盤上を見つめる厳しい表情は勝負師のものだが、普通の女子大生としての顔も持つ。22歳の香川愛生さんは、日本将棋連盟所属の女流棋士である。平成25年、26年と女流王将を獲得。実力、人気ともに注目される将棋界の若きエースの一人だ。そんな香川さんに、将棋に対する思い、そして今後のビジョンについて伺った。
原動力は「負けず嫌い」
将棋の歴史は古く、棋士が誕生したのは今から約400年前、江戸時代初期だといわれている。しかし、当時、棋士であることを許されたのは男性だけ。女流棋士の歴史はまだ40年と浅い。男性のプロ棋士は300人近いが、女流棋士はわずか60人ほどである。
そんな現在の将棋界を背負って立つ一人として大きな注目を集めているのが香川さんだ。小学校6年生のとき、女流アマチュア名人戦で優勝。12歳にして日本の女性アマチュア棋士のトップに躍り出たことで、プロ棋士への道が開かれた。女流プロ入りは平成20年。15歳という年齢は、当時の現役女流棋士の中で最年少であった。
香川さんが将棋と出合ったのは小学校3年生、9歳のときだ。同級生の男の子たちが将棋で遊んでいたところに交ぜてもらったのだという。
「将棋だけでなく、何でもそうだと思いますが、慣れている人と初めての人が戦った場合、初めての人が負けますよね。私も当然勝てなかった。それが悔しくって、勝てるようになりたい、そう思ったのが将棋を始めたキッカケです」
その優しい口調からは想像できないが、香川さんは根っからの負けず嫌いなのだ。早速、当時地元に住んでいた、祖父母ほどに年の離れた将棋愛好家に指導を仰いだ。すると、めきめきと上達。あっという間に同級生の男の子たちは相手にならなくなった。
「将棋は手合割(てあいわり)といって、ハンデをつけることができます。強い人の駒を一部減らしたりすることです。将棋好きのおじいちゃんたちは強いので、私はいつもハンデをもらって戦っていました。それはそれで楽しいのですけど、そのうちに同じくらいの棋力の人と戦いたいと思い、将棋会館に通うようになりました」
こうして10歳から将棋会館に通い始めるようになる。ただ、実は最初から飛び抜けて強かったわけではない。将棋会館道場の棋力認定では14級。ちなみに一番下位の級は15級だから、下から2番目だ。決して強くはなかったが、一気に将棋の世界に魅了されていく。
「ずっと将棋を指していましたね。特に夏休みは、お休みに入ったその日から、夏休みが終わる一日前まで、朝から晩まで将棋会館で将棋を指していました。最初はやっぱり負けることが多かったんですけど、その後に同じ相手に勝てると〝でかした!〟っていう気持ちになって、勝てることが本当にうれしかったです」
本人曰(いわ)く、自身の性格は「針を振り切った凝り性と飽き性」だという。そして何より「負けず嫌い」。香川さんの性格は常に勝利の可能性がある将棋という競技にぴったりだったのかもしれない。
「自分よりも年上の人に勝てたときも、すごくうれしかったです。他の競技、スポーツも同じですが、格上の方に勝つというのは難しかったりしますよね。将棋も同じで、勝つのは簡単ではありませんが、対等に盤を挟むからこそ勝ったときの喜びが大きいんです。努力次第で勝率を上げられるので。いつでも〝勝てるかもしれない〟という気持ちで臨めたからこそ、常に全力で将棋が指せたし、楽しかったですね」
そんな将棋漬けの生活は香川さんの実力を確実に養っていたようだ。何と小学校6年生で女流アマチュア名人戦を制してしまったのだから。将棋を始めて、わずか3年でアマチュア日本一の座を獲得。香川さんの視界に、〝プロ〟という選択肢が入ってきたのは自然なことだった。
〝好き〟だけの将棋から〝仕事〟としての将棋へ
「プロになったのは中学校3年生のときです。実は、そんなにプロになりたいと思っていたわけではなかったのですが、アマチュアで日本一になったことで、自然と意識はしていましたね。家族も喜んでくれました」
しかし、これまで純粋に「勝負に負けたくない」「将棋は楽しい」という思いだけで将棋を指し続けてきた香川さんにとって、プロ棋士という職業は、予想以上に難しいものだった。
「プロになると、対戦相手のレベルが格段に上がります。だから、なかなか勝てなかった。さらに、将棋という世界は長い歴史がある。棋士と、棋士や棋戦を支えてくれる環境があったからこそ今があるんです。アマチュアの時代は、ただ将棋を指すことに夢中だっただけで、将棋のプロとして仕事にすることの意味が分かっていなかった。そんな自分が果たしてプロの棋士としてふさわしいのだろうかと思って、当時は迷い始めていましたね。さまざまな課題に向き合うこと自体が、あのころの自分には大変で、高校時代はうまくいかないことの方が多かったです」
のびのびと自由に戦っていたアマチュア時代と違い、負けることが怖くなった時期もあるという。プロになると、一局一局が記録として残る。勝っても負けても、ファンや関係者に評価をされる。それが、大きなプレッシャーになってしまったのだ。
「例えば、体調が悪くてうまく指せなかったとします。アマチュアのときは、それは自分だけの問題ですが、プロとなったらそうはいかない。自分にとっては、プロで何百局指す中の一局かもしれないけれど、ファンの人からすれば、それは人生最初で最後に見る一局かもしれないわけです。それだけ、一局一局が私自身のイメージや、評価につながる。それが、ひいては将棋のイメージや評価になっていく。プロになりたてのときは、それに困惑してしまいましたね」
そんなアマチュアとプロとのギャップ。そこから抜け出せたのは、香川さんを支えてくれる師匠や先輩棋士たちのアドバイス、そして何より、苦しみながらも積み重ねてきた経験のおかげだ。
「私は、〝自分がどうすればいいのか〟〝どうしていきたいのか〟ということは、常に考えるようにしています。このときも、自分がどうしたいのか、それをしっかり考えた結果、プレッシャーに押しつぶされて、縮こまっていては良い将棋は指せない、と思えるようになりました」
常に繰り返されている自問自答。香川さんにとって、将棋とはまさに自分自身を見つめ直すことだ。
「将棋を通じて、プロの女流棋士であることを通じて、自分を見つめ直す機会が多くなりました。それしかないと言ってもいいくらい。将棋と出合ったからこそ、自分を見つめ直して、自分がどうありたいかを考えるようになりました」
女流棋士としても、香川愛生としても輝きたい
現在は対局の傍ら、立命館大学に通い勉学にも励んでいる。また、テレビ出演やマスコミの取材、将棋ファンの人たちと交流するイベントに参加したりと、さまざまな活動を積極的に行っている。
「やはり一人でも多くの人に将棋を知ってもらい、好きになってもらいたい。それで親しむ人が増えて将棋の裾野がどんどん広がってほしいと思っています。そのために私も精いっぱい、頑張らなくてはならないと思っています」
ここまで自分を育ててくれた将棋に恩返しをしていきたい。そのために自分ができることをしたいという思いは、常にベースとしてある。その上で、一人の人間として魅力的に輝いていたい、という思いも同時に生まれてきた。
「今の私には将棋が一番で、将棋界のために自分の人生を費やしていきたいとも思っています。ただ、そのために将棋だけをやるべきだ、とも思わないようになっています。例えば、私はゲームが大好きで、できればこの先、ゲームに関わるお仕事もしてみたいと思っています。私は、自分が好きなことに情熱を注いでいる瞬間が、一番キラキラしてしていてエネルギッシュになれると思う。だから自分が好きな将棋が指したいし、昔から好きだったゲームにもチャレンジしていきたい。香川愛生としての表現を、昔はためらっていましたが、いまでは、女流棋士としての私を引き上げてくれると信じています」
平成28年の目標は、27年に失った女流王将を再び手にすること。加えて、将棋以外の分野でも新しいチャレンジをしたいという。
「周りの人に、特に若い人に影響を与えることをしていきたいという願望があります。自分が好きなものを、たくさんの人に好きになってもらいたいし、一緒に楽しんでもらいたい。迷うこともあると思いますが、その気持ちを大事にして、周囲があっと驚くような挑戦をしていきたいですね」
香川愛生(かがわ・まなお)
女流棋士 第35・36期女流王将
1993年、東京都生まれ。立命館大学文学部在学中。小学校3年生から将棋を始め、小学6年の2005年に女流アマチュア名人戦で優勝。2008年、中学3年でプロ入りを果たした。15歳という年齢は、当時の現役女流棋士の中で最年少。確かな実力と華やかなルックスで、将棋界のみならず多くのファンから支持されている。2013年、女流王将のタイトルを獲得。翌年の2014年も連覇を果たした
写真提供・日本将棋連盟
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