八幡屋礒五郎
長野県長野市
江戸の人気商品を善光寺でも
「牛に引かれて善光寺参り」で知られる長野市の善光寺の門前で、元文元(1736)年の創業以来、八幡屋礒五郎(やわたやいそごろう)280年にわたり〝七味唐からし〟の販売を続けている。現在の長野市西方にある鬼無里(きなさ)村出身の初代・室賀勘右衛門が、善光寺の堂庭(境内)で売ったのが始まりである。
「江戸のやげん堀が考案した七味唐辛子は、当時は七色唐辛子と呼ばれ、江戸ではすでに流行していました。鬼無里村は麻の産地で、善光寺近くに集積してから江戸に出荷していました。その際、商人たちが江戸からの帰りに七味唐辛子を仕入れて善光寺で売り始めて人気となったことから、初代勘右衛門も売り始めました」と、八幡屋礒五郎の九代目当主・室賀豊さんは言う。屋号の八幡屋礒五郎は創業時からのもので、室賀氏の源流が清和源氏であることから、源氏の頭領である源頼朝が崇敬した八幡宮から名前を取った。そして、初代勘右衛門が商いでは礒五郎と名乗っていたことから、この屋号がついたという。
「麻の実や唐辛子、さんしょうなど、必要な原料の多くは長野で栽培することができました。また、体を温める効果のあるしょうがを入れて、寒い長野の気候に合った味になっています。七味は原料が漢方薬の素材でもあることから、昔は体に良いものとされていました。そこで、体の具合が悪くなると善光寺にお参りに来て、七味を買って帰るという人が多かったようです。昔は歩いて来て歩いて帰ったので、軽くて日持ちする七味は買い求めやすかったのでしょう」
素材を独自の方法で加工
三代目の時代には、堂庭の中で最も場所の良い御高札(幕府の法令などを記した高札を掲示する場所)の前に店を張る特権が許され、客の注文によって7種類の原料を調合して販売していた。 「しかしそれでは時間が掛かりすぎるので、四代目からは大辛・中辛・小辛と3種類を前もって調合し、販売するようになりました。厳選して仕入れた素材を自分たちの独自の方法で加工し、それを調合して販売する。善光寺で小売もしていましたが、多くは他の店に土産物として卸していました」
八幡屋礒五郎のこだわりは、なるべく素材を生かし自分たちの手で加工すること。たとえば唐からしは、生の唐辛子を仕入れ、自社工場で焙煎(ばいせん)してから粉砕して粉にする。それはほかの素材も同じだ。「すでに粉になったものを買うこともできますし、そのほうが安い。しかしそれは絶対にやりません。見た目は同じでも、うちの味ではなくなってしまいますから」
現在、そのこだわりをさらに進め、原材料を自社で栽培する取り組みも始めている。「全量ではありませんが、平成19年に自社農場を設立し、今では長野県内の数カ所で、唐辛子、しそ、しょうが、さんしょう、ごまを栽培しています。より良い品質を求めてというだけでなく、これをすることで原材料を仕入れる際の鑑別眼も養われるからです。また最近は同業者も出てきているので、他社との差別化もできるように、調合サービスを復活させました」
工夫を重ね売上が10倍に
老舗として昔からのやり方を守るだけではなく、変えるべきところは変えることで、新たな展開も見せている。「以前は缶入りの七味は缶の中に直接入れていましたが、それでは密閉性が悪く、香りが逃げてしまい、虫も付きやすい。袋入りも昔は紙製で、通気性があるが、やはり香りが逃げてしまう。そこで20数年前に包材をビニールに変え、缶入りもビニールの袋に入れてから中に入れるようにしました。これにより賞味期限が長くなり、全国への流通に乗せることができるようになりました。そのため、土産物としてではなく一般的な食品としての取り扱いが増え、現在の売上は30年前と比べて約10倍にまでなりました」
また、善光寺の参道にある本店を20年に全面改装、店内には食事ができるカフェも併設した。さらには、それまで唐辛子関連の製品は七味と一味、ゆず七味の3種類だったところを、現在では全部で7種類に増やし、新たな製品も開発中だという。
「新幹線ができたことで長野に来る日帰り客が増え、参拝客の滞在時間が短くなりました。その対策として考え出したのです。店内で飲食できればそこで時間を使っていただけるし、商品構成を増やせばいろいろ見るために店内で過ごす時間も長くなります。今はもう、老舗だからといってお客さまが来てくれる時代ではない。今後も品質を追求し、新たな製品を開発していきます」 見た目は同じでも、八幡屋礒五郎の七味唐からしは、ほかとはまた一味も二味も違うのである。
プロフィール
社名:株式会社八幡屋礒五郎
所在地:長野県長野市柳町102-1
電話:026-232-3966
代表者:代表取締役社長 室賀 豊
創業:元文元(1736)年
従業員:79名(パート含む)
※月刊石垣2016年9月号に掲載された記事です。
最新号を紙面で読める!