新たな分野や必要とされる商品を開発する着眼点と熱意を武器に、さまざまな困難を乗り越えて新商品を生み出している地域企業がある。中小企業にとっては想像以上に困難なことだが、諦めずに挑戦をやめない企業の原点と情熱に迫った。
「娘の命を救うために」から始まった国産初の医療器具開発への道
東海メディカルプロダクツは、心臓や脳などの治療に使用するカテーテルをはじめとする医療器具の開発・製造、販売を行っている。愛知県で町工場を経営していた筒井宣政さんが、生まれつき心臓に疾患があった娘さんのために人工心臓をゼロから開発しようと同社を設立。今では脳、心臓、下肢、透析、がんといったさまざまな治療分野に製品を提供し、カテーテルでは国内で大きなシェアを獲得するまでに成長した。
娘の手術費用をためるため膨大な借金を7年で完済
「ビニール製のひも類を製造する会社の東海高分子化学を経営していた父は、借金の保証人となって多額の負債を抱えていました。会社を私が継いだとき、借金の返済に72年以上かかると分かった。それを返さないと娘の手術費が出せない。いろいろな人に相談するうち、アフリカで女性の髪の毛を縛るファッション用のひもをつくれば売れるという話を聞き、すぐに試作品をつくりました。しかし、どこの商社も扱ってくれない。そこで、私自身がアフリカに渡って売り込むことにしたのです」と、現在は東海メディカルプロダクツの会長を務める筒井宣政さんは語る。
半年後にアフリカへ渡ることにしたが、英語が話せない。そこで筒井さんは、名古屋にあるホテルに出向き、そこに滞在していた外国人に積極的に声を掛けて会話の相手をしてもらい、何度も恥をかきながらも半年後には英語で会話できるほどになっていた。とはいえ、アフリカに行ったからといって簡単に物が売れるはずもない。現地での3週間の話だけでも一つのドラマになるほどの苦労をしたが、筒井さんは決して諦めなかった。貿易商に紹介された現地の会社に粘り強く交渉を続けた。 「彼らに西アフリカの10カ国に当社の製品を売り込むよう頼んで帰国したら、その約束を果たしてくれて、現地でその製品が大ブームになったんです。売れに売れて借金を7年で完済し、娘の手術費用をためることもできました」
何事も決して諦めないという、筒井さんの執念が生んだ起死回生の大逆転劇だった。しかし、そこからがまた苦難の連続だった。先天性の心臓疾患がある次女の佳美さんを救うため、全国各地の病院を回ったが、佳美さんが9歳のときに医師から「手術は不可能」で、余命10年という最終診断を宣告されてしまったのだ。 「ためた手術費用は心臓病の研究機関に寄付することを考えました。そこで主治医に相談したところ、人工心臓の開発を勧められたんです。10年あれば完成して娘を助けられるかもしれない。医学のことなど全く知りませんでしたが、開発を始めることにしたのです」
人工心臓の開発は断念するも国産初の治療器具を完成
筒井さんは1978年から工場内に研究室をつくり、個人研究を始めた。しかし、人工心臓の開発には膨大な費用がかかる。手術費としてためていた資金のほかに、医療器具開発のための助成金を受けられるよう、81年に東海メディカルプロダクツを設立した。 「医療用語も化学用語もさっぱり分かりませんから、大学の先生や医療材料の研究会で、『いろはのい』から教わらないといけませんでした。それからは大学病院の協力も得て、7年かけて人工心臓を完成させて、動物実験も行いました。そこまでで8億円もかかったのですが、さらに動物実験を繰り返し、人間での臨床治験を行うとなると、何千億円も必要になる。さすがにそれは無理と判断し、開発を断念せざるを得ませんでした」
一方で別の道も見えてきた。これまでの研究を進める中で、IABPバルーンカテーテルという心臓病の補助循環器具は米国製しかなく、日本人にはサイズが合わず医療事故の確率が高いという話を聞いていた。IABPは「大動脈バルーンパンピング」の略で、心臓が血液を全身に送ることができない疾患に対する治療法のこと。IABPバルーンカテーテルは、管の先に風船が付いており、体内で風船を収縮・膨張させることで心臓の働きを補助する装置である。このカテーテルの開発には高度な技術が必要なため、国内では生産が不可能といわれていた。 「カテーテルに使う樹脂は工場で扱っていたし、バルーンは人工心臓を小さくしたものともいえる。これを日本でつくれるのは私しかいないと思ったのです。そこで、人工心臓の開発で培ったノウハウを生かし、努力に努力を重ねて、2年後に国産初のIABPバルーンカテーテルを完成させました」
国産初の製品のため、日本では医療器具としての許認可の基準がまだなく、筒井さんは厚生省(当時)と協力してIABPバルーンカテーテルの基準をつくり認可を取得。89年に発売を開始した。医学界からは素人にできるわけがないと思われていた中での快挙だった。
人の命を助ける器具をつくり娘から贈られた感謝の言葉
IABPバルーンカテーテルの開発を進める中、筒井さんはつらい告白もしなければならなかった。娘の命を救うために人工心臓を開発していたのに、それを諦めてIABPバルーンカテーテルの研究を始めたことを、娘さんにはなかなか言えなかったのだ。 「娘に伝えたのは、研究を始めて半年ほどしてからです。佳美ちゃんごめんな、人工心臓は時間もお金もかかるからお父さんにはもうできない。だからIABPバルーンカテーテルの開発に切り替えた。これは一時的に弱った心臓を助けるけれど、佳美ちゃんの命を助けてあげられないのだと。私は、娘から責められると思っていました。でも、娘はものすごく喜んでくれましてね。お父さんとお母さんは私が病気になってから、全く知らない医学を猛勉強して、いろいろやってきてくれた。それだけでも十分なのに、そこから自分の知識を生かして人の命を助ける器具をつくってくれたのはすごくうれしいって」 IABPバルーンカテーテルの製品化から2年後の91年、筒井さんが開発した製品が多くの人の命を救うのを見届けるように、佳美さんは23歳で天国に旅立った。
筒井さんの「娘の命を救うために」から始まった製品開発への強い思いは、IABPバルーンカテーテルの開発により「患者さんのため」に変わり、そして今ではそれが、同社の「一人でも多くの生命を救いたい」という企業理念につながっている。
同社は現在、海外でも広く使われているIABPバルーンカテーテルのほかに、冠動脈治療に使用されるPTCAバルーンカテーテル、透析治療に使用されるPTAバルーンカテーテル、肝臓治療に使用されるマイクロカテーテル、脳血管治療・大動脈治療に使用されるオクリュージョンバルーンカテーテルなど、心臓だけでなく全身で使われるカテーテルへと製品領域を広げている。
愛知県を医療器具産業の中心地にすることを目指す
製品開発を進める一方で、同社は「一人でも多くの生命を救いたい」という企業理念の下、数字や利益ではなく良い製品や安全な製品をつくることを優先している。例えばIABPでは、用途や体の大きさによりSS・S・M・L・LLに分けられており、このうちS~Lサイズは多く使われるが、SSとLLは少ない。つまりSSとLLは採算性が悪いのだが、同社ではそのサイズのものも生産している。 「米国の企業は一番売れるサイズしかつくらない。ほかのサイズを必要とする患者さんがいることなど気にしませんが、私たちは必要としている患者さんが一人でもいたら、その治療に使う器具をできる限りつくっていきたい」
以前も10万人に一人とされる難病の治療のための器具を依頼され、小児用のカテーテルを製造した。日本では年間50本ほどしか出なかったが、海外でも使われるようになり、今では収支トントンにまでなっている。 「この器具も使ってくれる国があと1、2カ国増えたら利益が出てきます。こういうところに中小企業の生きていく道がある。値段と量で大企業と勝負しても負けるに決まっていますから。それよりも、自分たちしかできないことを持つことの方が、生き残っていくためには重要だと思います」
愛知県内の商工会議所には医療系の部会がなかったことから、筒井さんは県内のモノづくりの力を医療器具産業の振興に生かすため、名古屋商工会議所の産業振興部内に「メディカル・デバイス産業振興研究会」を設立。展示会を開催するなど活発な活動を続け、2年後の2012年には「メディカル・デバイス産業振興協議会」に発展させ、理事や幹事長を務めた。 「今では協議会の会員企業は160社を超えています。名古屋はモノづくり産業が強いところですから、名古屋商工会議所を中心に医療器具を開発・生産するベースをつくり、医療器具の開発なら愛知に行け、名古屋に行けと言われるようにしていきたいと考えています」
一人でも多くの生命を救うために、筒井さんは自社だけでなく、愛知県全体で医療器具産業を発展させていくことを目指している。
会社データ
社 名 : 株式会社東海メディカルプロダクツ
所在地 : 愛知県春日井市田楽町字更屋敷1485
電 話 : 0568-81-7954
HP : https://www.tokaimedpro.co.jp
代表者 : 筒井康弘 代表取締役社長
従業員 : 約300人
【名古屋商工会議所】
※月刊石垣2024年5月号に掲載された記事です。
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