近代を牽引してきたのは西洋キリスト教文明である。未開の人々を啓蒙し、文明に導くことを使命とする。18世紀の初め、ダニエル・デフォーは『ロビンソン・クルーソー』を書いた▼
遭難して孤島に漂着したロビンソンは自作の道具で狩猟をし、家を建て、作物を栽培し、牧畜を行い、二つの農園を持つまでになる。まるで人類の進歩をたどるように島を産業化した。勤勉さと禁欲は、のちにウェーバーが近代資本主義精神のお手本と称えた▼
労働を支えたのは偶然救った青年フライデーだった。ロビンソンは「未開」の青年を改宗させ教育を施す。文明の側に立つロビンソンが、野蛮人フライデーを従者とした。物語は28年後にロビンソンが孤島から救出されるところで終わる▼
この小説が書かれてから250年後、もう一つの物語が生まれた。ミシェル・トゥルニエの『フライデーあるいは太平洋の冥界』(榊原晃三訳・岩波現代選書)である。孤島に漂着したロビンソンが農園や牧場、別荘や要塞まで自力で建設するところは同じである。生贄にされる寸前の青年フライデーを救い、教化・教育する点も変わらない。だが今度の主役はフライデーだ。主人に従ってさえいればよかった前作と違い、トゥルニエ版のフライデーはロビンソンと対等である▼
野蛮は不幸という文明の思い込みを覆したのは20世紀の文化人類学だった。「未開」の中にも知の体系があり、思想もあることをクロード・レヴィ=ストロースらが立証した。トゥルニエ版では、28年後に救出に来た船に乗ったのはなんとフライデーの方であり、ロビンソンは島に残った。偏見なき文明観を提示できたのは、ふだん役に立たないと思われがちの「文学」が持つ力である。
(コラムニスト・宇津井輝史)