サッカー日本代表は、現在、男女ともにアジア・サッカー連盟(AFC)最高ランクに位置する。世界に誇る活躍ぶりだが、選手のほかにも日本サッカー界を盛り上げている人物がいる。それがサッカー国際主審の山下良美さんだ。女性審判員初のプロフェッショナルレフェリーで、Jリーグはもちろん、国際サッカー連盟(FIFA)のW杯の主審としてピッチに立つ。
4歳からサッカーを始め男子と一緒にプレーする日々
主審として毅然(きぜん)とした態度で笛を高らかに鳴らす。「女性初」をいくつも冠する国際主審の山下良美さんの、近年の活躍は目覚ましい。直近では2024年1月、カタールで開催されたAFCアジアカップ2023でも、68年の歴史の中で、女性初の主審としてピッチに立った。副審も日本人女性の坊薗真琴さんと手代木直美さんで、坊薗さんは山下さんの大学の先輩であり、山下さんを審判員の道に誘ったキーマンでもある。
そう、山下さんはもともとサッカーをプレーする側にいたのだ。それも4歳とかなり早くから。 「2歳上の兄の影響で始めたのですが、サッカーが好き過ぎて、小学校に上がっても休み時間は男子と一緒にサッカーをしていました。4歳から一緒にサッカーをしてきた仲間と同じ学校だったので、女子だからといじめられたり、揶揄(やゆ)されたりしたことはなかったですね。周囲にとても恵まれました」
地元のクラブチームでも男子と一緒にプレーし、中学生になって初めて女子チームでプレーできたと笑う。大学時代も女性サッカー部で、卒業後も社会人チームに入ろうと考えていたというほど大のサッカー好きである。その山下さんに、ある時、サッカー部の先輩の坊薗さんが「審判をやってみない?」と誘ってきた。 「正直、審判員は黒い服を着て、笛を吹く人ぐらいの認識しかなく、興味もなければ、自分に向いているとも思いませんでした。部を辞めて就活もこれからという微妙に時間がある時期で、気乗りしないまま引き受けました」と苦笑する。
だが、この審判員の経験が、後の山下さんの進路を変えた。
ダブルブッキングで二足のわらじを脱ぐ
「審判をお願いされたのは男子高校生の1日数試合もある大会。私はこの時初めて笛の吹き方を教えてもらうというレベルです。時間を気にして、試合の最初と最後に笛を吹くのが精いっぱいでした」
だが、試合は荒れた。激しくスライディングをされた側のベンチから「おまえもやれ、やれ」とけしかける声が飛び交う。両チームに危険なプレーが増えるも、制御し切れない。その歯がゆさ、悔しさが責任感と向上心に火をつけた。 「やるからにはちゃんとやりたい」と社会人チームでプレーを続けつつ、サッカー公認審判員の資格を4級、3級、2級と取得していく。 「2級を取ると、なでしこリーグの副審ができます。この頃から、女子のトップリーグに貢献したいという気持ちが強くなって、2012年に女子1級を取得(24年3月廃止。1級のみに)しました」
そして、プレーヤーとレフェリーの二足のわらじを履く山下さんに、一択を迫る出来事が起きた。女子1級審判員対象の研修会と、所属チームの大事な局面を迎える試合の日が重なってしまったのだ。この時、山下さんは覚悟を決める。 「チームメートやコーチに自分の思いを正直に伝えました。返ってきたのは『頑張って』『応援するよ』という背中を押す言葉でした」
審判員は心身ともにハードな職務だ。競技規則を熟知するのはもちろんのこと、1試合の走行距離は約10㎞を超えるといわれる。持久力、足の速さ、瞬時の判断力など求められるタスクは多い。笛一つで選手やファンからの異議やブーイングにさらされることもあり、身に危険が及ぶことも少なくない。それでも山下さんは審判員としての道を選んだ。平常心を保って試合運びをすべく、常に「準備」と「予防」を徹底する。試合を担当する両チームの情報収集や試合後の振り返りも欠かさない。 「試合中は説得力ある判定をするように心掛けています。例えば遠くから笛を吹いても『本当に見えた?』と選手たちに不信感を与えるだけです。距離や態度、選手とのコミュニケーションは、非常に大事にしています」
一試合一試合、丁寧に真っすぐ向き合う
15年にJFA(日本サッカー協会)の推薦でFIFAの国際審判員に登録され、以降は世界大会で笛を吹くことも増えていく。それも女性大会に限らず、アジア杯やW杯にも〝史上初〟で選ばれている。国内でも22年以降は、JFAと女性審判員初のプロフェッショナルレフェリー契約を結び、J1リーグでも女性初の主審となった。体格の大きい選手にも物おじせず、外国人選手には英語で対応する。英語はほぼ独学で、サッカー用語や審判が使う例文をノートにびっしり書き留めるなど地道な努力で磨いたスキルだ。23年には、女子W杯開幕戦で日本人初の主審を務めたが、この時も山下さんは判定結果を流暢(りゅうちょう)な英語で場内アナウンスし、的確な判定は世界に高く評価された。 「女性だからと注目されることに抵抗がないわけではありません。でも、私がこうした立場に立てるのも先輩たちの膨大な功績や周囲の方たちのサポートがあってこそ。歴代の女性審判員が築いてきた環境が整って、ようやく扉が開いた。そのタイミングが私の時だっただけです。私は夢や目標を掲げるタイプではないので、開いた扉をつなぐように、とにかく目の前の試合一つひとつに集中するまで。性別や国別よりもチーム単位で試合展開やプレースタイルの違いがあります。審判員として最善を尽くすのはどの試合も同じです」
最近は1週間に1試合ペースでピッチに立っており、毎日のトレーニングは欠かさないという山下さん。「トレーニングと試合中以外は、ほぼオフ」と笑うが、次の試合に万全を期す。大きな大会になるほど重圧は相当だと思うが、山下さんを奮い立たせた出来事として、15年の皇后杯全日本女子サッカー選手権の決勝がある。なでしこジャパンをけん引してきた澤穂希さんの引退試合であり、スタジアムを約2万人が埋め尽くした。 「周囲を見渡した時、日本女子サッカーがこんなに人を集める力を持つようになったことがうれしく、レフェリーとしてサッカーの魅力を最大限に引き出し、多くの人に伝えたいと強く思いました」
試合は勝敗がある以上、スタジアムは明暗が際立つ。だからこそ「選手がプレーに集中できて、お客さんが夢中になれる。そういう試合にできるように、審判員としての精度をまだまだ上げていきたい」と目を輝かせる。 「思いがけない名プレーを間近で見られるのは審判員の特権です。毎年、資格更新の体力テストがあるのですが、クリアできる限りは審判員を続けていきたいです」と試合中には決して見られない、サッカー少女のままの、屈託のない笑顔を浮かべた。
山下 良美(やました・よしみ)
サッカー国際主審/プロフェッショナルレフェリー
東京都中野区出身。東京学芸大学卒。2012年に女子1級審判員の資格を取得。15年にFIFA国際審判員に登録され、16年、18年のFIFA U-17女子ワールドカップに2大会連続して派遣される。21年Jリーグ史上初、22年FIFAワールドカップ史上初の女性主審に指名。22年女性審判員初のプロフェッショナルレフェリー契約を締結。23年FIFA女子ワールドカップでは日本人女性審判員として初めて開幕戦の主審を、24年にはAFCアジアカップ史上初の女性主審を務める
写真・後藤さくら
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