地域企業の経営環境は厳しさを増すばかりだ。そこで、人口減や後継者不足といった共通課題に地域やほかの企業と一緒に取り組むことで問題を解決し、新たなビジネスと地域振興の可能性を見いだした企業の今に迫る。
ものづくり、観光、暮らしをテーマに “みんな”でまちの未来を創造する
コスメティックブランド・SHIROを展開するシロの北海道砂川市の新工場が活況だ。2023年4月のオープンからわずか半年で、来場者数約20万人を記録。その後も月平均3万〜4万人が訪れ、観光スポットとしてにぎわう。地域の人々と共に考え、悩み、異業種と協業して完成させた工場は、その名も「みんなの工場」。人口減が深刻な課題である創業の地で、地方創生のモデルケースとして注目されている。
市の総人口を超える新工場の来場者数
SHIROというブランドは、一風変わっている。自然素材や植物由来を特徴とするコスメティックブランドは数多い。だが、SHIROは、ガゴメ昆布や酒かす、ラワンぶきなど、ほかのブランドでは目にしない、自然素材の魅力を最大限引き出し、独自性のある製品を生み出している。それも信頼できる生産者から直接仕入れ、研究開発から製造、販売まで一貫体制で行う。原料の収量に応じて製造数を調整するなど、生産者や自然に対してメーカー都合の〝ノルマ〟を課さない。「自分たちが毎日使いたいものをつくる」を信条に、2009年にブランドを立ち上げて以来、国内外の生産農家に足を運んでは関係性を築いてきた。16年に世界進出し、昨年の年商は200億円、年齢や性別、国境を超える人気ブランドに成長した。
そして23年4月、満を持してスタートしたのが「みんなの工場」だ。一般に広く開放され、工場見学に加えてカフェやキッズスペースを併設している。場所は1989年、シロ(前身のローレル)が創業した北海道砂川市で、北海道の中部に位置し、札幌駅から車、電車ともに約1時間。決して好アクセスとはいえないが、オープンからわずか半年で来場者数20万人を記録した。2年たつ今も、月平均3万〜4万人で推移し、砂川市の総人口約1万5000人を優に超える。
シロの自社工場は、多くの人々の力によって出来上がった。カフェのメニューは、札幌市のイタリアレストラン「TAKAO」のオーナーシェフの高尾僚将さんが監修している。外壁材も北海道の〝きこり〟から直接仕入れている。それも、北海道北竜町の建築資材には不向きとされるカラマツの間伐材をあえて採用した。キッズスペースのチョークボードに置かれているチョークもしかり。本誌でも以前掲載した文房具・事務用品の製造販売メーカー・日本理化学工業の美唄市にある工場から出た傷や割れのある規格外のチョークを利用している。
自然の恵みを無駄にしない ブランドのブランドの世界観を工場に反映
「みんなの工場という名前の通り、いろいろな方々の力を借りて、みんなでつくることをテーマにした工場です。それも素材の魅力を最大限に生かし、無駄なものを生み出さない自社ブランドの思想を体感できる建築と空間になっています」
そう説明するのは代表取締役社長の福永敬弘さん。工場建設に先駆けて「みんなのすながわプロジェクト」を発足し、地域の人々と意見やアイデアを出し合ったという。 「プロジェクトは、工場オープンの2年前から動き出しました。シロは2019年、創業の地である砂川市から飛び出し、東京の青山に本社を移しました。新工場は、国や自治体からの誘致があったわけでもありません。それでは、なぜ砂川につくるのか、地元に丁寧に伝えていくことから始めました」
生産効率や採算を考慮すれば、本社近くの関東近郊に工場を建てるのが妥当といえる。だが、福永さんは首を振った。 「そう考えたことは、もちろんあります。しかし、弊社は元来、利益重視のものづくり企業ではないのです。元はテレビドラマ『北の国から』関連の観光土産品の製造・卸販売事業からスタートし、その後、食品から生活雑貨、そして1998年に化粧品メーカーからのオファーを機に、化粧品のOEM事業が主軸になっていきました。しかし、製造コストは価格の2割弱で、中にはわずか1滴しか含んでいない成分を、特徴とする商品すらありました。そうしたものづくりに疑問を持つようになり、2009年に原価度外視で、自分たちが毎日使いたいものをつくろうと、奮起して自社ブランドを立ち上げたのです。それが契機となって、OEM事業から撤退でき、その後もさまざまな挑戦を経て、今のSHIROがあります」
ブランド創成期の思い出が詰まった砂川市。同市は過疎化の一途で、少ない若者も高校卒業後の進学先、就職先を求めて市外に出る。 「ブランドを長きにわたって支え、育ててくれた地域への恩返しという思いもあって、雇用創出、地域創生の一助になればと、工場の増設に踏み切りました」