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あの人を訪ねたい 北川悦吏子

「病になんて負けていられない、命ある限り書き続けたいですね」

脚本家として「ラブストーリーの神様」と愛され、日本中の女性を恋する乙女に変えてきた北川悦吏子さん。代表作は、ドラマ『あすなろ白書』『愛していると言ってくれ』『ロングバケーション』などだ。近年は、NHK連続テレビ小説『半分、青い。』が記憶に新しい。今もその人気は衰えることがないが、ヒットの裏で、10万人に1人の難病に2度もかかりながらも闘い続けた素顔を知る人は少ない。ドラマの脚本家は、視聴率との戦いだ。そんな仕事ゆえにプレッシャーが病の体にのしかかるが、それらをはねのけ筆を執り続ける。情熱の源泉を探った。

絶対音感を持つ少女の夢は作曲家になることだった

北川悦吏子さんは、岐阜県美濃加茂市で生まれた。2018年に放映された『半分、青い。』の舞台でもある。

母親は教育熱心で、北川さんが3歳になるとピアノを習わせてくれた。母親の期待に応えたいと子どもながらに思い、日々のレッスンを怠らなかったが、「正直に言うと、譜面通りに弾くのはあまり好きではなかったんです。作曲するのは大好きでした。人生初めての創作活動はピアノの作曲だったと記憶しています」

絶対音感があり、耳で覚えた曲はすぐに弾くことができた。あるとき、友人の前で、当時人気を博していた体操選手のナディア・コマネチの床運動の楽曲を演奏したことがあった。皆が手をたたいて喜んでくれるのがうれしくて「将来、音楽で食べていけたらいいな」と、思っていた。

ところが、中学3年の時、ピアノを辞めてしまう。高校受験に専念するためだった。「私には演奏家としての才能がなく、ピアニストにはなれないだろうとそのとき悟ったんです。それなら学力をつけないと」。

ピアニストの夢は手放しても、作曲活動への情熱は、むしろ高まるばかりだった。故郷の岐阜を後にし、早稲田大学に進学したのも作曲家としての土台を築くためだ。音楽サークルに所属し、コンクールに応募しては腕試しする日々が続いた。そんな北川さんの活動が目に留まり、「会いたい」と言ってくれる大手音楽会社もあったが、北川さんを挫折へと追い込んだのは、意外な人物だった。

「その頃、ユーミンの全盛期で、好きで聞いていたのですが、あるとき、あ、私、どれだけ頑張ってもこれだけの歌は、つくれないな、とスコーンと諦めちゃったんです。大学3年の時でした。普通に、就職していこう、と決めました。夢に挫折して、諦めた、という自覚がはっきりとありました」

音楽活動はやり切ったという満足感と、脚本家として描きたい世界がまだまだあるという情熱にあふれる。「大学の3年間、音楽活動に没頭できたからこそ、悔いはありません」

ヒットが条件と言われた「月9」ドラマの常連に

大学卒業後、就職先に選んだのは、「にっかつ撮影所」(現・日活調布撮影所)だった。できれば音楽に近い場所で働きたいという思いがあった。尊敬する森田芳光監督の代表作、映画『家族ゲーム』のクレジットロールに「にっかつ撮影所」と記載されていたことが、決め手となった。北川さんが社会人になった1980年代前半といえば、栄養ドリンク「リゲイン」の「24時間戦えますか~」のCMソングが流れ、休みなしで働くことをサラリーマンの美学とするエネルギッシュな時代だった。

北川さんが選んだ映画(ドラマ)制作会社も体力勝負で知られ、「24時間稼働」が当たり前。

「ドラマの現場は地獄の忙しさでした。そこで、下積みを積んでプロデューサーになっていくシステムだったのですが、私はその頃、腎臓の持病があったので体力的に無理だと判断し、当時の部長にかけあって、『脚本を書いてみたい』と申し出ました。『邪魔もしないが、応援もしない』と言われました。今、思えば、あれは、応援する、ということだったと思います。要するに、自分が仕事をする中で知り合った、プロデューサーとか作家の先生に、脚本家になりたい、とアピールしてそこでチャンスをもらうことは、大丈夫だよ、許すよ、と言われたわけですから」

先輩社員から褒められたことがあった。「北川のすごいところは行動力だ。テレビ局の人間と名刺交換したら、次の日に、企画書を持って行くんだからな」と。健康な人より体力に自信がない北川さんは、瞬発力と企画力で勝負してきた。

その名を広めたのは30歳で手掛けた『素顔のままで』(92年)。それ以前も、にっかつ撮影所に勤めながら短編ドラマを何本か書いていて、フジテレビに顔を出したとき、「進行中の連ドラがうまくいかない。北川さんならどう書く?」と連絡が来て、すぐに分厚いプロット(物語の要約)を書いたら、採用された。まさに瞬発力と企画力でつかみ取った仕事だった。当時、月曜日の夜9時からフジテレビ系で放映されるドラマ、通称「月9」といえば視聴率が最も稼げる花形枠だ。『素顔のままで』に続き、翌年「月9」枠のドラマ『あすなろ白書』が大ヒットしたことで、人気脚本家としての地位は不動のものとなった。

ヒットを生む秘密は胆力、“寝かせる”ことが大事

プライベートでは93年に結婚し、97年に母になった。実は腎臓病のため、「子どもは難しい」と言われていたという北川さん。「本当にうれしかった」と頬を緩ませる。

公私ともに幸福の絶頂期を迎えたが、99年、難病の炎症性腸疾患を患っていることが分かった。

『ビューティフルライフ』(2000年)、『オレンジデイズ』(04年)などのヒットドラマを連発していた頃、北川さんは寛解と再発を繰り返していた。10年に大腸全摘の手術に踏み切ったものの、予断は許されない。そしてその後、聴神経腫瘍のため左耳の聴力を失うことになる。

現在は、毎日10時間の睡眠時間を確保する。原稿は13時から17時の短時間で書き上げる。書いた原稿はすぐに番組プロデューサーと共有し、意見を求める。独りよがりな物語にならないよう、他者の視点を入れることにこだわる。「答えを急ぐのは“胆力”が足りない証拠です。機が熟すまで待ちたい」

最近は、同世代の同業者から「そろそろ疲れてきませんか」と聞かれることが増えた。「燃え尽き症候群でしょうか? でも、私にそんな気配はないみたいです」と北川さんは笑う。

苦難を乗り越えた実体験が、物語に生かされることもある。例えば、『半分、青い。』のヒロインは、左の聴覚を失った少女だった。自分の生きざまが、物語に深みを与えている。「命ある限り、書き続けたい」と話すその瞳に、迷いはない。

北川 悦吏子(きたがわ・えりこ)

脚本家/映画監督

1961年岐阜県生まれ。大学卒業後、テレビドラマの企画立案や現場助監督の仕事を経て、89年に脚本家デビュー。92年、『素顔のままで』(フジテレビ系)で連続ドラマの脚本デビュー。主な作品に『あすなろ白書』『愛していると言ってくれ』『ロングバケーション』『ビューティフルライフ』『オレンジデイズ』など。映画脚本監督作品に『ハルフウェイ』『新しい靴を買わなくちゃ』。2018年放映のNHK連続テレビ小説『半分、青い。』は平均視聴率21%を超え大きな話題を呼んだ。『恋をしていた。』(ディスカヴァー)など著作も多数

写真・矢口和也

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