直心の交わり――若い店主から返ってきた言葉は、私の想定を超えるものだった。「じきしんのまじわり」とは、茶聖と言われた商人、千利休が遺した茶の湯の精神。茶事において、清らかでお互いの心を思いやった素直で深い心の交流と、相手に心を寄せる大切さをいう。
その店「ワンルームコーヒー(1 ROOM COFFEE)」は店名の通り、席数もそれほどない小さな店。東京のターミナル駅の一つ、池袋駅を起点とする東武東上線で四つめの中板橋駅から徒歩5分。人通りも少ない住宅街の中にある。ここは私の実家からほど近い、懐かしいまち。1月の寒い週末に久しぶりに訪れ、そこに暮らす知人の導きで知ることができた。
白湯に感じる利休七則の心
白い壁と自然木を基調にした店内に入り、3種類ある豆から好みをカウンターで選び、フードメニューを注文。一番人気というあんバタートーストと深煎(い)りのコーヒーを、連れ合いはチーズケーキと浅煎りを頼む。コーヒー豆に迷っていると、店主はさりげなく選んだフードに合う豆を薦めてくれた。
コートを脱いで席に座ると、店主が紙お手拭きと水を持ってきてくれた。いや、コップの中身は水ではないようだ。あらためて見ると、コップからは湯気が昇っている。
「白湯(さゆ)ですか? 今日は冷えるからうれしいですねえ」と言うと、「お飲みにならなくても、カイロ代わりに手を温めていただけますから」と店主。そんな言葉ともてなしに、店主の一期一会の客への心遣いを感じる。
そんなやりとりから思い出したのが、千利休が弟子に問われて答えたといわれる茶の湯の心得「利休七則」だった。
「まず炭火はお湯の沸く程度にしなさい。お湯は飲みやすいように熱からず、ぬるからず、夏は涼しげに、冬はいかにも暖かく、花は野の花のごとく生け、刻限は早め、早めにして、雨降らずとも雨具の用意をし、お互いに気遣い、思いやる心を持つようにしなさい」
弟子が「それくらいのことなら私もよく知っています」と言うと、利休は「もし、これができたら、私はあなたの弟子になりましょう」と言ったというエピソードが残っている。
客の心をわが心とせよ
「客の心をわが心とせよ」とは、昭和の石田梅岩といわれた経営指導者、倉本長治が遺した言葉だ。つまり、客の心に寄り添うこと、客の視点や立場から最善を尽くすべきことを説いている。たった1杯の白湯から、店主の思いやりを感じられた。
このとき私は、水の代わりに白湯が欲しいと、はっきりと思っていたわけではない。しかし、白湯を差し出されたとき、白湯を欲しかったのだと気付く。客の心をわが心とするとは、こういうことである。
そんなことを1枚の写真と共にインスタグラムに上げたところ、店主から返ってきたのが、彼が大切にしている心構え「直心の交わり」という言葉だった。これは単に、相手と直接会ってコミュニケーションを取る重要性を説くだけではなく、時間や物理的な概念を超えて、相手に心を寄せることの大切さを説いた茶の湯の神髄である。
それにしても小さな店である。けれど、それぞれの席では来店客が思い思いにくつろいでいる。まるで親しい友人の部屋を訪れ、丁寧に淹れてくれたコーヒーを味わっているかのような穏やかな空気に満ちていた。
「ワンルームコーヒーという場を通じて地域コミュニティ、価値コミュニティを創造し、ワンルームコーヒーに触れたあなたの人生にとって、ほんの一瞬でも価値のある何かを提供できたら、とてもうれしく思います」と店主。
店は大きいから優れているのではない。そこにいる人、そして商品、それらが醸し出す雰囲気こそが大切なのである。店主の思いやりが満たされた小さな店の話である。
(商い未来研究所・笹井清範)
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