北の産業革命「炭鉄港」の一翼を担った空知の炭鉱遺産
明治時代、北海道では資源開発と北方警備のため、国策として開拓事業が進められました。豊富な石炭資源が眠っていた空知地方では炭鉱の開発が進み、1882(明治15)年には、石炭を運ぶために小樽と幌内をつなぐ鉄道が整備されました。空知は石油が普及する昭和30年代後半まで、日本経済を支える炭鉱として活躍を続けました。
赤平市のズリ山は、赤間炭鉱での採掘で発生した捨て石が集積してつくられた人工の山です。777段に及ぶ日本一のズリ山階段を上り、標高197・65mの頂上にたどり着くと、赤平市街地をはじめ暑寒別岳、十勝岳などが一望できます。
観光担当者がすすめる!わがまちの「イチ押し」
赤平商工会議所 伊藤 嘉悦
奥の「住友赤平炭鉱立坑やぐら」は、稼働中には看板にネオンが灯りまちのシンボルとして親しまれていた場所。手前の炭鉱遺産ガイダンス施設は、2018年の完成以来多くの人が訪れる話題のスポットです。ぜひ、お越しください。お待ちしています。
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