミの合宿や学園祭を通して、学生たちとも積極的かつ丁寧に交流してきたという自負もあります。人材育成という観点から力になれることがあればと決意しました」
実際、一般大学との共通点はある。4年制で、教養教育や外国語、体育のカリキュラムがあり、人文・社会科学や理工学専攻として学位を取得することも可能だ。だが、やはり違いの方が大きい。第一に全寮制であること。朝6時の起床、その5分後の点呼に始まり、午後10時30分の消灯(翌2時まで延長可)まで原則時間割に準じた規律ある集団生活が4年間続く。次に学生は特別職の国家公務員という位置付けだ。学生手当、期末手当、つまり給与とボーナスが支給される。必修科目には防衛学があり、校友会(クラブ活動)では運動部への入部が必須である。入学直後に別の道を選べる試行期間があるのも納得の大学生活である。
「防大卒業後はさらに約1年間、海上、陸上、航空の各幹部候補生学校に入校します。防大としては幅広い教養と深い学識、高度な専門性を備えたリーダーになり得る人材を育てなければなりません。そのため学校側の生徒への関わり方は他校より深く、濃密といえます」
「競わせる」ことで学生の成長を促す
久保さんも学校長になることを自問自答したからこそ、学生の退路にも理解を示す。
「学生にも一般の方々にも、自衛隊の役割を粘り強く伝えていくしかありません。それに喜ばしいデータもあるんです。その一つに日本経済新聞社が19年に実施した世論調査があります。八つの機関や団体、公職の信頼度を見るもので、調査結果ではトップが自衛隊でした。自衛隊を憲法違反とする意見がある一方、度重なる災害による救援活動などが高く評価されての結果であると受け止めています」と笑顔を浮かべる。
少子化が進む昨今、入学希望者の確保という課題も例外ではない。それでなくても防大での学校生活は、向き不向きが大きく分かれる。だが、毎年約480人が入学し、うち70人が女子学生で、全体の約5%は留学生だ。
「一般入試のほか、学校推薦や総合選抜(自己推薦)など入試を多様化し、工夫しています。学生の10人に1人が海外を経験できるのも魅力です。また、学校側も幹部自衛官としての人的資質を高めるために工夫を凝らして育成します。8人1部屋の部屋割りも1年生から4年生まであえて同室にして、上下関係、チームワーク力を養います。学校行事が多いのも特色で、それも学生寮間や、約500人単位の第1〜第4まである大隊間で競わせて団結力とともに実力を高めていきます。演劇や読書会でさえそうで、成果が著しいのがTOEIC。ほとんどの大学は、英語の成績は入試時が一番高くて下降するばかりですが、防大は入学後に上昇しています。切磋琢磨(せっさたくま)し合える環境設定は、学校、企業問わず、人材の成長促進に重要なファクターだと思います」
時代によって変わりゆくリーダー像を柔軟に描く
日本を取り巻く情勢が目まぐるしく変化し、宇宙、サイバー、電磁波、そして新型コロナウイルスの感染拡大防止など、自衛隊の守備範囲が広がっている。防大も時代とともに変化が求められている。
「まさに教科書がない状態です。将来、前例のないことが起きた時、幹部自衛官として柔軟に対応できる思考力、判断力、幅広い視野が不可欠です。総じてこれを私は人間力と言っています。これをいかに高めていくかが教育の指針です」
そう語る久保さんは、就任後に早速試験的に実施したことがある。数人の防大生をJICAへインターンに送り出したり、他大学の学生と一緒にボランティア活動に出向かせたりするなど、キャンパス外の活動を増やした。これは久保さん自身、米国政治の研究において2016年のトランプ氏が大統領予備選に当選したニューハンプシャー州の集会に赴くなど、本やデータだけではなく現場に足を運んで研究を重ねてきた経験がベースにある施策だ。
「インターンも就職前提ではなく、幹部自衛官として視野を広げることが目的です。以前から国際関係の勉強会を他の大学4、5校を交えて開催してきました。こうした外部交流を活発にする枠組みを整備できたらと考えています」
自衛隊の勤務地は全国に約260カ所あり、職種・職域も幅広い。同時に、国民の自衛隊へのイメージはさまざまで、安全保障に関する意見も多岐にわたる。そうした現状を肌感覚で知るためにも〝外〟に触れさせていきたいという。「最近は特に米中関係が緊迫化する中、同盟国との協力関係の強化、日本の自助努力などが問われています。それは自衛隊の在り方とも重なり、幹部自衛官の気概や資質に熱い期待が注がれているとも感じています。加えて、組織の在り方も時代とともに変わります。防大としても上級生と下級生の関係性、幹部自衛官としての生活態度はどうあるべきか、学生の指導方法も新たな局面を迎えています」
リーダー像も時代とともに変わりつつあり、リベラルアーツ教育とともに視野を広げるための社会経験の重要性も説く。
「今年で創立70周年を迎えます。私も就任してもうすぐ1年。具体策はこれからですが、地域や他校との交流、ひいては大学としてできる範囲で同盟国や友好国との協力関係や交流強化にも取り組んでいきます。国民の命と財産、領土、平和な暮らしを守るのが自衛隊の使命です。それをやりがいと感じる人間力の高い幹部自衛官を送り出していく、その気概を持って学校長の任に当たります」
久保 文明(くぼ・ふみあき)
防衛大学校長
1956年生まれ。79年に東京大学法学部卒業。89年「ニューディールとアメリカ民主政、農業政策をめぐる政治過程」で法学博士の学位を取得。筑波大学社会科学系講師、筑波大学社会科学系助教授、慶應義塾大学法学部助教授・教授を経て、2003年より東京大学大学院法学政治学研究科教授を務める。この間もコーネル大学をはじめ米国の有名校の客員研究員として在外研究を行う。21年4月第10代防衛大学校長に就任。政治学者で専門は米国政治。著書、共著、編著多数
写真・後藤さくら
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