ロボットが給仕するカフェが東京・日本橋にある。ここのロボットは人工知能(AI)搭載ではなく、外出困難な人たちが遠隔操作する。ロボットの名は「OriHime」。開発した分身ロボット発明者の吉藤オリィさんは、ロボット開発ではなく孤独の解消を命題に活動を続けている。
不登校の経験から分身ロボットを開発
数日学校を休むと再び登校しにくくなる。そうした気持ちを抱いたことはないだろうか。幼い頃から体が弱く、学校を休みがちだった吉藤オリィさんもまた、その気持ちに押しつぶされた一人だ。学校に居場所を見いだせなくなり、中学校に上がるといじめも受けた。小学5年生から中学2年生まで不登校。無気力と体の痛みによる不眠、気が遠くなるほど天井を眺め続けるという、壮絶な孤独の日々を約3年半過ごした。
「もう一つ体があればいいのに。漠然とそう考えていました」 両親も手をこまねいていたわけではない。ピアノや絵画、少林寺拳法など何でも挑戦させたという。その一つに昆虫ロボットコンテストがあり、優勝を機に出会ったのが後に"師匠"と慕う久保田憲司さんだ。一輪車をこぐロボットを開発した地元の奈良県立王寺工業高校の教師である。
「よく『あの人に出会えたから今の自分がいる』と言いますが、まさに先生との出会いがそうでした」 先生の下で学びたい! その一心で学校にも塾にも通うようになり、猛勉強をして願いをかなえる。先生の勧めで参加した養護学校のボランティアを機に、電動車椅子の開発にのめり込む。先生や先輩らと共に高校1年生の秋には電動車椅子の新機構を開発。「高校生・高専生科学技術チャレンジ(JSEC)」で文部科学大臣賞を受賞し、さらに世界最大の科学大会Intel ISEFではGrand Award 3rd受賞という快挙を果たした。卒業後、高専の4年次に編入してAIを学ぶと、翌年にはJSECで知り合ったプロデューサーや教授から声を掛けられ、推薦入試でAI研究が盛んな早稲田大学に進学する。
快進撃ともいえる成長ストーリーだが、この間にオリィさんの中で芽生えていったのが、どうしたら人の孤独を解消できるかという壮大なテーマだ。高性能な車椅子をつくっても、その車椅子を選ばない人、乗れない人がいる。実際世界3位になっても製品化さえされない。人工知能との対話に癒やしを感じることができたとしても、その後の人生を変えるインパクトある"出会い"になるとは限らない。こうした経験に基づいた考えから、分身ロボットの構想は生まれていった。
自ら研究室を立ち上げ難病の人たちの声を聞く
「例えば視力が悪ければ、眼鏡やコンタクトレンズで補正しますよね。一方、コミュニケーションが苦手だと『頑張れ』と精神論で解決しようとしがちです。努力しなくてもいい、眼鏡のような道具がつくれないかと考えました」
しかし、大学ではロボット制御や表現を研究する場はあっても、オリィさんのような視点でロボット開発を進める研究室はなかった。それならばと、オリィさんは自室で「オリィ研究室」を開設し、私費を投じて一人、研究に没頭した。
「人は人と出会うことで価値観が変わります。私自身もそうです。しかし、寝たきりの人は人と出会うチャンスそのものがありません。これこそがハンディキャップです。そこから仲良くなる、関係性を維持するとなると、ますますハードルが高くなります。それをどうにかしたかった」
そして1年3カ月後の2010年、ついに分身ロボット「OriHime」が完成する。不登校時に夢中になった折り紙は、大学時代には驚くほどの腕前になっており、同学年にいた「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹投手になぞらえて「折り紙王子」と呼ばれていた。それが転じて「オリィ」との呼称となった。織り姫と彦星のような物理的に会えない距離を解消する思いを込めた命名だ。
一人で開発したとはいえ、引きこもってつくったのではない。実際に使うユーザーの元に足しげく通い、実証実験を繰り返した。実際、当初は首だけだったOriHimeに両手がついたのも、頸髄損傷で20年以上寝たきりながらオリィさんの秘書を務めた番田雄太さんの意見が反映されている。その後も筋萎縮性側索硬化症(ALS)の友人の協力を得て、手が動かせなくても視線入力で操作できたり、ワンクリックで文字の発話ができたりと、機能が強化された。
生産性向上の追求ではなく福祉機器としてのロボット
12年には研究室を法人化して「オリィ研究所」とし、スタッフも増えた。
研究は楽しいことばかりでしたが、研究を理解してもらうのは大変でした。孤独はあまり問題視されず、携帯電話やテレビ電話があれば十分とよく言われました。でも、追求したかったのは効率のいい勉強や仕事ではなく、居場所。学校で違うクラスの子が教室にいたら『なんでいるの?』と言われますよね。それは、その子が場違いだから。では『なんで生きているの?』と聞かれたらどうでしょう。孤独に陥っている人は、これに対して自問自答をして自分で自分の居場所を否定してしまいがちです。私たちはそうした人に居場所を提供するのではなく、本人が居場所を見つけ、選べるようにするための福祉機器としてロボットを開発、提供したいのです」
16年にはフォーブス誌が選ぶアジアの30歳未満の30人に選出されるが、周囲の理解が深まったのは18年。日本財団の協力で期間限定の分身ロボットカフェを東京・赤坂に開いてからだと、オリィさんは振り返る。19年には大手町、21年6月にはついに日本橋に常設店「分身ロボットカフェDAWN ver・β」がオープンする。ロボットを遠隔操作するのは"パイロット"と呼ばれる、難病や重度の障がいを抱えた外出困難な人たちだ。登録者数は現在70人を数える。
この先進的な取り組みは海外のSNSで話題になり、店内はインバウンドの割合も高い。
「昨年は福岡で、今年2月には札幌で期間限定カフェを開いて好評でした。パイロットたちも方言を勉強するなど、接客を楽しんでいたようです」
OriHimeはカフェだけではなく、病院や学校、会社での導入事例も増え、旅行や単身赴任、結婚式の参列など用途は多岐にわたる。 「障がい者雇用に関心を持つ企業から相談されることも増えてきています。外出困難でも切実に自分の居場所を求め、生きようとしている人たちとタッグを組んだ研究は、高齢化社会の課題解決にも生かせます。人と人が仲良くなれる方法はまだまだあるはずです」
誰もが見ようとしない現実。そこに潜む課題を直視し、地に足を付けたオリィさんの研究は続く。
吉藤 オリィ(よしふじ・おりぃ)
分身ロボット発明者
1987年生まれ。本名は吉藤健太朗。工業高校で電動車椅子の新機構発明に関わり、国内外で賞を獲得。高等専門学校情報工学科に編入して人工知能を学び、早稲田大学在学中に自身の研究室を設立。2010年に対孤独用分身ロボット「OriHime」を開発し、12年「人間力大賞」に輝く。同年、オリィ研究所を法人化し、16年にはALSなどの難病患者向け意思伝達装置「OriHime eye」をリリース。21年6月、「分身ロボットカフェDAWN ver.β」開設。近著に『ミライの武器』(サンクチュアリ出版)がある。
写真・加藤正博
最新号を紙面で読める!