テレビの料理番組やバラエティー番組を通じて、全国に名が轟く服部幸應さん。国民的なタレントとしての活躍は目覚ましいが、それは一面に過ぎない。50年以上、料理関連メディアを監修、協力もし、服部学園 服部栄養専門学校の理事長・校長として料理人の育成に尽力し、食育基本法成立の立役者でもある。料理界の重鎮の素顔に迫った。
父に「うまい!」と言わせたいその一心で料理を探究
テレビ越しに見続けた〝いつも〟の服部幸應さんがそこにいた。絶大な知名度を誇る服部さんは、肩書きだけでも丸々1ページ埋まってしまうほどで、逸話も枚挙にいとまがない。一番古いエピソードには、2歳の時にはすでに包丁を握っていたというものがある。
「祖母がそう明言していましたけれどね。私自身は3、4歳からの記憶しかなく、実際はどうなんでしょうね」と朗らかに笑う。祖母は料理教室の先生で、父は服部学園の創設者。食のエキスパートになるべくしてなる環境下で、服部さんは育った。
料理に目覚めたのは小学4年生の頃、父親に命じられて天丼をつくったことに端を発するという。
「料理を手伝ったことはありますが、一からつくるのは初めてでした。挑戦した天丼は、エビの下処理から天つゆづくりまで全部自分で行いました。われながらの自信作だったのですが、父親が一口食べるなり、『まずい』と言って箸を置いてしまった。悔しかったですね」
これが服部さんの中に眠っていた料理魂に火がついた瞬間である。祖母と母親の協力の下、3人で天丼のおいしい名店を巡っては味覚を磨いていった。ある時、東京・神田であまりにもおいしい天丼に出合うと、祖母が店に直談判して調理法を服部さんに教えてもらえるようにしたというほど。気軽な食べ歩きではなく、本気の〝学びの場〟であったのだ。
「試行錯誤の末、完成した天丼に父が『うまい!』と言ってくれた時はうれしかったですね。父にうまいと言ってもらうことが目標になって、どんどん料理に打ち込むようになっていきました」
テレビ番組の華々しい活動と地道な啓発活動を両立
また、同じ頃の鮮明な記憶が、食への探究心を掻(か)き立てるもう一つの原動力になっていると話を続けた。
「家の近くに大きな沼があって、そこでよくザリガニやメダカを釣って遊んでいました。ある時、ブリキ缶を持ったおじさんがやってきて、缶の中の油を沼に捨てて行ったんです。翌日、大量の魚やメダカが死んでいて藻は泡だらけ。身の回りがどんどん汚れていくのを子どもながらに痛烈に感じ取った出来事でした」
この原体験を経て、1964年、日本でもベストセラーになった環境破壊に警鐘を鳴らす名著、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』に衝撃を受けた服部さんは、自然環境と食の安全について深く関心を持つようになったという。
料理のおいしさを究めるだけではなく、服部さんは一貫して食を取り巻く深刻な問題に真摯(しんし)に向き合い続けており、その一つに「食育」がある。今でこそ広く知れ渡った言葉だが、服部さんが食育を広めた功労者である。30歳を過ぎた頃に父親の後を継いで学校の理事長兼校長に就任したのも、こうした思いが根底にあった。
「食育は、明治時代にはすでにあった言葉です。体育、知育、才育、徳育、食育を五育といって提唱されていたんです。『沈黙の春』でも警鐘を鳴らされているDDTなどの有機塩素系殺虫剤や農薬のことや、世界でも日本は農薬を大量に使う国であること、食育の必要性などをテーマに、よく講演もしていました」
1980年後半からこうした取り組みを続けており、同時にテレビ界における華々しい活躍も増えていく。20代ですでに番組制作に関わっていた服部さんのターニングポイントになった番組が92年から14年間放映された「TVチャンピオン」だ。これは服部さんが提案した料理人が競い合うバラエティー番組で、大根のかつらむきでどれだけ薄く長くむけるかを競わせるなど、職人の技をエンターテインメントとして紹介することで、広く知ってもらうという狙いがあった。この流れをくんで誕生したのが「料理の鉄人」だ。対戦型料理番組として海外でも類似の番組が生まれるほどの大ヒットとなり、服部さんは校長役のほか、メディア監修、協力もした。
こうした人気、知名度、実績を伸ばす中、ある有名政治家からの講演依頼から時代を動かす大きな流れが生まれる。
「小泉純一郎元総理です。当時は厚生大臣(現厚生労働大臣)をされていた頃で、講演をきっかけに食育に興味を持ってくださいました。総理就任後は総理を含めて農林水産、厚生労働、文部科学の3省の担当者との会議にも呼ばれることが多くありました」
そして2005年、日本は世界に先駆けて食育基本法を制定した。
法案成立、団体設立のキーマンとして尽力
食育基本法が成立した翌年、食育を推進するための食育推進基本計画が発表されるのだが、この計画策定にあたる農林水産省の「食育推進会議」の委員であり、「食育推進評価専門委員会」の座長を服部さんは務めている。
「計画は5年刻みで目標を掲げていて、21年4月から第4次5カ年計画がスタートしました。食育が浸透、普及するにつれて具体的な目標が増えていき、第4次の目標は24個です。しかしさすがに多すぎるので、12のテーマに分けて、文字ではなく、食育ピクトグラムという絵文字で示しています。SDGsの17の目標は、すでに食育基本法に含まれているものばかり。それにピクトグラムも、1964年開催の東京五輪時に生み出されたのが始まりで、日本が先んじています」と声を弾ませる。
服部さんは、今なおテレビの番組制作のオファーが引きも切らず、講演会や年間約50本の料理コンテストの審査員なども務める。多方面で精力的に活動しており、2022年2月にはYouTubeチャンネルを開設。仕事をセーブしようとしても増えるばかりと笑う。一方、若い世代に料理の世界の厳しさを教える難しさが年々増していると、教育者として苦慮することも多い。それに加えて20年春から続くコロナ禍だ。大打撃を受けている外食産業を放ってはおけないと、行政に働き掛けて21年12月に飲食業界の新たな業界団体として「日本飲食団体連合会」を発足し、会長に就いた。参加団体や協会は30を超え、会員数は500人以上、うち総理を含む議員は150人近くを占める。業界随一の団体を目指す勢いだ。
服部さん自身、ライフワークは「食育」と明言しており、食育だけにとどまらない活躍の場、求められる役割はまだまだ広がっていきそうだ。
服部幸應さんの公式YouTubeチャンネルはこちら
服部 幸應(はっとり・ゆきお)
服部学園 服部栄養専門学校理事長・校長、医学博士
1945年生まれ。立教大学卒、昭和大学医学部博士課程修了。約35年前から食育による子どもの健全な育成、生活習慣病予防、地域環境保護を提唱している。「食育基本法」発案者。農林水産省の食育推進会議委員・食育推進評価専門委員会座長を務める。旭日小綬章、藍綬褒章およびフランス大統領よりレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエなど受章多数。著書も『服部幸應の日本人のための最善の食事』(日本能率協会マネジメントセンター)など多数。2021年12月設立の一般社団法人日本飲食団体連合会の会長も務める
写真・後藤さくら
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