スーパーマーケットでも道の駅でも、新鮮な野菜は簡単に手に入る時代である。だが、その便利さの裏で、「食べ物がどこで、誰によって、どんな思いでつくられたか」に心を向ける機会は少なくなっている。茨城県つくば市にある「みずほの村市場」は、そんな現代の食の風景に一石を投じる農産物直売所である。
休日には駐車場が満車になるほどの人気を誇るこの直売所には、ある種の〝特別な空気〟が漂っている。棚に並ぶ野菜は、減農薬・低化学肥料を徹底して育てられたもの。価格は決して安くないが、訪れる人々は野菜をじっくり眺め、まるでつくり手と対話するように買い物をしていく。
この空間を生み出したのが、株式会社農業法人みずほの長谷川久夫社長だ。自身も農家出身で、農業高校・大学を経て就農後、1990年にみずほの村市場を設立した。「安さや見た目だけが価値じゃない。本来の味や香り、育った土地の力強さを都市の人たちに伝えたかった」という長谷川社長の思いが、直売所にとどまらない「思想ある売場」をつくり上げている。
誰が、どうつくりいくらで売るか
全国には2万3000軒を超える農産物直売所がある。だが、その多くは「地元産」「採れたて」「安い」といった表層的な価値にとどまり、農業の本質や生産者の誇りまで伝えられていない。「形式が増えても、中身に思想がなければ、価格競争に巻き込まれるだけ」と長谷川社長は言う。
みずほの村市場では、全ての農産物に生産者の顔写真や栽培方法が添えられ、背景まで丁寧に説明されている。「誰が、どんな思いで育てたか」が分かる仕掛けだ。例えば、大根の札に「この冬は寒く、甘みが乗っています」と書かれていれば、その言葉の奥に農家の姿が浮かぶ。それが信頼につながり、価格を超えた価値として消費者に届く。
さらに大きな特徴は、生産者が自ら価格を付けていることだ。市場が一律に価格を決めるのではなく、「この品質なら、この価格で売れる」と判断するのは生産者自身。それにより、単なる安売り合戦ではなく、「どうすればもっとおいしく、より高く評価されるか」を競う場へと転換されている。
「値段を自分で決めるというのは、つくり手にとっての覚悟の表れです。安さで売るのではなく、味や手間、土へのこだわりといった見えない価値に誇りを持てる。それが農業の尊厳につながるんです」と長谷川社長は言う。
価格は情報と共に示される。だからこそ消費者も、ただ安さを求めるのではなく、背景を知り納得して購入する。売る側と買う側が「価値」でつながるこの構造こそが、みずほの村市場を直売所の常識から解き放っている。
「売る」より「伝える」のが商い
直売所の敷地内には、古民家を改装した日本そば店「蕎舎(そばや)」を併設。地元の生産農家が責任を持って栽培した「常陸(ひたち)秋そば」や野菜などの原料は全て店内で売られている農産物で、育てる・売る・食べるが1本の線でつながっている。
「農業は単なる産業じゃなく、文化や生き方と結び付いたもの。それを伝える場所でありたい」と長谷川社長。だからこそ、店づくりは単なる物販ではなく、〝農の世界観〟を体験できる空間として設計されている。
「私たちがやっているのは、売るんじゃなくて伝えることなんです」という姿勢は、全ての商人にとってのヒントになる。
商品を陳列し、値段を付けて売るだけでは、顧客の共感は得られない。誰が、どんな思いで、何のためにそれを届けているのか。その物語にこそ、商いの本質が宿る。
大量消費の時代に、みずほの村市場は静かに問いかける――〝安くて便利〟が本当に人を豊かにするのか。小さな直売所だからこそ実現できる誠実な商いが、今あらためて注目されている。
ここは単なる販売所ではない。農業の哲学と価値を伝え直す「思想ある売場」なのである。
(商い未来研究所・笹井清範)