NHKの人気ドキュメンタリー番組『プロジェクトX』の生みの親として知られる今井彰さん。平成を代表するこの番組は2000年から5年間にわたり放送され、日本のサラリーマンに希望を与えた。現在、NHKを退局し小説家として活動する今井さんは、着想から6年を経て、昨年『光の人』を出版した。元NHK看板プロデューサーが描く、現代に送る『プロジェクトX』最終章とは―。
1通のラブレターから生まれた『地上の星』
幼い頃から本を読むのが好きだったという今井さん。「教師だった祖父はすごい読書家で自宅納屋の2階をミニ図書館にしていました。5、6歳の私はそこに忍び込んでは、読めもしない枕草子を眺めていました」
本に囲まれて育ち、当然のように小説家を夢見るようになった。しかし高校時代、自分なりに頭を悩ませて書いた小説に失望し「才能がない」と、見切りをつけた。今井さんは、「社会経験のない子どもに小説が書けるわけがなかったんです。小説とは極めて濃密な時間と体験を経て描くものですから」と苦笑いする。
1980年、NHKに入局してからは、ドキュメンタリー畑を歩む。例えばイラク戦争で戦闘爆撃機のパイロットの捕虜体験を描いた『タイス少佐の証言~捕虜体験46日間の記録~』(91年)では、人間が殺し合うことの不条理を強く訴えた。このころから、生々しい現実に勝るものはないと感じ始める。「現地(イラク)で、イラク軍に撃墜されたアメリカ軍の戦闘機を探して広大な砂漠をさまよったことがありました。ドロドロになりながら一週間たち、心身の疲労が限界に達したとき、気温60度の陽炎(かげろう)の中にF-15の機体が浮かび上がったんです。強烈なインパクトでした。あの情景を生涯忘れることはないでしょう」
『プロジェクトX』の放送はバブル崩壊から10年近くたった2000年にスタート。日本の景気は長期の停滞期に陥り、日本人は自信と誇りを失っていた。「当時、不況だの負け犬だの、そんな番組ばかりでした。けれど、私はもう一度思い出してほしかったんです。1945年、日本がこっぱ微塵(みじん)に破壊された後、わずか数十年で駆け上った時代があったことを。本来、日本人は極めて優秀なのです」。番組の主人公は、無名の人たちだった。技術開発、建設現場、営業の最前線など、戦後の日本を懸命に支えた人たちを、夜の看板番組が並ぶ「ゴールデンタイム」の主人公に“抜擢(てき)”することに意味があった。
番組の主題歌は今井さんが熱烈なファンだった中島みゆきさんに託したいと考えた。ところが、人気歌手が、有名人の一人も出ない「テスト的なドキュメンタリー番組」に書き下ろしの楽曲を提供してくれるわけもなく、所属事務所もまともに取り合ってくれない。
そこで今井さんは勝負に出た。自分の気持ちをつづった長い手紙を書き、中島みゆきさんの自宅ポストに投函した。「日本には有名人がたくさんいます。しかし日本という国は、地の底で泥や汗にまみれて働いた無名の人たちがつくってきました。その人たちのために曲をつくってくださいませんか」。一週間後、中島みゆきさん本人から直接電話がきた。
「あなたが今井さん? 引き受けさせていただきます」。それが大ヒットとなったあのテーマ曲だった。
毎週火曜夜9時、テレビの前にスタンバイ
ところが、肝心の視聴率が伸びない。番組スタート後しばらくは5~6%台を行ったり来たりと、低視聴率が続いた。当然3カ月後の番組改編で打ち切られるだろうと今井さんは踏んでいたという。
しかし、回を重ねるごとに視聴率が上がり始めた。番組の放送は毎週火曜夜9時。渋谷のサラリーマンが「おい、今夜はアレがあるぞ」と噂し、夜9時になると居酒屋から客が消えた。
制作スタッフは不眠不休で取材、制作など全ての仕事をこなしていた。通常ゴールデン番組の制作には30人ほどのスタッフが投入されるが、「テスト的な番組」には7人しか入れてもらえなかった。あるとき、徹夜明けのクタクタのシャツでクリーニング屋を訪れると、店員から意外な言葉をかけられた。「プロジェクトXの今井さんですね。クリーニング代は無料で結構です」。あるときは、焼肉屋の店主から「お代はいいです。どうか良い番組をつくってください」と激励されたという。疲れ切った心身にエネルギーが注ぎ込まれるようだった。「それが一過性で花火のように散る光だったとしても、この光の中にいられるのは幸せなことだと思いました」。気付けば、番組の視聴率は20%台に到達していた。
「よく一番思い入れのある回は?と聞かれるのですが、ないんです。楽に撮らせてもらった回など一つもないし、最後の一秒まで執拗(しつよう)にこだわった番組です。出来の良しあしはあるにしても、どの回も私にとっては本当にいとおしい」
最終章・『光の人』のテーマは人を愛するということ
『プロジェクトX』の放送が終了した4年後、今井さんはNHKを退局した。第二の人生は、小説家として歩むと決めたからだ。「テレビは総合芸みたいなものです。たくさんの人の力と膨大な資金がなければ、そうそう良い作品は生み出せません。一方で小説は実に個人的なものです。舵(かじ)を切るのも、ゴールのテープを切るのも自分。残りの人生は、これまで書きたかった情念、後世に伝えたい言葉を書き残そうと思いました」。もしかすると高校時代の夢を取り戻すという思いもあったのかもしれない。
退局後、『ガラスの巨塔』(幻冬社)『赤い追跡者』(新潮社)などの話題作を次々と世に送り出してきた。局員の立場では書けなかった思いを、膨大な取材を基に書いた。
そして、2011年の東日本大震災の年、求めていたテーマと運命的な出会いを果たす。『光の人』(文藝春秋)である。今井さんがパーソナリティーを務めるラジオ番組にゲスト出演した1人の男性に強烈に引き込まれた。戦後の混乱の中、国から見捨てられた孤児1000人を救った人だった。「これほどの究極な愛があろうか。この人をモデルにした小説を書いてみたいと思いました」。これまでドキュメンタリー番組を何百本と撮り続けてきた。ノウハウは全て自分の中にある。「私はこの作品を書くために番組を重ねてきたのかもしれません」。着想から6年、今井さんは、小説『光の人』を書き上げた。
『光の人』は、戦後の日本から現代に続く物語だ。弱き者たちが懸命に支え合ってたくましく生きる物語に涙が止まらない。
「今の日本に足りないもの。それは愛です。みんな自分がかわいい。あなたが好きと言っても、本当は自分が一番かわいい。私は全ての感情の中で、愛が最も重要だと思っています。愛のない生活は砂漠です。私は今を生きている日本人に、愛の形とは何かを問いたい」
20年前にそうであったように、今井さんの新たな『プロジェクトX』は、多くの人の心を揺り動かすことができるだろうか。
今井 彰(いまい・あきら)
作家
1956年大分県生まれ。80年NHKに入局。NHKスペシャル『タイス少佐の証言』で文化庁芸術作品賞受賞。2000年に立ち上げた『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』は社会現象となり、菊池寛賞、橋田賞を受賞した。エグゼクティブプロデューサーを経て09年退局。著作に『ガラスの巨塔』(幻冬社)、『赤い追跡者』(新潮社)など。最新作は昨年出版された『光の人』(文藝春秋)
写真・後藤さくら
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