かつては日本中を沸かせたプロレスも、いつしかその人気は下降線をたどっていった。長く低迷していた老舗のプロレス団体「新日本プロレス」を支え続け、人気復活に導いた立役者が棚橋弘至さんだ。「100年に一人の逸材」を自称し、「疲れない、落ち込まない、諦めない」の『逸材三箇条』を掲げ、今はプロレスラーとしてだけでなく、新日本プロレスの社長として、これまで以上にプロレスを盛り上げようと奮闘している。
チャンピオンになってもブーイングを浴びる日々
棚橋さんは、プロレスの世界でスターになることを目指して新日本プロレスに入門。東京ドームで大歓声を浴びながらリングに入場する自分の姿を想像し、厳しい練習に打ち込んできた。しかし、入門から半年後にデビューしたものの、団体からスター選手の離脱が続き、試合会場から観客が減っていった。
再びプロレス会場に観客を呼び戻すためには、自分がスターになるしかない。そう覚悟を決めた棚橋さんは「新日本プロレスはオレがいるから大丈夫です。オレが会場をお客さんでパンパンにしてみせます!」と宣言。本当にそうなると確信していた。しかし実際には、“新日ファン”からのブーイングを浴びる日々が続いた。 「2006年に初めてチャンピオンになった後も、長い間ブーイングをもらっていました。新日本プロレスといえばストロングスタイルで、アントニオ猪木さんや藤波辰爾さんのようなプロレスラーが正解なんです。でも、僕は当時からチャラチャラしたイメージで、ファンの方に受け入れてもらえなかった。僕は新日本プロレスをもう一度盛り上げるんだという気持ちで戦っていたのですが、なかなかその思いが伝わらなかったので、精神的には苦しい時期でした」
しかし、スタッフからの「棚橋君のことを好きなファンもいれば嫌いなファンもいて、それで初めて本物のプロレスラー。だから今のままでいいんだよ」という言葉で心が軽くなった。そこからは、自分のプロレスに絶対的な自信を持つようになり、いつか僕のプロレスをみんなが分かってくれるようになると信じて戦っていった。 「会場が満員にならないと自分がスターになれないし、会場を満員にするには自分一人だけでは不可能です。そこで、ライバル選手や、第一試合から盛り上げてくれるヤングライオン(若手選手)、ジュニアヘビー級の選手たちを鼓舞するために、誰よりもプロモーション活動を行いSNSで発信し、またチャンピオンとしてタイトルマッチを盛り上げていく努力も重ねていきました」
アドリブが利くかどうかもプロレスラーの大事な資質
プロレスの試合は単に勝ち負けだけの世界ではない。リングの上で自分だけでなく対戦相手も輝かせ、闘い方や技で観衆を沸かせ、相手にけがをさせず自分もけがをせず、なおかつ最後は勝負にこだわるという、非常に高度な闘いでもある。そのプロレスの魅力について、棚橋さんはこう語る。 「大きく激しい技が決まるのがプロレスの面白さですが、もう一つ、大きな技が決まって、これはもう負けだろうとなったとき、それでもカウント3が入る前に返して、まだやれるぞって立ち上がっていく。もうこれで終わりだ! まだやれるの!?と、見ている人の想像をちょっとずつ超えていく。それがプロレスの醍醐味(だいごみ)だと思います。僕が以前、外国人プロレスラーに教えてもらったのが、プロレスは耳でしろということ。観客の応援や盛り上がりを耳で判断して、盛り上がっていなかったらちょっとアピールしてみるとか、ここで反撃に移りたいけれども、まだ棚橋コールが来ていないから、もう少し耐えてからにしようとか。そういったアドリブが利くかどうかも、プロレスラーの大事な資質だと思っています」
そうかといって、会場を沸かせればいいというわけでもない。試合に勝たなければ、選手として高みに上っていくことはできない。 「試合に勝って、タイトルマッチに挑戦してチャンピオンになって、メインイベンターになっていかないと、ファイトマネーは上がりません。プロですから勝ち負けには非常にこだわっています。しかもチャンピオンになって人気が出ないと、自分のグッズも売れません。プロレスラーは年俸制で、年1回の契約更改でファイトマネーの額が決まります。そのときに交渉材料を多く持っていた方がいい。タイトルマッチでチャンピオンになって、自分のグッズがこれだけ売れたんだから年俸はこれくらいでしょ、と言えますから」
2010年代に入り、棚橋選手はIWGPヘビー級王座に5度目の戴冠を果たすと、その後は当時の連続最多記録である11度の防衛を達成。選手として脂の乗った時期に入っていった。
社長として100% プロレスラーとして100%
そして昨年12月23日、棚橋さんは現役プロレスラーのまま新日本プロレスの社長に就任。記者会見では「東京ドーム大会を超満員にする」「地方興行でのタイトルマッチを増やす」「スポンサーとのパートナーシップの強化」という三つの公約を掲げた。 「社長とプロレスラーを両立できるか考えましたが、僕は疲れたことがないので、二刀流もできると判断しました。それから半年以上がたちましたが、社長として100%、プロレスラーとして100%、全力を出せているので、社長を引き受けたのは間違いではなかったと思っています」
コロナ禍では集客に苦しんだが、今では会場の熱気も戻り、今夏に1カ月かけて行われた「G1CLIMAX」シリーズも大きな盛り上がりを見せた。これからがさらなる飛躍への正念場となる。 「新日本プロレスの過去最高の売り上げがコロナ禍前の19年だったので、数年内にこの記録を塗り替えたいですね。そして、もっとプロレスを盛り上げていくためにも、試合で活躍するだけでなく、テレビ番組に出て知名度を上げ、スター選手を数多く出していきたい。そうすれば、将来プロレスラーになりたいという若者も増えて、プロレスがさらに盛り上がっていくと思います。また、昨年末に国内のプロレス団体が加盟する日本プロレスリング連盟が結成されました。連盟としては、プロレスが盛り上がった先で大事になるのは社会貢献だと考え、力を合わせて取り組んでいきます」
最後に、昔はよくプロレスをテレビで見ていたけれど最近は……という人に向けて、棚橋さんはこう熱く語る。 「予習は不要なので、まずは会場に見に来てください。いろいろなタイプのプロレスラーがいて、好みの選手が必ず出てきます。そうしたら、皆さんの新しい趣味の扉が必ず開きます。そして僕自身も、若い選手たちとぶつかり合っていく中で、チャンピオンを狙っていこうと考えているので、棚橋にだまされたと思って、ぜひ一度、会場でご覧になってください」
棚橋 弘至(たなはし・ひろし)
新日本プロレスリング株式会社 代表取締役社長/プロレスラー
1976年、岐阜県大垣市生まれ。立命館大学法学部卒業。99年、新日本プロレスに入門、同年10月デビュー。2006年、IWGPヘビー級王座決定トーナメントを制して同タイトルを初戴冠。以来、何度も同王座に君臨する。身長181cm、体重101kg。得意技はハイフライフロー、テキサスクローバーホールドなど。キャッチコピーは「100年に一人の逸材」。23年12月23日、新日本プロレスリング株式会社の代表取締役社長に就任。大垣交流大使、石川県観光大使も務める
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